泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

カテゴリ: 日本統治時代の台湾風光・・

日本統治時代の台湾・・⑱最南端 鵝鑾鼻ガランビ岬・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾・ガランピの風光・・   鵞鑾鼻灯台
帝国領土最南端、岸頭に立って遠くバシー海峡を見渡すとき、何人も図南の雄心、胸に躍るを感ずることでしょう。

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻灯台(帝国領土の最南端)

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              鵞鑾鼻灯台

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻灯台と鵞鑾鼻神社

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻神社
鯨骨のアーチには「奉献」と「東洋捕鯨株式会社台湾事業場」の文字がある

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台湾・ガランピの風光・・ 鵞鑾鼻灯台と同神社

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端鵞鑾鼻灯台 燭光2万7千

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻灯台遠望

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台湾・ガランピの風光・・「こんなきれいな菊目石があってよ」
  日本の最南端ガランピにて・・(後藤静香[教育家]と長女) 

  

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             鵞鑾鼻・ガランピ岬

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻灯台遠望

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻より東海岸線の遠望


● 【日本統治時代の台湾】・・・絵葉書で網羅しております。↓↓


総督府周辺・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34578043.html

台北の繁華街・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34594900.html

台湾歩兵第一連隊と台北周辺の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34620919.html

基隆港(キールン)の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34645723.html

原住民・高砂族・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34671109.html

高砂族の日常風景・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34692964.html

高砂族のスナップ・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34721221.html

高砂族の集落・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34747016.html 

台中、南投、日月潭の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34773152.html

タロコ峡谷、次高山の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34799282.html

新高山、阿里山の風光・・   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34824921.html

阿里山の雲海と神木・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34849543.html

竹筏・水牛耕作などの風物・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34873927.html

台南と嘉義の風光・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34900785.html

澎湖島の風光・・   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34927443.html 

高雄と屏東の風光・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34954462.html

台湾特産の果実・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34981879.html 

最南端 鵝鑾鼻ガランビ岬・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/35003528.html 

 




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日本統治時代の台湾・・⑰ 台湾特産の果実・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾特産の果実・・  台東名産の木瓜(パパイヤ)

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台湾特産の果実・・    木 瓜(パパイヤ)

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           木 瓜(パパイヤ)

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台湾特産の果実・・    台湾椰子の果実

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台湾特産の果実・・蓮 霧 (レンブ・無花果のようで味は林檎に似ている)

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            蓮 霧(レンブ)

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            蓮 霧(レンブ)

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台湾特産の果実・・蓮 霧 (レンブは無花果のようで味は林檎に似ている)

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台湾特産の果実・・     蓮 霧 (レンブ)

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台湾特産の果実・・    茘 枝 (ライチ 
一寸見たところは松かさの様です。酸味のあるさっぱりしたおいしいものです。

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             茘 枝 (ライチ

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台湾特産の果実・・ 釈迦頭(セッキヤ)蕃荔枝バンレイシ
セッキヤ・・・南部地方に多く産し、実の形は松かさに似て甘いクリームのような味。

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           釈迦頭(セッキヤ)

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           釈迦頭(セッキヤ)

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台湾特産の果実・・    龍 眼(ゲンゲン)
竜眼・・・椋のような実が無数に成り、種は丸く太く白く、甘い果肉が付いている。

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             龍 眼(ゲンゲン)

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台湾特産の果実・・      龍 眼

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台湾特産の果実・・台湾果実・祐(ユーアー)龍眼肉(ゲンゲン)

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台湾特産の果実・・   台湾果実の盛合わせ 

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台湾特産の果実・・    檸檬果(マンゴー)
果物の王と呼ばれる熱帯特有の果物です。すこぶる腐敗しやすく遠地への輸送は絶対出来ません。

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台湾特産の果実・・    檸 檬(マンゴー)

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台湾特産の果実・・    楊 桃 ・・味は酸味強く、李、すももの様である。

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            楊 桃(ヤンタオ)

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台湾特産の果実・・      楊 桃

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台湾特産の果実・・     パンの実
パンの実は、その味がパンの味に似ていることから「BREAD FRUIT(英語でパンの果実)」と名付けられたとか。

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             パンの実
火を加えることでフカフカのパンのように手で裂いて食べる事ができるのです。味は、パンの食感をした芋との事。

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台湾特産の果実・・   鳳 梨  パイナップル

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台湾特産の果実・・ 鳳 梨   パイナップル

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台湾特産の果実・・       バナナ

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台湾特産の果実・・    芭 蕉・バナナ




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日本統治時代の台湾・・⑯ 高雄と屏東の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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【打狗(ターカウ)】とは【高雄】の古称である。
日本統治により、「高雄」と改称されて現在に至っている。
高砂族(マカタオ部族)のタアカオ社があったことに由来する。
イギリス領事館が設置されたことで、イギリスとの貿易拠点としての地位を確立した。

日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台湾・高雄の風光・・   打狗港全景・・高雄港

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台湾・高雄の風光・・1864年英国領事館開設、5月5日、打狗港正式開埠頭

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台湾・高雄の風光・・   打狗港全景の内・・高雄港

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台湾・高雄の風光・・打狗港内岸壁工事と台東丸砂糖積込み

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台湾・高雄の風光・・   高雄港岸壁上屋倉庫

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台湾・高雄の風光・・     高雄港岸壁

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台湾・高雄の風光・・  高雄港岸壁の砂糖積込み

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台湾・高雄の風光・・     高雄港岸壁上屋倉庫

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台湾・高雄の風光・・   ↑基隆港         ↑高雄港

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台湾・高雄の風光・・     高雄港と壽山

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台湾・高雄の風光・・     打狗港内岸壁倉庫

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台湾・高雄の風光・・  高雄港岸壁クレーンの荷役

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台湾・高雄の風光・・   打狗(高雄)全景の内

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台湾・高雄の風光・・岩山より高雄第一小学校及び湊町の景観

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台湾・高雄の風光・・  打狗尋常高等小学校・・高雄第一小学校

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台湾・高雄の風光・・      高雄州庁舎

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台湾・高雄の風光・・     高雄停車場・・高雄駅

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台湾・高雄の風光・・ 東洋一の淡水渓鉄橋(対岸は屏東方面)

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台湾・高雄の風光・・    淡水渓大鉄橋の正面

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台湾・高雄の風光・・淡水渓大鉄橋(東洋第一)長さ1哩余り

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台湾・屏東の風光・・     屏 東 飛 行 隊
屏東飛行第八連隊は、昭和2年5月大刀洗飛行隊から移営したもので爆撃隊、偵察隊の両隊編成で帝国南端の守備の任に当たっている。そのモダーン兵舎と広漠たる飛行場には、遥かに旅行者の肝を驚かすに充分である。

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台湾・屏東の風光・・   製糖工場と甘蔗の列車
台湾は砂糖の国である。畑で刈り取った甘蔗は、写真の通り列車に積み込んで続々と製糖工場へ運び入れる。写真は屏東の台湾製糖会社(台糖)の工場である。




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日本統治時代の台湾・・⑮ 澎湖島の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾・澎湖島の風光・・  千人塚陸軍慰霊式の光景
【千人塚】
日清戦争中、澎湖諸島にも軍が送られています。
「千人塚」については「明治二八年二月、比志島枝隊澎湖島占領の際の戦死者其の他千余人を合祀する」とあります。
「明治二十七年、我が征台軍混成枝隊馬公城占領後、一時コレラ病発生シ、患者日々激増シ、患者総数一千九百四十五名内、死亡者一千二百五十七名、中央千人塚ニシテ門ノ左右白(1字欠)見ユルハ当時二百名又ハ三百名土葬セリ、右高地ニ見ユル石塔ハ現時陸軍墓地ナリ」としています。

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台湾・澎湖島の風光・・澎湖島陸軍墓地 俗称千人塚

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖公園松島記念砲塔
【松島艦沈没紀念塔】
澎湖諸島では日本軍の練習艦「松島」の沈没事故が発生しています。
「練習艦松島ハ南洋諸島ヲ航海シ、五月三十日碇泊中、艦尾火薬室爆発シ名士ノ子息等二百余名海底ノ藻トナリシ」と書かれています。
また、その紀念塔については「松島艦ノ首砲ヲ以テ紀念塔トシ艦ノ器具ヲ以テ建ツ」としています。また、傍らの建物は「松島記念館」であるようです。

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     明治41530日、澎湖島ニ於ケル松島沈没当時ノ光景

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖公園松島記念碑と記念館

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 馬公重砲兵連隊

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 馬公重砲兵連隊

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台湾・澎湖島の風光・・   澎湖島 馬公市街全景

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 媽宮海岸全景

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台湾・澎湖島の風光・・   澎湖島 澎湖庁舎

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島通梁第一の大榕樹(カジュマル)
         東西9間、南北18間余り

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島 通梁大榕樹(カジュマル)

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島通梁の大榕樹(カジュマル)
澎湖小唄】
水は美しく、月又冴えて、人の心は永遠の春、それは平和のホンニホラヤノ神の島。

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台湾・澎湖島の風光・・    澎湖島 観音亭

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台湾・澎湖島の風光・・    澎湖島 観音亭

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台湾・澎湖島の風光・・    東洋一の北島灯台

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             北島灯台遠望




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日本統治時代の台湾・・⑭ 台南と嘉義の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台南の風光・・        台南市街の並木

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台南の風光・・     台南市庁舎よりの眺め

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台南の風光・・    台南市 大正通り(正面に市庁舎)

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台南の風光・・  台南大正道路より台南庁舎を眺める

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台南の風光・・        台南公園の噴水

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台南の風光・・      台南公園内の滝

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台南の風光・・      台南 君が代橋

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台南の風光・・      台南城壁 大南門

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台南の風光・・      台南城壁 大南門

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台南の風光・・  台南 ゼーランジャ城  清国時代の大砲
1627年にオランダ人が造った要塞で、当時はゼーランジャ城と呼ばれました。
明の復興を掲げる鄭成功らは、このゼーランジャ城を攻め落としたことでオランダを追い出し、台湾を占領しました。
ちなみに、鄭成功は長崎の平戸で父の鄭芝竜と日本人の母の間に生まれた人物。

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台南の風光・・          開山神社
開山路にある「鄭成功」を祀る祠である。開山王廟ともいう。
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した「鄭成功」の功績を賛え、鄭が39歳で死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。


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台南の風光・・       台南 開元禅寺全景
明代末期の1642年に鄭成功が大軍を率いて台湾に渡って東寧王国を創立したが、開元寺の敷地は鄭成功の息子(鄭経)が母・薫太妃のために建てた「北園別館」で
あったのが、高官や豪商たちの社交場として使われるようになっていた。
鄭軍の敗戦で台湾が清朝に帰伏した後に廃墟になっていた。

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台南の風光・・         台南 孔子廟
この孔子廟は1665年に、鄭成功の参謀長であった陳永華の発議により建てられたといわれており、人材の育成を目的として、学問に精励する人格者をここに招聘したようである。

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台南の風光・・         孔子廟大成殿

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台南の風光・・          塩 田

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台南の風光・・   大日本製糖(株) 事務所と第一工場

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土木技師【八田与一】(金沢出身)が指揮して造られた嘉南大圳 烏山頭貯水池の堰堤・・未だに台湾から恩人への祈りに金沢への来訪が続くという。

【烏山頭ダム】(うさんとうダム) 
台南市の北東約40km、嘉南平野東方の山地に、日本統治時代の1920年から10年を要して造られた巨大ダム「烏山頭ダム」。貯水池が珊瑚の形をしているため珊瑚潭とも呼ばれる。
ダムの建設を指揮したのは、明治末期に台湾に渡った日本人土木技師、八田與一である。
彼は大学卒業後、仕事に腕を振るえる場として台湾に就職の道を選んだ。
建設以来、嘉南平野に広がる水田の水がめとして大きな役割を担っている。
ダムの堰堤長1,350m、堰堤盛土高さ51m、完成当時の満水貯水量は日本の黒部ダムの75 %に相当し、ダム湖面積は6,000haにおよぶ。またこのダムから配水する15haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設している。
さらにダム工事に伴って烏山頭に集まった約2,000人の人々のために、病院や学校を建設するなど、ダム、灌漑用水の他に地元に多くのものを残した。
現在でも地元では「八田ダム」と呼ばれている。

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           現地にある八田与一の銅像

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           八田与一・・・一家族の写真


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          現在の烏山頭貯水池 堰堤

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台南の風光・・八田与一指揮により完成した烏山頭嶺隧道 放水路出口


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嘉義の風光・・         嘉義市 栄町通

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嘉義の風光・・     北港媽祖廟前参詣者の雑踏

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嘉義の風光・・         嘉義製材工場




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日本統治時代の台湾・・⑬ 竹筏・水牛耕作などの風物・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

【竹筏】てっぱい
竹を組んだ台湾の筏(いかだ)。大陸に近い台湾西海岸に多くみられることなどから、中国南部に起源するとみられ、中国南部(さらに東南アジア)の類似の竹の筏を「てっぱい」とよんでいる。海水用のテッパイは、真竹を曲げて舳先(へさき)、艫(とも)をつくり、両側をせり上げた緩い舟型であり、帆を用い複数のさし板を用いて安定性を増す。
真竹のほかに台湾特産のシチクも部分的に用い、皮をはいだ竹に塗料を塗り、籐(とう)を用いて前端のやや短い台形に組み立てた。最も大きいトアパイ(大筏)は約2.6メートル×7メートルもあり、3年程度使用できる。櫂(かい)や棹(さお)で操作している。

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台湾の風物・・      水牛と牧童 

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台湾の風物・・     水牛と高砂族の子供 

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台湾の風物・・      水牛による開墾 

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台湾の風物・・      台湾の水牛車 

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台湾の風物・・      台湾の水牛車 

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台湾の風物・・     台湾の水牛牛車

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台湾の風物・・      水牛の放牧

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台湾の風物・・       竹 筏 (テッパイ)

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台湾の風物・・   竹筏(テッパイ)の勇壮な操船

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台湾の風物・・       竹 筏
真竹を筏に組んで、台湾南部の近海で使用されています。漁業用はかなり遠くまで出漁します。

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台湾の風物・・     竹筏を浮かべて・・
竹筏はてっぱいと呼ぶ。台湾独特の舟で特に中南部地方に多い竹竿を組んだ小舟である。大小の丸竹を適当の長さに切り、その先端を少し湾曲させ、皮をはぎ水に浸しても腐らぬように枯らして組み合わせ、籐で組んで作る。

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台湾の風物・・    龍 滑 車 (田畑に水の汲み上げ用)

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台湾の風物・・    蘭 草 園(台湾産の蘭を栽培中)

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台湾の風物・・     台湾の轎(きょう=籠)

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台湾の風物・・ ↑台湾祭典の芸台    ↑台湾名優の舞台姿

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台湾の風物・・       台湾人の露店

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台湾の風物・・     本島人家族の宮詣り 

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人




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日本統治時代の台湾・・⑫ 阿里山の雲海と神木・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。


【阿里山】
最高峰は大塔山の2663m。面積は約32700ヘクタールで、日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」が有名である。また、34月には桜が満開となり「桜の名所」としても名高い。
戦前の日本統治下、1934年に隣接する新高山とともに「新高阿里山国立公園」として日本の国立公園に指定されていた。
 【神木】
 1906年、日本の技師小笠原富次郎が3000年以上の巨大なタイワンヒノキを発見した。
 樹齢3000年を誇る「阿里山神木」であったが腐敗が進んでおり、1998629日に切り倒された、2006年に「二代目神木」を選考していた結果、現在では二代目「阿里山香林神木」が選ばれている。


        [台北]ー[基隆]
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       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
       [南投]     
[日月潭]
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[澎湖島] ーー [台南]
 
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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾・阿里山の風光・・     阿里山上にて
巨樹老幹整然として天日を見ざるもの方十数哩、天下稀にみる一大美林である。

山上には八千数百尺内外の海抜であるだけに、盛夏でも寒冷を覚える。

風景は頗る雄大で、晴れた日には新高山が揺呼の間に見え、遠くは次高山、南湖山の秀峰までも眺められ、時としては忽ち下界を覆う雲海の壮観を見ることも出来る。 
旅行者の一度は足を運ぶべき処であろう。

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台湾・阿里山の風光・・    阿里山 の全景

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台湾・阿里山の風光・・    阿里山 塔山の遠望

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台湾・阿里山の風光・・   阿里山 塔山の大断崖

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台湾・阿里山の風光・・夕日に映ゆる阿里山頂、雲海の絶景

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台湾・阿里山の風光・・     阿里山の雲海

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台湾・阿里山の風光・・    阿里山の雲海

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台湾・阿里山の風光・・    阿里山の雲海

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台湾・阿里山の風光・・  阿里山の神木(樹齢3千年)

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台湾・阿里山の風光・・     阿里山の神木

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台湾・阿里山の風光・・   阿里山の御神木(ベニヒ)
              樹齢約3千年 目通り周囲 64尺

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台湾・阿里山の風光・・    阿里山の神木




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日本統治時代の台湾・・⑪ 新高山、阿里山の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

【新高山】
欧米では、商船主・モリソン(W. Morrison)が報告したことから「モリソン山」と呼ばれていた。
日本統治時代には明治天皇により富士山よりも高い「新しい日本最高峰、3952m」の意味で新高山と名づけられた。 
 現在は「玉山」と呼称されている。
 
【阿里山】
最高峰は大塔山の2663m。面積は約32700ヘクタールで、日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」が有名である。また、34月には桜が満開となり「桜の名所」としても名高い。
戦前の日本統治下、1934年に隣接する新高山とともに「新高阿里山国立公園」として日本の国立公園に指定されていた。
【森林鉄路】 阿里山森林鉄路は、材木搬出用として敷設され、海抜2500メートルの登山鉄道として有名。


        [台北]ー[基隆]
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       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
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[日月潭]
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[澎湖島] ーー [台南]
 
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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台湾・新高山・・    冠雪した新高山の山塊

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             新高山山頂

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             新高山山頂

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         これが・・ニイタカヤマ・・

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           新高山に雲がたなびく・・・

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台湾・・ 新高山の遠望(ツオウ族祖先発祥の地より・・海抜13075尺)  

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     日月潭から見た新高山・・右奥の雲を冠した峯が新高山


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台湾・新高山・・    南方より望む新高山
    玉山又はモリソン山と称したる、日本第一の高峰なり。

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台湾・新高山・・      新 高 山

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台湾・新高山・・     冠雪の新高山遠望

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台湾・阿里山の風光・・ 阿里山より見たる新高山連峰

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台湾・阿里山の風光・・阿里山より見たる新高山連峰

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台湾・阿里山の風光・・祝山より新高山を望む(海抜2520mより)

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台湾・阿里山の風光・・阿里山公園 塔山の大断崖と操車場

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台湾・阿里山の風光・・ 阿里山の材木運搬列車

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台湾・阿里山の風光・・   阿里山の運材態勢

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台湾・阿里山の風光・・  阿里山での檜材積載




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日本統治時代の台湾・・⑩ タロコ峡谷、次高山の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

  【次高山】
  1867年に英国軍艦「シルビア号」が台湾東方海上を航行中発見した山で、以降「シルビア山」(雪爾維亞)と呼ばれていたが、日本統治中の大正12年(1923)4月16日~27日に台湾行幸中の裕仁皇太子(昭和天皇)によって「次高山」と命名された。
 標高が日本第一の新高山(3952m)に次ぐ山なので「次高山」(3884m)と命名された模様だ。(現在名は「雪山」)

 戦時中を含めて「次高タロコ国立公園」とされていた。

【太魯閣(タロコ)渓谷】
フィリピン海プレートが、東から西に圧迫する造山運動により、地割れや浸食でV字に切れ込んで生まれた大峡谷。
太魯閣国立公園内の太魯閣渓谷(タロコ渓谷)は、立霧渓が大理石の岩盤を侵食して形成された大渓谷で、奇岩怪石の眺めと水の美しさゆえ、台湾の中で最も人気のある観光地である。
「タロコ」の地名は流域の台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」を指すとも、高名な頭目の名に由来するともいう。


        [台北]ー[基隆]
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       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
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[日月潭]
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台湾・タロコ峡谷・・山麓から中央山脈の遠望と縦貫道路

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台湾・タロコ峡谷・・  山麓より中央山脈を遠望

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台湾・タロコ峡谷・・タロコ峡  チコマ山よりのセラオカ方面展望

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台湾・タロコ峡谷・・タロコ峡 次高タロコ国立公園

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台湾・タロコ峡谷・・  三角錐山 大断崖道路

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台湾・タロコ峡谷・・国立公園 東台湾タロコ峡谷
クッキリ渓両岸に切り立った大断崖の連鎖、世界一の絶壁はただ雄大と言うべきのみ、直立三千尺に及ぶものさえある。

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台湾・タロコ峡谷・・

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台湾・タロコ峡谷・・タロコ峡 合流下方の大渓谷

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台湾・タロコ峡谷・・    東台湾タロコ峡

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台湾・タロコ峡谷・・タロコ峡入口より約20丁付近

    【現在のタロコ峡谷】
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台湾・次高山(雪山)・・裕仁皇太子殿下御命名の次高山12,972尺3,884m

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             現在の次高山(雪山)・・

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             次高山(雪山)遠望・・

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             次高山(雪山)遠望・・




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日本統治時代の台湾・・⑨ 台中、南投、日月潭の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。


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       [南投]
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台中の風光・・ 台湾製糖株式会社 台中工場・・周辺にサトウキビ生産地が集中

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台中の風光・・  「富貴」酒精工場・・酒精の原料にサトウキビ

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台中の風光・・   縦貫線の台中停車場の美観

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台中の風光・・      台中バナナ市場
台中州はバナナの名産地で台中市はその集積市場。そのバナナ市場は全島第一の大きなもので、最盛期の賑わいは実に素晴らしく台中名物の一つ。

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台中の風光・・     台 中 新 盛 橋

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台中の風光・・      空中より見たる台中市

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台中の風光・・       台中市の 湧泉閣

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台中の風光・・ 紺碧に写す影もゆかしき翆境、台中公園

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台中の風光・・      台 中 公 会 堂

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台湾・南投の風光・・ ↑尾 上 橋      ↑南 投 公 園

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台湾・日月潭の風光・・  水社湖水(月潭)の風景

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日月潭の風光・・右奥の雲を冠した峯が新高山ニイタカヤマ(玉山)3,952m

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日月潭の風光・・   日月潭と後方の峯が新高山

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台湾・日月潭の風光・・   日月潭の日潭全景

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台湾・日月潭の風光・・   日 月 潭 の 景




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日本統治時代の台湾・・⑧ 高砂族の集落・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

【高砂族】
台湾原住民のうち、山地や東海岸や離島に居住し、漢人への同化が進まなかった民族を指す総称だが、現在はほとんど用いられない。
人口は約50万人。
清朝時代には「生番」、日本統治時代初期には「生蕃」と呼称されていたが、日本統治時代中期である1935年(昭和10年)64日に台湾総督府が公布した「戸口調査規定」において、先住少数民族に対する差別的呼称「生蕃」と「熟蕃」を「高砂族」と「平埔族」に改正した。
当時、学者の調査によると、衣装、風習、言葉、骨相などから16種族がそれぞれ分散集落をつくり、混在していたとのこと。

【生蕃せいばん】・・・言葉の違いなどで、中央の教化に従わない原住の人々。 第二次大戦前の日本統治時代、台湾の高山族(高砂族)のうち、漢民族に同化していなかったものをさして用いた言葉。
 
【蕃社ばんしゃ】・・日本統治時代、台湾の先住民族(高砂族)の集落や集団に対する呼称。



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       [南投]
                     [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
[澎湖島] ーー [台南]
  
ホウコトウ    [高雄]ー[屏東]
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日本の財を注ぎ、新領土「台湾建設」に携わった多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台湾・高砂族・・    タイヤル族クラス蕃屋

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台湾・高砂族・・   タイヤル族 屈尺蕃の蕃社

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台湾・高砂族・・  大甲渓上流のシカヤウ集落

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台湾・高砂族・・      リヨヘン蕃社

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台湾・高砂族・・  璞石閣高山蕃ブブヌル社(集落)

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台湾・高砂族・・       蕃 屋 風 景

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台湾・高砂族・・   日月潭湖畔の石印化蕃部落

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台湾・高砂族・・    タバホ社蕃人の住屋

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台湾・高砂族・・   カンタバン族 家屋

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台湾・高砂族・・   ガオガン蕃地のタイヤカン蕃人

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台湾・高砂族・・  ツォウ族タバン社蕃人と住家

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台湾・高砂族・・   屈尺蕃ウライ社蕃人と家屋

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台湾・高砂族・・   濁水渓流に架せる渾橋の光景
・      太い竹竿をつなぎ、組み合わせて作った吊り橋

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台湾・高砂族・・  リモカン吊橋と通行人の賑わい

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台湾・高砂族・・↑台湾土人の家鴨飼育  ↑台湾の駕籠(かご)

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台湾・高砂族・・日月潭湖上の竹筏生活と辰ノ口付近の風景




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日本統治時代の台湾・・⑦ 高砂族のスナップ・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

【高砂族】
台湾原住民のうち、山地や東海岸や離島に居住し、漢人への同化が進まなかった民族を指す総称だが、現在はほとんど用いられない。
人口は約50万人。
清朝時代には「生番」、日本統治時代初期には「生蕃」と呼称されていたが、日本統治時代中期である1935年(昭和10年)64日に台湾総督府が公布した「戸口調査規定」において、先住少数民族に対する差別的呼称「生蕃」と「熟蕃」を「高砂族」と「平埔族」に改正した。
当時、学者の調査によると、衣装、風習、言葉、骨相などから16種族がそれぞれ分散集落をつくり、混在していたとのこと。

【生蕃せいばん】・・・言葉の違いなどで、中央の教化に従わない原住の人々。 第二次大戦前の日本統治時代、台湾の高山族(高砂族)のうち、漢民族に同化していなかったものをさして用いた言葉。
 
【蕃社ばんしゃ】・・日本統治時代、台湾の先住民族(高砂族)の集落や集団に対する呼称。



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台湾・高砂族・・   生藩人頭目(酋長)の礼装

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台湾・高砂族・・     盛 装 の 蕃 娘
蕃人の娘は貝殻や象牙、金属をもって頭から耳、首、肩から手などあらゆる部分を飾り付ける。それは実に絢爛美麗である。
こうした装身具の中には台湾人や支那人から奪ったもの、または交換したものがある。

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台湾・高砂族・・    盛装せるアミ族男女

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台湾・高砂族・・   桃園庁ガオガン藩人の婦人

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台湾・高砂族・・     タイヤル族の美人

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台湾・高砂族・・      プヌン族男女

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台湾・高砂族・・     台 湾 蕃 人
        (台湾総督府施政10年記念)1905年

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台湾・高砂族・・     タイヤル族の婦人

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台湾・高砂族・・     タロコ族の美人

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台湾・高砂族・・     タイヤル族の

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台湾・高砂族・・     台湾美人の姉妹

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台湾・高砂族・・   狩猟用武装のガオガン蕃人

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台湾・高砂族・・      タイヤル族男女

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台湾・高砂族・・↑パイワン族蕃人の盛装  ↑水牛の耕作

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台湾・高砂族・・      生蕃人の夫婦

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台湾・高砂族・・    気持ちよくくつろぐ蕃人
蕃人にも、言うに言われぬやさしい気持ちを持っております。
この顔によくそれが表れております。




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