第二次世界大戦中、大衆に対してもっとも影響力があったメディアはポスターでした。
国民に戦意高揚を促し、戦争参加を呼び掛けるポスターは当時、全世界で製作されていました。
当時のポスターを現代人として見返しますと「如何に時代が違っていたのか・・・」をまざまざと感じさせるものが有ります。
1930年代から1945年まで、満州事変を経て日中戦争・太平洋戦争へと突入していく15年間に製作された、日本の戦局ポスターをご紹介いたします。
「志願兵募集」「銃後の心構え」「節約と供出」「敵機来襲への備え」などのポスターで市役所、役場や警察、郵便局、集会所に掲示されたもので、国民に具体的な行動を取らせることであったのです。

「遺族へ挙国の援護」 厚生省



「空襲だ!水だ・マスクだ・スイッチだ!」
警視庁・東京市・東京府
「護れ!我が市の空を」 関東防空演習実施
横浜川崎聯合防護団
「見誤るな敵機の標識」 備えあれば憂いなし
「婦人の力で防空」 愛国婦人会
「空襲は必至! 防空へ邁進」 内務省
「都市空襲の脅威」
油断すると、消防隊の力も及ばぬ数千ケ所の発火とともに
毒ガスが来る
「空襲必至!・・疎開」(そかい=空襲から逃れ分散移転)
防空総本部・大日本防空協会
「国民防空展」 内務省・福岡県


間違ったやり方・正しいやり方
「焼夷弾の防火方法」(しょういだん=ゼリー状の燃料に点火、雨のように降って来る)
水の悪いかけ方・水の良いかけ方

「毒ガス空襲と応急避難処置」
「糜爛(びらん)ガス被毒者手当の順序」

「防毒面(マスク)の種類と用途」
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