泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

タグ:日本史


第1次大戦の独墺軍(ドイツ・オーストリア)と連合軍との戦いの最中、戦場のロシアで大正7年(1918)ロシア革命が発生し革命軍とロシア軍が相戦う内戦状態とも重なり、連合軍側の日本も英国の要請によりシベリア派兵に踏み切りました。その時の派兵された「小倉第12師団」の勇壮な活躍振りが精密報道画報(下記17編)として残されております。



【画題】救露討独遠征軍画報

其一 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎
其二 皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く
其三 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘許斐大尉勇戰奮闘名誉の戰死
其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍を撃破す
其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す

其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す
其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す
其八 雷鳴豪風雨を冒し我鐵騎、風の如く猛進す
其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し
其十 黒龍江西進先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部發の光景
其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景
其十三 豪勇無双なる許斐
(このみ)大尉の奮戰
其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を壓す
其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

【作画・発行印刷者】東京市神田区一ツ橋通り町16番地 田中良三
【発行所】     同所               尚美堂画店


極東のロシア領が赤化(共産化)することは日本にとっては満州・朝鮮への重大脅威を意味した。

しかし、太平洋を隔てたアメリカにとっては対岸の火事でしかなかった。
朝鮮に近いウラジオストックに赤色(共産主義)政府が存在することは脅威であり、日本にとっては生死に関わる大問題だった。
日本がそれなりの兵力を派遣したのはこのためである。

アメリカ政府の中にも、ランシング国務長官のように極東赤化の危険は解かっており、日本の軍派遣に反対すべきではない、と考えていた者も居たことは確かだ。

1920
年初頭にはチェコ軍救出というシベリア出兵目的も達成しつつあり、日本は満洲、朝鮮の防衛以外は守備隊を縮小し、速やかに撤兵する方針を声明はしたが、ここにとてつもない惨劇・尼港事件(
ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスクで発生した、ロシア赤軍パルチザンによる、日本人を含む住民の半数6千人もの大規模な虐殺事件が発生した。(本編5の最終に記述した)

このため撤兵は大幅に遅れることになる。

イメージ 5
     其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
     (ムラビョフの銅像前)

我が騎兵はハバロフスクを占領するや、武威を示すために公園銅像前広場に於いて敵艦を眼下に見つつ堂々と分列式を行い、一方敵陣に降伏を勧告し敵司令官邸に艦長の集合を命じ、集合したる処を着剣にて追いまくり一室に監禁し有無を言わせず降伏を命じたれども、ドイツ、オーストリア捕虜等は強硬に主戦を主張し結果が付かないため、機関銃でもって捕虜30名を射殺すれば、一も二もなく降伏し一切の武器を引き渡せり。我が軍の意気、亦壮なりと云うべし。

イメージ 6
  ハバロフスクの公園と黒竜江
(アムール河)・・隊員からの現地報告
▲河に臨めるレストラン ▲黒竜江沿岸を支那から只で取得した偉人ムラビョフの銅像 ▲黒竜江の湾曲した所・幅員1里(4km)に及ぶ。

イメージ 25
ハバロフスク市街周辺


イメージ 7
      其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
我が軍は、アレキセーフスクを占領するや直ちに騎兵の主力及び歩兵先発隊と共に、ゼーヤ河にある敵艦を襲撃すべく猛進し、世界戦史上に稀にみる騎兵と戦艦との戦闘は開始せらる。アレキセーフスク市東側橋梁付近に行動する7隻の敵艦を攻撃したるに、敵艦忽ち砲門を開き応戦したれば、我が軍直ちに猛射撃を浴びせるに、敵艦2隻は危うくも艦首高く白旗を揚げ我に降り、他は全て上下流へ逃走せり。

イメージ 8
   其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を圧す
我が軍ハバロフスク出発し電光石火の勢いを以て7日間にシベリアの難路160里を踏破せる剛健無比の九州兵団及び、チチハルより黒龍河方面に猛進せる勇壮果敢なる北海師団と共にブラゴエチェンスクに侵入進んでアレキセーフスクをも占領せり。我が飛行隊は17日以来日本政府の布告文を多数搭載飛行し敵を威嚇すると共に、布告文を撒布し大きな効果を収めた。

イメージ 9
チェコ軍司令部前に於いて連合軍代表武官の敬礼交換式及び我が分列式の光景

シベリア派兵1914
チェコ軍司令部前に於いて連合軍代表武官の敬礼交換式及び我が陸戦隊の行進

イメージ 10
           チェコスロバキア軍団の救出
 
イメージ 11
 其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

イメージ 1
我が軍の鹵獲した過激派軍の車両(ボクダットスカヤ付近の第5師団)

イメージ 2
松山・歩兵第22連隊凱旋式(於・松山堀之内練兵場)

イメージ 3

【感状】
 (感謝状)

野中支隊 歩兵第22連隊・第3大隊(第9中隊
缺)、
          同・第1第2中隊、
          同・機関銃1小隊、
          同・特殊砲隊
 
大正8年(1919)12月末、兵力約1500乃至2000を算する過軍(過激派軍)「ムホルシビール」「マレータ」「クナレ」の各地に集団して所在、我が軍及び交通線を脅威するのみならず「トルバカタイ」以西「ウェルフネウジンスク」以東に於ける鉄道線路の被害殊に甚しきを以って、野中支隊に之が掃蕩を命ぜられ、大正9年1月2日支隊は「ペトロスキー」を発し各地に転戦すること十有五日、此の間「ニコリスコエ」に約400の敵を撃破したるを始めとし「ハラシビール」「ヒローク」河谷等に於いて、常に優勢にして頑強なる敵を掃蕩し、殊に1月12日早暁「ノーウォザルダミンスコエ」付近の戦闘の如きは、約3000の過軍の包囲攻撃を受け激戦数時間に昇りたるも、将卒克く堅忍持久遂に天明と共に猛烈なる逆襲を敢行して敵を潰乱に陥らしめ、敵の戦場に遺棄したる死体約530を算し真に懺滅的打撃を与えたるものと謂うべし、如此にして全討伐期間敵と交戦すること前後5回、敵の屍すこと実に730、我が損害は頗る僅少にして、而も連日連夜殆んど不眠不休零点下50度の厳寒と戦い一百余里に昇る積雪深き広野山嶺を踏破し、幾多の困苦欠乏に耐え、上下一致身命を擲って勇戦奮闘し、終始光輝ある戦勝を得て過軍を震骸せしめたるは、一に支隊長の適切にして周密なる画策と部下将卒の忠勇義烈なる赤誠の発露にして、其の功績洵に偉大成るものと認む、依って茲に感状を附与す。
(句読点なしの一文である)
  
大正9年(1920)2月20日
浦潮(ウラジオストック)派遣軍司令官 陸軍大将   
(従三位、勲一等、功三級)      
大井 成元
イメージ 4

 ↑ 
大井 成元(おおい しげもと)
   
(1863~1951)山口県出身

  1919年8月 浦塩派遣軍司令官。(大谷大将の後任)、11月に陸軍大将



イメージ 12
         緩衝国家設立構想(白系ロシア)の模索

イメージ 13
日本軍の将校は、極東共和国(FER・白系ロシア)の代表者と会合を持った

イメージ 24
朝鮮・元山港に避難してきたロシア避難民の惨状(召された幼児の葬儀)
「余りにも悲惨です。日本人としてどうして見過ごせましょう。どうぞお助け下さいませ。」
・                          東京西大久保236  希望社

1918年のロシア革命に追われた王宮関係者か、教会関係者が、
バルチザンに追われ、はるばる逃亡してたどり着いた時のもの)

● 尼港事件(ニコラエフスク事件)の発生

1920年3月、共産党バルチザンがユダヤ人、アメリカ人、英国人、日本人などの外国人居留民の民家に徒党を組んで押し寄せ、物資の略奪を始めたことで、陸軍の駐屯する、水戸第3大隊と海軍の陸戦隊50名は、共産党武装勢力と戦火を交えて、その後降伏し全員 軍医、看護婦、戦傷者も含めて、斧で頭を叩き割られて殺害され、外務省の日本領事館の職員も、家族も皆殺しになるのですが、わずか3ヶ月の間に、人口1万2千人の都市で約半数の6千数百人が、虐殺されるという大きな事件になっていったのです。
アムール河氷結で遅れ6月に旭川の連隊が救援に駆けつけたときには、頭を叩き割られた遺体が散乱し、平和な商業都市は廃墟と化していたのです。
この当時の共産党というのは、生産と言う事を行わず、略奪を行うことで生計を立てていたようで治安など考えられない実態でした。

イメージ 14
             ニコラエフスクの街並み

イメージ 15
  食料が備蓄されていたニコラエフスクの島田商会と上部は日本軍兵営

イメージ 26
    1918年9月ニコラエフスクに到着・駐屯した日本海軍陸戦隊

イメージ 16
     共産党バルチザンにより廃墟となったニコラエフスク市街

イメージ 17
         廃墟となったニコラエフスクの様子

イメージ 18
           ニコラエフスク事件といわれる

イメージ 19
        アムール河岸に打ち捨てられた虐殺犠牲者

イメージ 20
     在ニコラエフスク外務省職員の死を知らせた新聞記事

イメージ 21
  在留日本人及び露国良民が黒龍江河岸に於いて虐殺されつつある光景

尼港事件の絵・・1920年の春、沿海州二コラエフスクで起きた地方パルチザンによる大虐殺事件、「尼港事件」。
700人以上の日本人軍民、そして反革命白系と疑われたロシア人市民数千人が惨殺され、歴史と由緒ある街は徹底的に破壊され焼き払われた。
当時の惨劇を再現して描かれた絵である。
黒竜江河岸で惨殺される邦人や白系露人と疑われた市民たち。


イメージ 22
日本人遊郭を占拠し屏風の前で写したバルチザン幹部らの写真
中央ソファーに横臥するは首領トリャビーツィン(25才)、その左ニーナ(情婦28才)、後列左が副首領ラプタ。

イメージ 23
           バルチザン幹部三名のモチーフ 
中央白服の男が首領ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィン。左の女が彼の情婦で、参謀長であったニーナ・レベジェワ。右の男が副首領、ラプタ。
後に逃亡中に逮捕され、赤軍の粛清裁判で死刑を宣告され銃殺に処された。


保存保存保存保存保存保存保存保存保存


第1次大戦の
独墺軍(ドイツ・オーストリア)と連合軍との戦いの最中、戦場のロシアで大正7年(1918)ロシア革命が発生し革命軍とロシア軍が相戦う内戦状態とも重なり、連合軍側の日本も英国の要請によりシベリア派兵に踏み切りました。その時の派兵された「小倉第12師団」の勇壮な活躍振りが精密報道画報(下記17編)として残されております。


【画題】救露討独遠征軍画報

其一 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎
其二 皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く
其三 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘許斐大尉勇戰奮闘名誉の戰死
其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍を撃破す
其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す
其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す
其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す
其八 雷鳴豪風雨を冒し我鐵騎、風の如く猛進す
其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し
其十 黒龍江西進先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部發の光景
其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景
其十三 豪勇無双なる許斐
(このみ)大尉の奮戰
其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を壓す
其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

【作画・発行印刷者】 東京市神田区一ツ橋通り町16番地 田中良三
【発行所     】    同所            尚美堂画店


1920年(大正9年)1月、アメリカ派遣軍は、チェコ軍救出という目的も達成しないうちに、政府通告なしに突如撤兵を行なった。
これは日本での自由主義者と親米勢力に大打撃を与えてしまった。

極東のロシア領が赤化(共産化)することは日本にとっては満州・朝鮮への重大脅威を意味した。

しかし、太平洋を隔てたアメリカにとっては対岸の火事でしかなかった。
朝鮮に近いウラジオストックに赤色(共産主義)政府が存在することは脅威であり、日本にとっては生死に関わる大問題だった。
日本がそれなりの兵力を派遣したのはこのためである。

アメリカ政府の中にも、ランシング国務長官のように極東赤化の危険は解かっており、日本の軍派遣に反対すべきではない、と考えていた者も居たことは確かだ。

1920
年初頭にはチェコ軍救出というシベリア出兵目的も達成しつつあり、日本は満洲、朝鮮の防衛以外は守備隊を縮小し、速やかに撤兵する方針を声明はしたが、ここにとてつもない惨劇・尼港事件(
ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスクで発生した、ロシア赤軍パルチザンによる、日本人を含む住民の半数6千人もの大規模な虐殺事件が発生した。
このため撤兵は大幅に遅れることになる。


イメージ 14
  シベリア出兵各国軍の司令官、参謀長の作戦会議 (1918年12月)
ウラジオストクで撮影されたシベリア出兵各国軍の司令官、参謀長クラスの集合写真。正面前列中央に日本軍(浦塩派遣軍)司令官の大谷大将の姿が見える。
その左隣が米国の派遣軍司令官グレーブス少将。後列左に英国ノックス将軍


イメージ 7
          浦塩派遣軍総司令部  (1922年)



イメージ 1
       其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部進發の光景

イメージ 5
        我がウラジオ派遣軍司令部に於ける将校たち
浦塩派遣軍司令部(191812ごろ)前列左から2人目より、植田謙吉中佐、天野邦太郎大佐、由比光衛中将、大谷喜久蔵大将、稲垣三郎少将、坂部十寸穂大佐、糸山静一一等主計正。

イメージ 6
        ウラジオに於ける参謀長会議 (1918年)
            (前列中央に大谷大将)


イメージ 8
               連合軍の耐寒装備
 (英)  (加)  (米)  (支那)  (伊)  (チェコ) (日本)


イメージ 2
         其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景

イメージ 4
       戦闘後の露営(ボクダットスカヤ〈バイカル南部〉付近の第5師団)
               

イメージ 10
                行軍の休息

イメージ 11
    機関銃及び特殊砲射撃(ボクダットスカヤ付近の第5師団)

イメージ 12
    戦場に放置された敵の死体(ボクダットスカヤ付近の第5師団)

イメージ 15
     某支隊の歩行前進(ボクダットスカヤ付近の第5師団)

イメージ 16
     某支隊大行李の渡河前進(ボクダットスカヤ付近の第5師団)


イメージ 13


イメージ 3
     其十三 豪勇無双なる許斐(このみ)大尉の奮戰 其三図を参照)
我が小倉師団の精鋭達は大正7年8月24日黎明、ベーラヤ河付近に大攻撃を開始す。許斐中隊は実に中央部隊の第一線たり、豪遊無双なる中隊長は陣頭に立ち猛烈にも敵陣に肉迫せるに、敵は塹壕中に白旗を掲揚したれば、直ちにこれを捕えんとしたるに敵は白旗を徹して手榴弾を投げ始める。ここに於いてか許斐(このみ)中隊長は憤然激怒、塹壕に躍り込み縦横に敵を斬り捨て奮戦中、遂に敵弾が胸部に命中し名誉の戦死を遂げた。ここに於いて全員必死となり塹壕中の敵を塵殺した。




イメージ 9




保存保存保存保存保存


第1次大戦の独墺軍(ドイツ・オーストリア)と連合軍との戦いの最中、戦場のロシアで大正7年(1918)ロシア革命が発生し革命軍とロシア軍が相戦う内戦状態とも重なり、連合軍側の日本も英国の要請によりシベリア派兵に踏み切りました。その時の派兵された「小倉第12師団」の勇壮な活躍振りが精密報道画報(下記17編)として残されております。


【画題】救露討独遠征軍画報

其一 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎
其二 皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く
其三 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘許斐大尉勇戰奮闘名誉の戰死
其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍を撃破す
其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す
其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す
其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す
其八 雷鳴豪風雨を冒し我鐵騎、風の如く猛進す
其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し
其十 黒龍江西進先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部發の光景
其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景
其十三 豪勇無双なる許斐
(このみ)大尉の奮戰
其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を壓す
其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

【作画・発行印刷者】 東京市神田区一ツ橋通り町16番地 田中良三
【発行所     】    同所            尚美堂画店


アメリカにはその読みが浅く、日本の「防共努力」に対する理解が全く欠けていた。
だから、日本のシベリア出兵をアメリカは非難し、これを妨害した。
アメリカからシベリアは1万キロ離れており、シベリアが赤化されても満州が赤化されても、アメリカにとっては対岸の火事だが、日本にとっては満州が赤化されることは朝鮮が赤化されることであり、それは直近の危機となる。

アメリカは、「共産主義は日本軍ほど邪悪な存在ではない」「共産主義は民主主義の一種だ」などととんでもない勘違いをしていた、日本の出兵は「シベリアの門戸開放に違反する」などと馬鹿なことを考えていたのだ。
 

アメリカは自ら撤兵することで日本を世界世論の前に孤立させることを企図した。
1920
年(大正9年)1月、アメリカ派遣軍は、チェコ軍救出という目的も達成しないうちに、政府通告なしに突如撤兵を行なった。
これは日本での自由主義者と親米勢力に大打撃を与えてしまった。

極東のロシア領が赤化(共産化)することは日本にとっては満州・朝鮮への重大脅威を意味した。

しかし、太平洋を隔てたアメリカにとっては対岸の火事でしかなかった。
朝鮮に近いウラジオストックに赤色(共産主義)政府が存在することは脅威であり、日本にとっては生死に関わる大問題だった。
日本がそれなりの兵力を派遣したのはこのためである。

アメリカ政府の中にも、ランシング国務長官のように極東赤化の危険は解かっており、日本の軍派遣に反対すべきではない、と考えていた者も居たことは確かだ。

1920
年初頭にはチェコ軍救出というシベリア出兵目的も達成しつつあり、日本は満洲、朝鮮の防衛以外は守備隊を縮小し、速やかに撤兵する方針を声明はしたが、ここにとてつもない惨劇・尼港事件(
ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスクで発生した、ロシア赤軍パルチザンによる、日本人を含む住民の半数6千人もの大規模な虐殺事件が発生した。
このため撤兵は大幅に遅れることになる。


イメージ 3
 其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す

イメージ 8
               騎馬兵団の突撃


イメージ 4
            氷結中のアムール河大鉄橋


イメージ 5
         其八 雷鳴豪風雨を冒して我鐵騎、風の如く猛進す


イメージ 9
                騎馬兵の進軍

イメージ 10
               騎馬兵の進軍


イメージ 2
  其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し

小倉師団の騎兵の主力及び先遣の歩兵大隊と協力、破竹の勢いをもって北進、大正7年9月7日にハバロフスクを占領し、直ちに同地に於ける敵海軍根拠地を包囲するに敵は周章狼狽その度を失い海陸軍共に白旗を揚げて降伏す。鹵獲品の主なるものは砲艦17隻、汽船4隻、無線電信局、各火砲120余門、小銃弾薬庫1棟、砲弾庫7棟、火薬庫7棟、馬具庫1棟、馬70頭、自動車7両、鉄条網材料多数を得た。

イメージ 6
    ハバロフスクに於いて我が軍が鹵獲(ろかく)した河川砲艦


イメージ 1
     其十 黒龍江を西進の先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
ハバロフスクより西進したる山田少尉傘下の小倉旅団及び米国・支那両軍は、牢中の鼠に等しき敵を壊滅すべく80里を汽車にてさかのぼり、9月13日オブルチヘエ駅に着せしが、敵は鉄道を破壊して退却せるを以て我が軍戦機を逸すべからず。即時、大島隊長に命令を伝え忽ち前進せしむ。道なき為に線路上を進軍せるに、天祐なるかな敵が遺棄せる列車が前面線路上に有るを発見し直ちにこれに乗り込み全速力にて進行し、敵の退却疾走する列車に砲火を浴びせつつ肉迫せしが敵も逃げながら応戦せり。進行中の列車戦は実に壮烈を極めた。



イメージ 7




保存保存


第1次大戦の独墺軍(ドイツ・オーストリア)と連合軍との戦いの最中、戦場のロシアで大正7年(1918)ロシア革命が発生し革命軍とロシア軍が相戦う内戦状態とも重なり、連合軍側の日本も英国の要請によりシベリア派兵に踏み切りました。その時の派兵された「小倉第12師団」の勇壮な活躍振りが精密報道画報(下記17編)として残されております。



【画題】救露討独遠征軍画報

其一 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎
其二 皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く
其三 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘許斐大尉勇戰奮闘名誉の戰死
其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍を撃破す
其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す

其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す
其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す
其八 雷鳴豪風雨を冒し我鐵騎、風の如く猛進す
其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し
其十 黒龍江西進先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部發の光景
其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景
其十三 豪勇無双なる許斐
(このみ)大尉の奮戰
其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を壓す
其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

【作画・発行印刷者】 東京市神田区一ツ橋通り町16番地 田中良三
【発行所     】    同所            尚美堂画店


英仏の要請により、共同出兵をした日本とアメリカだったが、両国のシベリア出兵目的はまったく異なるものだった。


アメリカの出兵目的は日本の北満とシベリアへの進出に抵抗することだった。
アメリカ軍は日本の出兵意図に猜疑を抱き、ロシアの共産主義者(ボルシェビキ)と戦う日本軍に協力せず、かえってボルシェビキに好意を示す有様を示していた。

一方、日本はロシア共産主義を危険思想だとはっきりと認識していた。
共産主義というものがアジアに迫りくること、これを何とかして防ごうという気持ちが日本には強くあった。


したがって、北満州から沿海州のあたりを、静かなアジアと赤いロシアとの緩衝地帯にしたい。
そして、共産主義が満州、朝鮮そして日本に入ってくるのを防ぎたい。こういう願望を日本は持っていた。

しかし、アメリカにはその読みが浅く、日本の「防共努力」に対する理解が全く欠けていた。
だから、日本のシベリア出兵をアメリカは非難し、これを妨害した。
アメリカからシベリアは1万キロ離れており、シベリアが赤化されても満州が赤化されても、アメリカにとっては対岸の火事だが、日本にとっては満州が赤化されることは朝鮮が赤化されることであり、それは対岸の火事ではない。

アメリカは、「共産主義は日本軍ほど邪悪な存在ではない」「共産主義は民主主義の一種だ」などととんでもない勘違いをしていた、日本の出兵は「シベリアの門戸開放に違反する」などと馬鹿なことを考えていたのだ。

 


アメリカは自ら撤兵することで日本を世界世論の前に孤立させることを企図した。
1920
年(大正9年)1月、アメリカ派遣軍は、チェコ軍救出という目的も達成しないうちに、政府通告なしに突如撤兵を行なった。
これは日本の自由主義者と親米勢力に大打撃を与えてしまった。

極東のロシア領が赤化(共産化)することは日本にとっては満州・朝鮮への重大脅威を意味した。

しかし、太平洋を隔てたアメリカにとっては対岸の火事でしかなかった。
朝鮮に近いウラジオストックに赤色(共産主義)政府が存在することは脅威であり、日本にとっては生死に関わる大問題だった。
日本がそれなりの兵力を派遣したのはこのためである。


イメージ 11

其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍(ドイツ・オーストリア軍)を撃破す

大正7824日、我が小倉第12師団の精鋭は敗退し来たる友軍チェコスロバキア軍を収容後、師団長の命令一下、全軍たちまち攻勢に転じ、先ず我が威力ある砲兵の洗礼をもって敵の肝を寒からしめた一方、歩兵は奮戦強襲を敢行し、敵に肉迫力戦奮闘遂にこれを撃退せり。

イメージ 9

     赤軍に殺害されたチェコスロバキア兵士と葬送する兵士

イメージ 1
(大正9年4月19日付・東京朝日新聞掲載地図)
広島第5師団・小倉第12師団・宇都宮第14師団が記載されている

イメージ 2
          赤化防止の緩衝地帯として考慮されていた

イメージ 12
             第1次大戦中のドイツ装備

イメージ 3
           第1次大戦時、敵のドイツ兵

イメージ 4
         第1次大戦時、敵のオーストリア兵


イメージ 5

     其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す(広島第5師団)


イメージ 6

其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す

シベリア・ウスリー戦に我が小倉師団歩兵第14連隊、第12中隊及び工兵半小隊は鉄道破壊の重要命令を受け、大正7年(1918)823日午後11時、西田大尉指揮のもとに敵の背後に迂回しルサノフスキーを経て北進し、腹部までも没する湿地と幾多の危険を冒し24日黎明に決死目的地に達したるに、不覚にも敵の発見するところとなり装甲列車より猛射撃を浴びせられるも、勇敢なる我が軍は屈することなく奮戦力闘、遂に鉄道破壊の目的を果たし装甲列車2台を鹵獲した。西田中隊は許斐中隊と共に武勲著しく中外に轟いた。

イメージ 7
       ウスリー付近で鹵獲した大砲装備の装甲列車

日本のシベリア派遣軍の部隊が赤軍部隊との戦闘で勝利し、鹵獲した装甲列車のようだ。日本兵と並んで立っているのは白系ロシア軍の兵士であろう。
場所はロシア沿海州と中国東北部との境目、ウスリー付近。


イメージ 8
           線路保安守備中の白系ロシア兵



イメージ 10




保存保存保存



第1次大戦の独墺軍(ドイツ・オーストリア)と連合軍との戦いの最中、戦場のロシアで大正7年(1918)ロシア革命が発生し革命軍とロシア軍が相戦う内戦状態とも重なり、連合軍側の日本も英国の要請によりシベリア派兵に踏み切りました。その時の派兵された「小倉第12師団」の勇壮な活躍振りが精密報道画報(下記17編)として残されております。



【画題】救露討独遠征軍画報

其一 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎
其二 皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く
其三 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘許斐大尉勇戰奮闘名誉の戰死
其四 我軍の大捷、西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)原頭に獨墺軍を撃破す
其五 満州里方面第一戰我軍、敵騎逆襲を撃退す

其六 歩兵第十四聯隊第十二中隊の殊勲、敵の背後に迂廻し鐵道を破壊し装甲列車を鹵獲す
其七 勇猛果敢なる我騎兵は長驅北進敵を追撃してハバロフスクを占領す
其八 雷鳴豪風雨を冒し我鐵騎、風の如く猛進す
其九 疾風迅雷的強行軍ハバロフスク占領、黒龍艦隊降伏鹵獲品、山の如し
其十 黒龍江西進先遣部隊、壮烈なる進行中の列車戰
其十一 西伯利(シベリア)聯合軍總司令部發の光景
其十二 西伯利(シベリア)遠征軍露營の光景
其十三 豪勇無双なる許斐
(このみ)大尉の奮戰
其十四 ハバロフスク占領刹那の光景、我が騎兵敵艦を前に堂々分列式を行う
其十五 世界戰史に稀有の騎兵と艦の戰闘、遂に敵艦降伏す
其十六 ブラゴヱスチェンスク占領皇軍の武威全西伯利(シベリア)を壓す
其十七 我軍空中及水陸挟撃し西伯利(シベリア)の敵軍を掃討す

【作画・発行印刷者】 東京市神田区一ツ橋通り町16番地 田中良三
【発行所     】    同所            尚美堂画店


第一次世界大戦中の1918年(大正7年)11日、イギリスは日本に対して、ウラジオストックにあるロシア軍需品が敵国ドイツの手に渡るのを防止するため、日本軍を主力とする連合軍の派兵を提案してきた。

日本の出兵にはアメリカが反対したため、日本はイギリスの提案を拒否した。

ところが5月中旬、ロシアに新しい事態が起こった。開戦当初、チェコ軍はロシア軍の中に入ってドイツと戦っていたのだが、ロシアが革命でソビエト政権に変わると、ロシアは対独戦線から離脱したのでチェコ兵は4万人近くいたが、怨みのあるドイツとどうしても戦いたいというので形式上フランス軍の指揮下に入ることになった。
しかし、チェコ兵がいたのは東部戦線(ロシア軍側)であり、これを西部戦線(フランス軍側)まで送り込まなければならない。そこで、シベリア鉄道でウラジオストックまで輸送し、海路でヨーロッパに送り込むことになった。
ところが、東進中のチェコ軍と故国に向けて帰還中のドイツ・オーストリア捕虜部隊のあいだに戦闘が発生した。
続いて、この事件が拡大してチェコ軍とロシア革命軍(共産主義者)との衝突となり、シベリア鉄道全線にわたって戦闘が開始されることとなった。
反共産主義のロシア人達は、ロシア共産党の権力を倒すためにチェコ軍を援助した。
これによってチェコ軍の蜂起は西シベリアとウラル地方に於いてソビエト政権(革命軍)を倒してしまった。

連合国にとってチェコ軍の蜂起は大歓迎だった。
イギリスとフランスは新しい東部戦線の再建計画を進め、日本にシベリア出兵を要請してきた。

しかし、アメリカが日本の動きに神経を尖らせていたのを知っていたため、日本は英仏の要請をまたもや拒否した。

そこで連合国はアメリカの大統領ウィルソンを説いて、日米共同の出兵を促した。
アメリカもこの出兵要請を受け入れたためようやく日本も派兵を決めた。

そして19188月上旬、日本、アメリカ、イギリス、フランスは、軍をウラジオストックに派遣した。
支那も出兵を申し出て軍を送り、イタリアもそれに続いた。
こうして連合国の共同出兵が完了した。



イメージ 1
其一、 皇軍浦鹽斯德(ウラジオストック)上陸各國官民熱狂的歡迎


イメージ 9
大谷将軍のウラジオストック上陸と戦艦肥前

イメージ 2
ウラジオ派遣軍司令官大谷大将、アドミラル埠頭到着と英仏将官の出迎え
(英国東洋軍司令官アルフレッド・ノックス将軍)(1918年8月18日)

イメージ 11


← 大谷喜久蔵 陸軍大将
(1856‐1923)
福井県・敦賀出身













イメージ 15




←ウラジオストック港の貨物ヤードに上陸した我が小倉師団







イメージ 17

←ウラジオストック港で整列点呼中の我が小倉師団








イメージ 18
連合軍の到着で見物客の賑わうウラジオストック港

イメージ 14
 其二 、皇軍浦鹽(ウラジオ)市街行進、威風堂々意氣天を衝く

イメージ 3
         ウラジオストック市内を行進する我が軍

イメージ 12
        ウラジオストックに於ける日軍敬礼交換式


イメージ 4
       ウラジオストック市内を行進する我が第12師団

イメージ 5
    ウラジオストック市内を行進する我が軍、婦人達の姿も散見

イメージ 16
       ウラジオストック市内を行進する我が第12師団


イメージ 6
   1918年8月、ウラジオストックでパレードを行う日本海軍陸戦隊

イメージ 7
       ウラジオストックを行進する連合国の派遣軍

イメージ 8
      ウラジオストックを行進する連合国のアメリカ派遣軍


イメージ 13
其三、 西伯利烏蘇里(シベリア・ウスリー)の戰闘、許斐(このみ)大尉勇戰奮闘名誉の戰死


 我が小倉師団の精鋭は大正7824日黎明に、ベーラヤ河付近に大攻撃を開始し奮戦力闘一挙に敵を粉砕せり。このシベリア遠征軍陣頭の戦闘に於いて武勲粛々たるものは許斐(このみ)大尉とす。同大尉は命令一下、電光の如く第一線に突撃し、挺身部下を激励し、力戦悪闘縦横に敵を撃破し、遂に名誉の戦死を遂げる。



イメージ 10




保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存

イメージ 16

64【幕末~明治の伊予・松山市街寸描】4

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。


【参考】↓
  松山海軍航空基地(吉田浜) https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36487149.html

イメージ 15
         昭和19年の松山城北練兵場 (1944年)
昭和19年、城北練兵場に飛行機格納庫が4棟建造され、旧式戦闘機(97式戦闘機、双発機はキ-45か1機)が西側に並べられた。整備兵の集団が清水町方面から軍歌を合唱しながら行進してきて、エンジン始動等の訓練を行っていた。

イメージ 42

←(整備兵行進の雰囲気)
国防色の「つなぎ上下服」に「耳あて帽子」のヒモを天で結んだ姿でした。
清水町方面からドス声で軍歌を合唱しながら、ゆったりとした行進でした。




イメージ 17
   空襲後の松山市街城北練兵場に格納庫の跡が4個) (1947年)


イメージ 18
    空襲43日目・・・焼けただれた松山市街 (1945年9月7日)


イメージ 19
  松山・城北練兵場で歩兵の匍匐前進(ほふくぜんしん)訓練中(1941年)
              (護国神社前付近)

イメージ 45
     松山・城北練兵場で歩兵第22連隊射撃演習 (1932年)


イメージ 20
    松山・城北練兵場に着陸した91式2型戦闘機 (1932年)


イメージ 21
   松山・城北練兵場で・・北豫中学校滑空部のグライダー(1940年)

イメージ 22
          【参考】グライダーの飛行訓練(1940)


イメージ 23
           松山市大街道  (1930年)

イメージ 24
        松山・店舗繁華なる大街道 (1932年頃)

イメージ 25
         松山・繁華なる大街道  (1932年頃)


イメージ 26
  松山・一番町付近大街道・空襲で城山の松林はすけすけに (昭和22年1947)


イメージ 27
松山・大街道の風情 (1953年)


イメージ 28
松山・一番町大街道 (1956年)


イメージ 29
        松山のメインストリート大街道 (1935年頃)


イメージ 30
      松山・店頭美しく飾られた大街道  (1910年頃)


イメージ 31
     松山・大街道の芝居小屋とロシア兵捕虜たち (1905年)


イメージ 32
    松山・湊町商店街ー関東震災援助物資搬出 (大正12年1923)


イメージ 33
           松山市湊町の風情 (1930年頃)


イメージ 34
           松山市街-湊町風情  (1913年)


イメージ 35
           松山市駅前のヤミ市 (1947年)


イメージ 6
  松山・西堀端門から出る進駐の英国軍楽隊 (昭和20年11月、1945)


イメージ 1
   松山・日本赤十字社愛媛支部病院 県庁の正面側らしい (1920年頃)

イメージ 2
        松山・日本赤十字社愛媛支部病院 (1919年)


イメージ 3
          松山裁判所前電車通り (1900年頃)


イメージ 4
     大正時代から一番町にあった松山裁判所  (1955年)
   奥に萬翠荘(重文)・・第15代松山藩主にあたる久松定謨伯爵の別邸

イメージ 43
  1940年に南堀端から上一万へ移転してきた松山警察署(これは1960年頃)


イメージ 44
                先代・松山警察署 (1970年頃)


イメージ 7
        松山・港山から三津浜の遠景  (1920年)

イメージ 8
            松山・三津港  (1925年頃)


イメージ 5
     松山・梅津寺海水浴場と新時代の梅津寺飛行場(1939年)


イメージ 9
         松山・梅津寺海水浴場  (1927年)

イメージ 39
          松山・高浜漁港  (1910年頃)

イメージ 40
      松山・高浜港の景観(現、松山港) (1915年頃)


イメージ 10
     松山・高浜駅と高浜桟橋(現、松山港) (1905年頃)

イメージ 37
     松山・高浜港の景観(現、松山港) (1916年頃)

イメージ 38
      松山・高浜港の景観(現、松山港) (1920年頃)


イメージ 11
         松山・高浜港の四十島  (1938年)

イメージ 41
      松山・高浜港の四十島と興居島の遠景  (1930年)
              (しそじま)(ごごしま)


イメージ 12
            松山市全景  (1960年)

イメージ 13
          松山市中心部俯瞰  (1998年)

イメージ 14
           松山市中心部  (2008年)

イメージ 36
          松山市中心部俯瞰  (2017年)



  ●オールドにっぽん ↓ ↓
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html 
59【幕末~明治の伊予・宇和島】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37595505.html 
60【幕末~明治の伊予・大洲】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37606872.html
61【幕末~明治の伊予・松山】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37730721.html 
62【幕末~明治の伊予・松山道後】2 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37753574.html 
63【幕末~明治の伊予・松山市街】3 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37762636.html






保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存

イメージ 40

63【幕末~明治の伊予・松山市街】3

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。


【参考】↓
  松山海軍航空基地(吉田浜) https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36487149.html

イメージ 1
       松山・湊町辺りから城山の眺望 (1900年頃)
                  
(下の印と同じ位置)

イメージ 43
松山・湊町辺りから城山の眺望 (1900年頃)
        (上の印と同じ位置)      (森川精米所)

イメージ 2
     松山・湊町辺りから城山の眺望 (1895年頃)

イメージ 3
松山・湊町辺りから城山の眺望 (1910年頃)
     (森川精米所)   (正面左に県庁、右に裁判所)      

イメージ 4
松山・湊町辺りから城山の眺望 (1900年頃)
         (森川精米所) (正面左に県庁、右に裁判所)     

イメージ 29
松山・初代愛媛県庁 (1910年)


イメージ 5
松山市・県庁付近の眺望とその向こうは第22連隊兵営(1931年)

イメージ 6
松山・井出神社付近から見た空襲後の市街 (1945年7月)

IMG_3148
同 上

イメージ 7
空襲で焦土と化した松山市街  (1945年)

光泉寺_3150
愛媛県庁前「光泉寺」の空襲で焼け落ちた境内にて(1945年7月)

イメージ 10
松山・城山から直下の一番町、大街道方面と石手川の松林 (1920年頃)
正面は新栄座

イメージ 11
松山・城山から直下の一番町、大街道方面と石手川の松林 (1905年頃)
正面は新栄座

イメージ 13
松山・城山から直下の一番町、大街道方面と石手川の松林 (1925年頃)

イメージ 36
松山・一番町 大街道の新栄座 (1890年頃)


イメージ 35
松山市・番町幼稚園卒園式 (昭和19年・1944)

イメージ 8
松山城より見たる市街南部 (1905年頃)

イメージ 9
松山城櫓上から繁盛を極める市街南部を望む (1900年頃)

イメージ 37
松山城より歩兵第22連隊兵舎を望む (1905年)
(国鉄松山駅は未だ無い)

イメージ 12
松山・空襲で残った建築物、県庁前から大街道方面(1945年)

イメージ 38
松山・愛媛県庁舎、手前は日本赤十字社  (昭和18年1943)

イメージ 41
松山・愛媛県庁舎  (1956年)

イメージ 42
上と同じ東堀端停留所 右が松山中学校 (1900年頃)

イメージ 39
松山・愛媛県庁舎 天井銅板葺き替え時 1953年)


イメージ 20
松山・城山から道後の遠望・・直下は上一万周辺 (1912年頃)

イメージ 21
松山・松山高等商業学校と清水小学校、松田池 (1959年)


イメージ 22
松山・松山高等商業学校と清水小学校 (1951年)

イメージ 25
松山・松山高等商業学校 (1925年)

イメージ 28
松山・松山高等商業学校 (1947年)


イメージ 26
松山・松山高等商業学校(松山大学)本館 (1927年)

イメージ 27
松山・松山高等商業学校(松山大学)本館 (1937年頃)


イメージ 23
松山・城山から北東の眺め・・愛媛大学と松山赤十字病院 (1980年頃)

イメージ 24
松山・城山から北方の眺め・・直下は松山大学、右へ北高校と愛媛大学(2015年)


イメージ 14
松山市街付近交通図  (明治28年1895)


イメージ 16
松山・道後公園山頂から見た城山、手前に武徳殿が見える (1905年)

イメージ 15
松山・道後公園山頂から見た城山、手前に武徳殿が見える(1912年)

イメージ 17
松山・持田村(上一万)にあった武徳殿(柔剣道指南) (1913年)

イメージ 18
松山・道後公園山頂から見た松山城 (1935年)

イメージ 19
松山市・道後付近からの遠望  (2016年)


イメージ 30
松山女学校(東雲女学校)と青年会館 (1927年頃)

イメージ 31
松山・正門側から見た松山女学校(松山東雲女学校)(1913年)

イメージ 32
松山・通学路を帰るもんぺ姿の東雲高等女学校生 (1944年)
上級生は阪神地区へ勤労動員中。各自、必携の防空頭巾を肩に掛けている。

イメージ 33
松山・空襲で焼けた東雲高等女学校舎の残骸 (1945年)

イメージ 34
松山・城山東口の東雲神社 (1940年頃)




↓ ● オールドにっぽん  ↓

㉔【幕末~明治の東京(江戸)市街】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37060310.html 
㉕【幕末~明治の東京(江戸風情)】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37073017.html 
㉖【幕末~明治の東京(江戸風情)】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37085904.html 

㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html 
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html 

㉙【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37125957.html 
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37140289.html 
㉛【幕末~明治の江戸城(本丸・二ノ丸周辺)】8.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37152897.html 
㉜【幕末~明治の江戸城(三ノ丸・外濠周辺)】9.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37167706.html 
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html 
59【幕末~明治の伊予・宇和島】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37595505.html 
60【幕末~明治の伊予・大洲】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37606872.html
61【幕末~明治の伊予・松山】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37730721.html 
62【幕末~明治の伊予・松山道後】2 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37753574.html 



保存保存保存保存保存保存保存保存保存

イメージ 30

62【幕末~明治の伊予・松山道後】2


 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。


【参考】↓

  松山海軍航空基地(吉田浜) https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36487149.html



イメージ 1
         松山・伊予鉄 坊ちゃん列車 (1920年)

イメージ 21
        松山・伊予鉄 坊ちゃん列車 (1940年)

イメージ 2
   松山・伊予鉄 式典用に装飾された坊っちゃん列車  (1910年)

イメージ 3
     松山市全図 (点線---が当時の鉄道路線) (1896年頃)
     国鉄松山駅は昭和2年に開設(1927年)

イメージ 6
       松山城より山水美に光る道後湯の町の遠望
田畑の中央部を道後に向けて軌道が走り、古町からの軌道が左から接続している。
右の道路は上一万付近  (1900年頃)


イメージ 22
   松山・古町駅頭か・・松山高等学校の応援団か?  (1931年頃)

イメージ 34
     現在も松山市観光用に市電軌道を走行している(2017年)


イメージ 4
   道後行きターミナル・・一番町停留場・・広軌道(1900年頃)

イメージ 5
           松山・道後駅  (1915年頃)

イメージ 7
           松山・道後駅  (1910年頃)


イメージ 12
            松山・道後駅  (1910年頃)

イメージ 25
           松山・道後駅  (2004年)


イメージ 13
      松山・道後温泉神の湯(本湯)と鷺湯 (1900年頃)

イメージ 14
     松山・道後温泉の本湯(左前方)周辺 (1920年頃)

イメージ 35
       松山・道後湯之町 道後駅方面 (1935年頃)


イメージ 15
           松山・道後湯之町 (1935年頃)

イメージ 18
     松山・道後温泉 本湯(右中央)と湯之町 (1940年頃)


イメージ 16
         松山・道後温泉本湯.  (1910年頃)

イメージ 24
       松山・道後温泉女人湯の光景  (1890年頃)

イメージ 31
      松山・道後温泉 神の湯女湯ぶねの光景 (1910年頃)


イメージ 19
         松山・道後温泉本湯.  (1935年頃)

イメージ 20
  松山・道後温泉 道後温泉本館(左)・養生湯(右)(1900年頃)

イメージ 23
        松山・道後温泉・養生湯  (1900年頃)


イメージ 17
       松山・道後温泉 西湯・砂湯  (1920年頃)
      (道後温泉本湯から道後商店街を挟んで西側に在った)

イメージ 32
        松山・道後温泉 松ヶ枝町 (1930年頃)
        正面は一遍上人の生誕地・宝厳寺 

イメージ 33
       松山・道後温泉遊郭 松ヶ枝町 (1936年頃)
       正面は一遍上人の生誕地・宝厳寺 


イメージ 8
               松山・伊予鉄道 松山市駅 (1910年)

イメージ 9
         松山・伊予鉄道 松山市駅 (1910年頃)


イメージ 10
         松山・伊予鉄道 松山市駅 (1915年頃)


イメージ 11
          松山・伊予鉄道 松山市駅 (1955年頃)

イメージ 28
        松山・伊予鉄道 松山市駅 (2015年)



イメージ 26
           国鉄 松山駅  (1927年)
松山駅は市の西部にあり、昭和2年4月の国鉄開通と同時に落成で、城山や温泉を訪れる旅客を吞吐して殷盛を極めています。

イメージ 27
   城山・温泉等の旅客で賑わう・・国鉄 松山駅  (1927年頃)

イメージ 36
         国鉄 松山駅と弁天山  (1960年)


イメージ 29
           JR 松山駅  (2015年)


【参考】↓



●オールドにっぽん ↓ ↓
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html 
59【幕末~明治の伊予・宇和島】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37595505.html 
60【幕末~明治の伊予・大洲】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37606872.html
61【幕末~明治の伊予・松山】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37730721.html 
 



保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存

イメージ 54

61【幕末~明治の伊予・松山】1

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

【参考】↓
  松山海軍航空基地(吉田浜) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966164.html  
1Screenshot1872年 Matsuyamajo-04_merged pdf(9)
 伊予・松山城 (1872年)

2Screenshot_1877Matsuyamajo-(9)
伊予・松山城 (1877年)

3Screenshot_1977Matsuyamajo-04_merged pdf(77)
伊予勝山城・松山城 (1877年)

4Screenshot_1910Matsuyamajo-04_merged pdf
伊予・松山城 (1910年)

5Screenshot_1911Matsuyamajo-04_merged pdf11)
伊予・松山城 (1911年)
愛媛県重要物産共進会開催ゲート

6Screenshot_2020-11-30 Matsuyamajo-04_merged pdf(10)
伊予・松山城 (1909年)

イメージ 39
          伊予・松山城   (1947年)
       (昭和8年放火により連郭が焼失して、昭和43年復元された)

イメージ 40
        伊予・松山城天守閣にて   (1949年秋)
      (この旅行の帰りにシベリア抑留帰還兵の一団と列車に乗り合わせた)

17松山(1963)
伊予・松山城 (1963年)

イメージ 2
 伊予・松山城   (2015年)

イメージ 38
        南西方向から松山城の俯瞰  (2010年)

IMG_3145
昭和20年7月26日の深夜・松山城は残った、B-29による焼夷弾爆撃(松山大空襲)
北西方向より

イメージ 59
        南西方向から松山城の俯瞰  (2016年)


イメージ 4
築城以来三百二十余年を経た松山城・乾門の威容 (1925年頃)

イメージ 3
            伊予・松山城   (2015年)

イメージ 1
           伊予・松山城   (1895年頃)

7松山城西隅櫓と槻門
松山城二の丸 西隅櫓と槻門 (1877年)

イメージ 5
伊予・松山城、北の郭と高石垣(城山北側の登城口)(1900年頃)

イメージ 6
松山城櫓上から繁盛を極める市街南部を望む (1900年頃)
正面直下が「県立・松山中学校」

イメージ 8
愛媛県立松山中学校(現・県立松山東高校)(1895年頃)

イメージ 7
明治29年の松山中学校卒業記念写真 (1896年)
(前から3列目左端の猪飼健彦と2人目が夏目漱石で2~3列は教諭、
「坊ちゃん」のキャラクターが写っている筈です)

猪飼健彦=国語、国史担任     夏目漱石=英語担任
((松山中学i2
上記写真の人名簿

 明治二十八年度愛媛県松山尋常中学校教職員一覧」
凡例:番号 氏名(職名・年齢・担当教科・最終学歴・月給)
                                        (  ※丸数字は愛媛県内出身者)
1 住田 昇  (校長・38・修身・高等師範・60円)
2 横地 石太郎(教頭・36・化学,物理・帝国大学理科大学・80円)
3 西川 忠太郎(教諭・36・英語・札幌農学校・40円)
4 中村 宗太郎( 〃・25 ・歴史・四高・30円)
⑤ 中堀 貞五郎( 〃・38 ・地理,物理・物理学校・30円)
6 渡部 政和 ( 〃・37 ・数学・大阪師範中退・40円)
7 安芸 本吾 ( 〃・26 ・博物・帝国大学理科大学選科・18円)
⑧ 髙瀬 半哉 (助教諭・?・図画・京都府立画学校・18円)
9 弘中 又一 ( 〃・23・英語,数学・同志社普通部・20円)
⑩ 伊藤 朔七郎( 〃・37・体操兼舎監・?・12円)
⑪ 太田 厚  ( 〃・51・漢文・昌平黌・20円)*
12 村井 俊明   ( 〃・40 ・国語,歴史・藩校・25円)
⑬ 梅木 忠朴   (助教諭心得・37・英語・慶應義塾・25円)
⑭ 山口 善太郎( 〃・?  ・英語・?・13円)
15 阿倍 元雄 (〃・?  ・数学・物理学校・20円)
 猪飼 健彦 ( 〃・?  ・図画?・?・20円)
17 夏目 金之助(嘱託教員 ・28・英語・帝国大学文科大学・80円)
⑱ 左  氏穜 ( 〃・66 ・漢文,修身・?・20円)
⑲ 近藤 元弘 (〃・48    ・漢文・?・20円)
20 久松 定恭 (書記・?    ・?・15円)
㉑ 寒川 朝陽 (〃・51    ・?・12円)
22 浜本 利三郎(雇→助教諭・31・体操・徳島中学中退・12円)


      イメージ 11    (((漱石920

↑ 夏目漱石・・と夏目金之助への辞令➔ 

(((57
漱石から猪飼に出された書状 ↑
手紙(縦約15センチ、横約51センチ)の末尾には俳句がしたためられ、俳句1句ずつを記した2枚の短冊(縦約35センチ、横約6センチ)もある。この3句のうち2句が未発表とみられる。
これらは封筒とともに掛け軸として、孫にあたる和歌山市の元会社員、猪飼弘直さんの自宅で保管されていた。


イメージ 13イメージ 14

     ↑ 猪飼健彦     ↑ 松山中学校赴任の後、和歌山県第一尋常中学校へ
                 新任した猪飼健彦に宛てた漱石からのはがき
((夏目赴任の前年教諭
夏目漱石赴任前(明治27年)の教諭一同(松山中学校)

イメージ 9
松山・東堀端停留所より城山を望む 右が松山中学校 (1900年頃)


イメージ 56
松山・県立松山中学校の校舎 (1890年頃) 

((0明治二十四年(一八九一)二番町時代の校舎
愛媛県立松山中学校 (1900年頃)
イメージ 10
愛媛県立松山中学校 (1905年頃)

イメージ 57
愚陀仏庵  (1920年頃)
愚陀仏庵
(ぐだぶつあん)
夏目漱石松山市に赴任していた時の下宿先。名称は夏目漱石の俳号・愚陀佛に由来する。
愚陀仏庵は元々、松山市二番町にあった上野義方邸の離れであった。1895年(明治28年)に夏目漱石が英語教師として旧制松山中学校に赴任していた際に下宿として利用した。
また、52日間に渡って俳人・正岡子規も居候した時期がある。

イメージ 58
明治16年3月の正岡子規ほか友人たち


イメージ 15
松山・北豫中学校(現、県立松山北高校)(1933年)

イメージ 16
松山・北豫中学校  (1913年)

イメージ 22
松山・北豫中学校  (1928年)

イメージ 55
松山・北豫中学校 全校体操 (1930年頃)
(足にゲートル巻いて、初代ラジオ体操の動作である)

イメージ 37
松山・城北練兵場と右に北豫中学校、前方は東雲神社 (1928年)

イメージ 17
(松山)雪の北豫中学校正門(現、県立松山北高校) (1930年)

●秋山好古bc
松山出身「坂の上の雲」の 秋山好古 大将閣下

イメージ 18
北豫中学校々長時の 秋山好古(1930年)
(「坂の上の雲」の秋山好古大将閣下が大正13年4月赴任した)

イメージ 41
⇧大正14年5月、元総理大臣清浦圭吾氏が来松された時記念写真。(1925年)
左から秋山好古、清浦圭吾、新田長次郎(松山大学創設者)、佐竹義文(県知事)

秋山好古は大正13年3月元帥に推薦されるもこれを固辞し、驚いた大元帥(大正天皇)は、得旨として官位従二位を授与、これを拝命し
故郷の【北豫中学校校長】に就任した。


t北豫中学校 001
北豫中学校長 秋山好古 銘の卒業証書
(卒業者名も秋山好古校長の筆跡が滲み出ている)

イメージ 19
松山・北豫中学校教諭と名簿▼ (1930年)
((●●s北豫教員名


イメージ 21
松山・北豫中学校・昭和5年卒業生131名の内、第17クラス(1930年)

イメージ 42
松山・北豫中学校 陸上部と秋山校長  (1929年頃)

イメージ 23
松山・北豫中学、第8回全国選抜中等学校野球大会準々決勝進出
(昭和6年1931)

イメージ 51
松山・北豫中学校 剣道部と秋山校長 (1928年頃)

イメージ 24
松山・北豫中学校 滑空部 (城北練兵場にて)(1940年)

イメージ 43
松山・北豫中学校 分列行進 (1943年)

イメージ 50
松山・北豫中学校 柔道部 (1928年頃)


イメージ 26
松山歩兵第22連隊兵営  (1905年)

10松山)兵営と内堀1907
松山歩兵第22連隊兵営と内堀  (1907年)

イメージ 49
松山歩兵第22連隊教練 器械体操鉄棒  (1910年頃)

イメージ 53
松山歩兵第22連隊営門  (1910年頃)

イメージ 27
松山歩兵第22連隊兵営  (1925年)


イメージ 25
松山歩兵第22連隊日露戦勝記念式  (1905年)

イメージ 28
          松山・高浜港 日露戦勝凱旋兵の歓迎 (1905年)

(((ロシア捕虜が高浜到着時
松山・高浜港へ到着したロシア兵捕虜

(((ロシア戦争捕虜高浜港
松山・高浜港へ到着したロシア兵捕虜

イメージ 30
      松山・城北練兵場のロシア兵捕虜収容所 (1905年)

イメージ 31
       松山・捕虜収容所のロシア兵捕虜 (1905年)

イメージ 32
  松山・大街道の新栄座前を散歩するロシア兵捕虜たち (1905年)

イメージ 44
  松山・道後で日本兵負傷者の家族に囲まれる捕虜のロシア将校 (1904年)

イメージ 45
  旅順から松山・勧善社収容所に移送された捕虜のロシア水兵 (1904年)

イメージ 46
 一時、収容所となった松山・正宗寺の中庭で記念撮影するロシア捕虜(1904年)

イメージ 47
   松山郊外の郡中の彩浜館で接待を受ける捕虜のロシア将校 (1904年)

イメージ 48
   松山で収容中に死亡した仲間の葬儀に参列するロシア兵捕虜 (1904年)
   遥かに興居島が望まれる

イメージ 33
       松山・捕虜収容所のロシア兵捕虜 (1905年)

イメージ 34
松山・城北練兵場のロシア兵捕虜収容所 (1905年)


イメージ 35
松山・歩兵第22連隊凱旋式 (シベリア出兵時の凱旋式と思われる)(1920年)▼
(旭日連隊旗は日露戦争からの弾丸に晒され、縁どりだけが残っている)

イメージ 29
【感状】 (感謝状)

野中支隊 歩兵第22連隊・第3大隊(第9中隊
缺)、
          同・第1第2中隊、
          同・機関銃1小隊、
          同・特殊砲隊
 
大正8年(1919)12月末、兵力約1500乃至2000を算する過軍(過激派軍)は「ムホルシビール」「マレータ」「クナレ」の各地に集団して所在、我が軍及び交通線を脅威するのみならず「トルバカタイ」以西「ウェルフネウジンスク」以東に於ける鉄道線路の被害殊に甚しきを以って、野中支隊に之が掃蕩を命ぜられ、大正9年1月2日支隊は「ペトロスキー」を発し各地に転戦すること十有五日、此の間「ニコリスコエ」に約400の敵を撃破したるを始めとし「ハラシビール」「ヒローク」河谷等に於いて、常に優勢にして頑強なる敵を掃蕩し、殊に1月12日早暁「ノーウォザルダミンスコエ」付近の戦闘の如きは、約3000の過軍の包囲攻撃を受け激戦数時間に昇りたるも、将卒克く堅忍持久遂に天明と共に猛烈なる逆襲を敢行して敵を潰乱に陥らしめ、敵の戦場に遺棄したる死体約530を算し真に懺滅的打撃を与えたるものと謂うべし、如此にして全討伐期間敵と交戦すること前後5回、敵の屍すこと実に730、我が損害は頗る僅少にして、而も連日連夜殆んど不眠不休零点下50度の厳寒と戦い一百余里に昇る積雪深き広野山嶺を踏破し、幾多の困苦欠乏に耐え、上下一致身命を擲って勇戦奮闘し、終始光輝ある戦勝を得て過軍を震骸せしめたるは、一に支隊長の適切にして周密なる画策と部下将卒の忠勇義烈なる赤誠の発露にして、其の功績洵に偉大成るものと認む、依って茲に感状を附与す。
(句読点なしの一文である)
  
大正9年(1920)2月20日
浦潮(ウラジオストック)派遣軍司令官 陸軍大将
(従三位、勲一等、功三級)     
大井 成元


イメージ 36
     松山・吉田浜海岸に捨てられた日本軍戦車 (昭和20年1945)
          (前方に釣島と興居島が遠望できる)

戦時中、松山方面(愛媛県伊予郡砥部町)に駐留していた日本陸軍戦車部隊(独立戦車第四七連隊)が、終戦後、武装解除の為、写っている進駐軍により移動したものと思われる。


●オールドにっぽん ↓↓
120年前 京都】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36756469.html
120年前 京都】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36767922.html
120年前 金刀比羅神社参道】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36783968.html
120年前 大阪・道頓堀界隈】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36795845.html
120年前 大阪】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36811686.html
120年前 神戸】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36824899.html
120年前 神戸】2  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36835780.html
120年前 神戸・有馬・城崎温泉】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36854631.html
150年前 幕末~明治の風俗】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36866385.html
150年前 幕末~明治の風俗】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36879106.html
150年前 幕末~明治の風俗】3.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36892754.html
150年前 幕末~明治の風俗】4.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36907067.html
150年前 幕末~明治の風俗】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36918040.html
150年前 幕末~明治の子供たち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36930103.html
150年前 幕末~明治の子供たち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36942689.html 
【幕末~のサムライたち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36957411.html 
【幕末~のサムライたち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36972490.html 
【幕末~のサムライたち】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36982748.html 
【幕末~明治の街道風景】箱根. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36995083.html 
【幕末~明治の街道風景】東海道 1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37008231.html 
㉑【幕末~明治の横浜風景】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37021475.html
㉒【幕末~明治の横浜市街】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37032764.html
㉓【幕末~明治の横浜市街】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37046686.html
㉔【幕末~明治の東京(江戸)市街】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37060310.html 
㉕【幕末~明治の東京(江戸風情)】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37073017.html 
㉖【幕末~明治の東京(江戸風情)】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37085904.html 

㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html 
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html 

㉙【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37125957.html 
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37140289.html 
㉛【幕末~明治の江戸城(本丸・二ノ丸周辺)】8.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37152897.html 
㉜【幕末~明治の江戸城(三ノ丸・外濠周辺)】9.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37167706.html 
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html 
59【幕末~明治の伊予・宇和島】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37595505.html 
60【幕末~明治の伊予・大洲】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37606872.html
 
【参考】
⑭松山海軍航空基地 http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966164.html 


 

保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存保存

イメージ 17

60【幕末~明治の伊予・大洲】

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

 50年ほど前に「荒れ果てて崩落寸前の伊予大洲城・天守閣」の俯瞰写真
(4層目の屋根が抜けて、梁が乱雑に剥き出しになっていた)が、パンフに掲載されていたのを見た記憶があるのですが、探しても見当たりませんでした。 見つかりましたらアップします。


イメージ 1
      伊予大洲・大洲城 (1870年)北から(荒廃により1888年解体)

イメージ 20
 伊予大洲・大洲城天守閣(先代) (1870年頃)

(大洲城1875
伊予大洲・大洲城天守閣(先代)西から (1870年頃)


イメージ 2
               伊予大洲・大洲城 東から (1870年頃)

イメージ 3
       大洲城・再建芋綿櫓(おわたやぐら) (1843年頃)

イメージ 4
       大洲城・三の丸南隅櫓(1766年の建築)  (1870年頃)

イメージ 5
         大洲市 大洲城天守閣  (2004年再建)

イメージ 21
       伊予大洲 肱川越しの大洲城  (2017年)


イメージ 18
        伊予大洲 肱川越しの大洲城  (2009年)


イメージ 6
         大洲・大洲城と肱川橋  (2014年頃)

イメージ 7
  大洲町 肘川の筏流しと肱川橋と後方富士山(とみすやま)  (1913年)


イメージ 15
       大洲古城跡之裏面(肱川河畔)  (1890年頃)


イメージ 8
      伊予・大洲 俯瞰(左上部・大洲城)  (1948年)

イメージ 19
大洲市・中央が大洲城址  (1956年)


イメージ 9
         合併による新大洲町  (1934年)

イメージ 10
大洲市・肱川橋 改修工事 (1953年)

イメージ 11
伊予大洲・肱川橋を渡る御神幸行列 (1920年頃)

イメージ 12
伊予大洲・肘川橋  (1925年頃)

イメージ 13
大洲・亀山より肱川上流を望む(臥竜付近) (1910年頃)

イメージ 14
伊予大洲・肱川下流八幡山を望む-予讃線鉄橋  (1920年頃)

イメージ 16
伊予大洲・大洲尋常高等小学校新築校舎  (1892年)


オールド にっぽん ↓↓
120年前 京都】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36756469.html
120年前 京都】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36767922.html
120年前 金刀比羅神社参道】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36783968.html
120年前 大阪・道頓堀界隈】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36795845.html
120年前 大阪】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36811686.html
120年前 神戸】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36824899.html
120年前 神戸】2  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36835780.html
120年前 神戸・有馬・城崎温泉】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36854631.html
150年前 幕末~明治の風俗】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36866385.html
150年前 幕末~明治の風俗】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36879106.html
150年前 幕末~明治の風俗】3.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36892754.html
150年前 幕末~明治の風俗】4.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36907067.html
150年前 幕末~明治の風俗】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36918040.html
150年前 幕末~明治の子供たち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36930103.html
150年前 幕末~明治の子供たち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36942689.html 
【幕末~のサムライたち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36957411.html 
【幕末~のサムライたち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36972490.html 
【幕末~のサムライたち】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36982748.html 
【幕末~明治の街道風景】箱根. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36995083.html 
【幕末~明治の街道風景】東海道 1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37008231.html 
㉑【幕末~明治の横浜風景】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37021475.html
㉒【幕末~明治の横浜市街】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37032764.html
㉓【幕末~明治の横浜市街】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37046686.html
㉔【幕末~明治の東京(江戸)市街】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37060310.html 
㉕【幕末~明治の東京(江戸風情)】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37073017.html 
㉖【幕末~明治の東京(江戸風情)】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37085904.html 

㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html 
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html 

㉙【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37125957.html 
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37140289.html 
㉛【幕末~明治の江戸城(本丸・二ノ丸周辺)】8.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37152897.html 
㉜【幕末~明治の江戸城(三ノ丸・外濠周辺)】9.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37167706.html 
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html 
59【幕末~明治の伊予・宇和島】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37595505.html 
保存保存保存

イメージ 32

59【幕末~明治の伊予・宇和島】

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

イメージ 1
         伊予・宇和島城・追手門  (1900年頃)

イメージ 2
       伊予・宇和島城・追手門  (明治41年 1908)

イメージ 5
        伊予・宇和島城・追手門  (1900年頃)


イメージ 3
       宇和島市・宇和島城・黒門櫓  (1900年頃)

イメージ 4
      宇和島市・宇和島城・黒門櫓  (1900年頃)

イメージ 33
        宇和島市・宇和島城 豊後橋  (1900年頃)

イメージ 6
        宇和島市・宇和島城・天守閣  (1890年頃)

イメージ 7
     宇和島市・鶴島城頭に聳える天守閣  (1910年頃)

イメージ 8
            宇和島城天守  (1928年)

イメージ 38
           宇和島城天守閣  (2015年)


イメージ 9
                宇和島城

イメージ 10
宇和島藩八代藩主、伊達宗城(むねしげ1818~1892)


イメージ 17
宇和島城


イメージ 11
         宇和島市街の俯瞰  (大正11年1922)

イメージ 12
         宇和島市街の俯瞰  (1915年頃)


イメージ 13
          宇和島市街の俯瞰  (1910年頃)


イメージ 39
          戦災を受けた宇和島市街 (1945年)


イメージ 14
宇和島市街  (1910年頃)

イメージ 37
宇和島市街の展望  (2014年)


イメージ 15
       宇和島愛宕山から市街を望む  (1900年頃)


イメージ 16
          宇和島市・追手通り  (1927年頃)

イメージ 18
         宇和島市・宇和島駅  (1914年)

イメージ 19
    宇和島市・宇和島運輸会社 (1910年頃)

イメージ 20
           伊予宇和島内港  (1910年頃)

イメージ 21
    宇和島市・樺崎埠頭 第一艦隊寄港記念 (大正15年1926)

イメージ 34
  巡洋戦艦・鞍馬↑と潜水母艦・駒橋が寄港した (大正15年1926)


イメージ 22
           伊予宇和島港  (1920年頃)

イメージ 36
       宇和島名所・歓楽境地築地花街  (1920年頃)


イメージ 23
  宇和島名所・ 松青く波静かなる、赤松遊園地の風光 (1920年頃)

イメージ 24
          宇和島市役所  (1925年)

イメージ 31
       伊予・宇和島郵便局落成紀念  (1920年頃)


イメージ 25
         伊像宇和島・和靈神社  (1900年頃)

イメージ 26
        宇和島名物・祭りの牛鬼  (1925年頃)

イメージ 27
   宇和島藩主・伊達四名君を祭神とする鶴島神社 (1920年頃)

イメージ 28
  宇和島市・高額予算を投じて付替えの新須賀川の大観 (1932年)

イメージ 35
      須賀の清流に姿を映す新装の御幸橋 (1932年)


イメージ 29
             宇和島闘牛  (1915年頃)

イメージ 30
    宇和島市・本邦無比の宇和島闘牛大会  (1925年頃)


オールド にっぽん ↓↓
120年前 京都】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36756469.html
120年前 京都】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36767922.html
120年前 金刀比羅神社参道】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36783968.html
120年前 大阪・道頓堀界隈】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36795845.html
120年前 大阪】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36811686.html
120年前 神戸】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36824899.html
120年前 神戸】2  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36835780.html
120年前 神戸・有馬・城崎温泉】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36854631.html
150年前 幕末~明治の風俗】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36866385.html
150年前 幕末~明治の風俗】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36879106.html
150年前 幕末~明治の風俗】3.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36892754.html
150年前 幕末~明治の風俗】4.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36907067.html
150年前 幕末~明治の風俗】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36918040.html
150年前 幕末~明治の子供たち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36930103.html
150年前 幕末~明治の子供たち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36942689.html 
【幕末~のサムライたち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36957411.html 
【幕末~のサムライたち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36972490.html 
【幕末~のサムライたち】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36982748.html 
【幕末~明治の街道風景】箱根. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36995083.html 
【幕末~明治の街道風景】東海道 1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37008231.html 
㉑【幕末~明治の横浜風景】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37021475.html
㉒【幕末~明治の横浜市街】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37032764.html
㉓【幕末~明治の横浜市街】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37046686.html
㉔【幕末~明治の東京(江戸)市街】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37060310.html 
㉕【幕末~明治の東京(江戸風情)】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37073017.html 
㉖【幕末~明治の東京(江戸風情)】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37085904.html 

㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html 
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html 

㉙【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37125957.html 
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37140289.html 
㉛【幕末~明治の江戸城(本丸・二ノ丸周辺)】8.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37152897.html 
㉜【幕末~明治の江戸城(三ノ丸・外濠周辺)】9.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37167706.html 
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 
57【幕末~明治の長崎の風光】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html
58【幕末~明治の函館の風光】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37548775.html保存保存

イメージ 5

58【幕末~明治の函館の風光

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

函館港は1859年(安政6年)に横浜港長崎港とともに日本国内で最初の(交易港)として開港した。


イメージ 1
       函館港・旅客船客送迎の光景 (1880年頃)


イメージ 2
        函館・出船入船の繁き函館港  (1936年)

イメージ 3
      函館・港内より東浜町桟橋を望む (1910年頃)

イメージ 4
           函館港の俯瞰・ (1870年頃)


イメージ 6
           函館港の展望・ (1920年頃)
  北海道の表玄関として、巨船の出入り絶え間なく繁雑を極めている。

イメージ 18
          函館港の景観 ・ (1910年頃)


イメージ 7
           函館市街の景 (1890年頃)

イメージ 9
       函館海岸通りから函館山を望む (1910年頃)

イメージ 11
           函館港の真景.  (1891年)

イメージ 24
           函館市 略図 (1913年)


イメージ 8
         函館市 中央部俯瞰 (1905年頃)


イメージ 10
            函館市街の景 (1900年頃)


イメージ 14
          函館・十字街付近  (1913年頃)


イメージ 15
           函館・十字街  (1910年頃)



イメージ 13
       函館・東部の盛り場 大門通り  (1913年)



イメージ 12
          函館・大門通の繁盛  (1914年)


イメージ 16
       函館・二十間坂より市街を望む (1905年頃)


イメージ 17
         函館・二十間坂の風景 (1910年頃)

イメージ 19
      函館・基坂(もといざか)と正面の税関 (1912年頃)


イメージ 20
     函館・基坂(もといざか)下税関の遠望 (1917年頃)


イメージ 21
      函館・湯の川ラジウム温泉場   (1913年頃)

イメージ 22
      函館・湯の川温泉場 電車待合所  (1913年)


イメージ 23
          函館郊外・湯の川温泉の街  (1913年)

****************************************************

イメージ 25
         北海道・室蘭町の全景  (1918年)

イメージ 26
        北海道・堀ノ澤・大沼公園  (1920年)



オールド にっぽん ↓↓
120年前 京都】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36756469.html
120年前 京都】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36767922.html
120年前 金刀比羅神社参道】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36783968.html
120年前 大阪・道頓堀界隈】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36795845.html
120年前 大阪】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36811686.html
120年前 神戸】1  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36824899.html
120年前 神戸】2  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36835780.html
120年前 神戸・有馬・城崎温泉】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36854631.html
150年前 幕末~明治の風俗】1.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36866385.html
150年前 幕末~明治の風俗】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36879106.html
150年前 幕末~明治の風俗】3.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36892754.html
150年前 幕末~明治の風俗】4.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36907067.html
150年前 幕末~明治の風俗】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36918040.html
150年前 幕末~明治の子供たち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36930103.html
150年前 幕末~明治の子供たち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36942689.html 
【幕末~のサムライたち】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36957411.html 
【幕末~のサムライたち】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36972490.html 
【幕末~のサムライたち】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36982748.html 
【幕末~明治の街道風景】箱根. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/36995083.html 
【幕末~明治の街道風景】東海道 1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37008231.html 
㉑【幕末~明治の横浜風景】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37021475.html
㉒【幕末~明治の横浜市街】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37032764.html
㉓【幕末~明治の横浜市街】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37046686.html
㉔【幕末~明治の東京(江戸)市街】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37060310.html 
㉕【幕末~明治の東京(江戸風情)】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37073017.html 
㉖【幕末~明治の東京(江戸風情)】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37085904.html 

㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html 
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html 

㉙【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】6. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37125957.html 
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37140289.html 
㉛【幕末~明治の江戸城(本丸・二ノ丸周辺)】8.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37152897.html 
㉜【幕末~明治の江戸城(三ノ丸・外濠周辺)】9.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37167706.html 
㉝【幕末~明治の長崎と1945長崎】  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37179815.html
㉞【幕末~明治の広島・岩国・下関】   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37192708.html 
㉟【1945年の広島被爆】      https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37206055.html 
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html 
㊵【幕末~明治の東海道・見附~岡崎】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37283893.html 
㊶【幕末~明治の東海道・池鯉鮒~京都】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37295636.html 
㊷【幕末~明治の京都】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37308140.html 
㊸【幕末~明治の京都】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37317216.html 
㊹【幕末~明治の京都・滋賀】5.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37335890.html 
㊺【幕末~明治の風俗・風情】6.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37350181.html 
㊻【幕末~明治の日光・中山道周辺】https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37363208.html 
㊼【幕末~明治の百姓の作業】 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37374002.html 
㊽【幕末~明治の大阪】3.    https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37387460.html 
㊾【幕末~明治の大阪駅界隈】4.  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37401260.html 
㊿【幕末~明治の大阪・道頓堀】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37411837.html 
51【幕末~明治の大阪・道頓堀千日前】6.

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html

52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7.   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html 

53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html 

54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html 

55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html 

56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html 

57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html 

 

 
保存保存

このページのトップヘ