泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

カテゴリ: ○満州事変・・戦線の絵葉書

 関東軍の戦争の大義名分は、分裂、混乱している中国政府のもとでは満州地域を統治することはできないということと、その地の民族(満洲民族)を独立させるこという点にあったので、1932年3月1日、清朝(満洲民族の作った王朝)の最後の皇帝宣統帝であった【溥儀】を天津から呼びよせて執政とし、新京(現在の長春)を首都として新しい国家である満州国の独立を宣言させた。
 
この新国家は、漢人・満州人・朝鮮人・モンゴル人・日本人の「五族協和」と「王道楽土」を掲げ、独立国家であることを謳った

((1満州国王道楽土
「王道楽土」 満洲帝国 民族協和 王道政治
即位大典中央委員会

((1満州国都新京
大新京 国都建設
国政府 国務院国都建設局

((1満州国来たれ新京へ闢く(ひらく開拓
天は開け、地は闢く(ひらく=開拓) 来たれ!国都大新京へ
国政府 国務院国都建設局

((2日華満33-t
日華満共助、天下泰平

((2満州国b3
大満帝国万歳 王道之光普照全球
国軍政部

(((満州fcb3
洲建国一周年記念 大同二年三月一日
帝国政府

((5満州建国5周年
建国5周年記念  満帝国政府

(((満州事変3年
洲事変勃発満三年  9月18日

((4満州国建国5周年1938
建国5周年記念 康徳4年 国務院総務庁情報処

(((建国10周年
建国十周年  新京特別市

((6満州・旅
「旅は満」 鮮満案内所
東京丸ビル 大阪堺筋 下関駅前

(((緑茶一杯
「緑茶一杯、興亜の力」

((6満州国
「開け行く大陸、鮮満の旅 」 鮮満案内所
東京丸ビル 大阪堺筋 下関駅前

((6満州鉄道649
南満鉄道株式会社

(((満3a
延びゆく鉄道   満鉄道株式会社

((6満蒙は1935
日露戦後30年 満蒙は天日に輝く
3月10日陸軍記念日

(((満州へ
「満洲へ!」 申し込みは市町村役場、又は府県へ

((7満州開拓
征け若人! 北満の妖野へ!!
満蒙開拓青少年、義勇軍募集 (長野県)

(ha興亜博覧会
「興亜国防大博覧会」 主催 高田観光協会


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東京のコロナ感染状況と傾向線(移動平均)   3月26日現在

(昨日迄の10日間平均)
7801人×9日+ 本日 7440人÷10日= 7765人

((AM21-9^22

第6波の急拡大は2月11日に1日平均16032人
ピークまで上げ
徐々に下降中で、本日平均は7765人

急拡大から急降下中となって7700人付近で小休止中・・
おそらく徐々に下降するでしょう・・・




支那事変・報道写真⑯・・北支戦線

           1931年9月・・満州事変(栁条湖事件)
           1932年1月・・上海事変
           1937年7月・・支那事変(盧溝橋事件)

((m1937年9月1日発行
1937年・盧溝橋事件の後、北京入城風景


((m1937機械化
1937年・我が機械化部隊

((m1933年に日本軍の衛生兵、中国の承徳の戦い
1933年・日本軍の衛生兵、中国の承徳の戦いで

((m37・7盧溝橋で牟田口将軍(左2番と一木清直少佐右第1歩兵連隊将校
1937年7月・盧溝橋で牟田口将軍(左から2人目)と一木清直少佐(右)第1歩兵連隊将校

((m1937年酒井浩二将軍は、北京の占領後
1937年・酒井浩二将軍は、北京陥落後の万歳

((m1934年後半、内モンゴル
1934年後半、内モンゴルにて

((m1938年、満州の駅を出発する装甲日本軍
1938年、満州の駅を出発する日本軍装甲列車

((m1930年代に満州の鉄道から
1936年・満州の鉄道からの走行警備

((m満州 津浦戦線にて攻撃中部隊
満州 津浦戦線にて攻撃中の部隊

((m1933年、万里の長城近くで敵の武器
1933年、万里の長城近くで敵の残した武器の点検

((m1939年万里の長城に立っ歩哨
1939年・万里の長城に立っ歩哨

((m1937年に中国の万里の長城の北部
1937年・中国の万里の長城の北部で処刑されるスパイ

((mぬかるみの補給トラック(KhalkhinGol)ハルハ河戦闘、1939年
ぬかるみの補給トラック(Khalkhin Gol)ハルハ河戦闘、1939年

((m1941年、中国冬の日本軍
1941年、中国冬の日本軍

⇩ 冬の露営準備・津浦戦線 徳県にて
((m1938冬の露営準備シナ
(上)地面を掘り下げた中で食事をとる中平部隊
(中)掘り下げた塹壕は屋根を付け地下室にする
(下)親日の住職のため、支那兵に奪われた徳県礼井寺の仏像を運んでやる

((m1939年の中国の寒い冬の夜
1939年・中国の寒い冬の夜

((m1937歩兵と同志は妻シナ
1937年・歩兵と同志は妻の写真を見ながら談笑

((m愛馬と共に
1937年・愛馬と共に・・


((m1938年日本軍の馬、中国戦線
1938年・日本軍の軍馬、中国戦線で

((m1938年7月中国の民間人から日本軍の兵士が道を
1938年7月・中国の民間人から日本軍兵士が道を尋ねる

((mWinter, China, 1939.
1938年・冬の市街地で野営明け

((m1938黄河氾濫の被害民の群れ
1938年・黄河氾濫の被害民の群れを保護中




満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑬ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】


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↑ 東北辺防軍の捕虜の一部

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↑ 南嶺占拠の殊勲者、早川聯隊長と名誉の連隊旗

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(右)敵軍退却に際し大凌河橋脚を破壊したので、補修中の我が鉄道○○隊
(左)朝陽に於ける曲射砲陣地、潰走する敵に向かって一斉射撃


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↑ 日本軍の錦州入城を歓喜して迎える錦州支那市民


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↑ 北大営の戦場にひるがえる日章旗と延焼する敵兵舎


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↑ 猛煙の揚がる北大営の敵兵舎の遠望


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↑ 日章旗の立つ北大営内の我が警備兵


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↑ 盛んに燃えつつある北大営兵舎と支那避難民の集団保護


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↑ 我が部隊の匍匐前進


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↑ 歩武堂々、皇軍の吉林入城


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↑ 我が軍占領の東北航空隊格納庫の支那機      ↑ 我が軍占領の東北飛行場

【満州事変】・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 ↓

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28707160.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28719202.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28732496.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28744676.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28752957.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28769345.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28787023.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28799505.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28854609.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28873871.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28938943.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28970959.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/29010691.html 

 



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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑫ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】
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 ↑ 旗護中隊の威容

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          ↑ 機関銃隊                       ↑ 迫撃砲隊

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↑ 見渡す限り雪の広野に、突撃命令を待つ我が○○隊

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↑匪賊の逆襲に応戦する我が軍        ↑陣中司令部に於ける、鬼将軍と呼ばれたる
↑第四招州河を護って行進する我が軍      多門師団長以下幕僚の勇姿
↑寒風肌を刺す北満の広野に活躍する我が飛行隊
↑昭和7年正月3日午前7時、我が騎兵隊の錦州初入城

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↑ 昭和7年1月3日、錦州城にひるがえる依田旅団血染めの日章旗


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↑ 世界戦史に誇る雪の大進軍を敢行、天嶮熱河を征服せる我が自動車隊の躍進


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↑ 後依拉巴付近の大平原で黒竜江軍を追撃中の我が○○連隊


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↑ 雪の塹壕中より全軍に指揮する早川大隊長


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↑ 古北口より潰走する敵軍に猛撃を加える我が部隊


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  ↑激戦地における我が負傷者の手当       ↑我が軍、看護隊の活躍



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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑪ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 溝精子に元旦を迎える多門師団長(中央)

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↑ 寛城子攻撃中の我が連隊本部 (昭和6年秋)

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↑ 我が軍、威風堂々のチチハル入城の壮観

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↑天気晴朗、万里の長城、角山寺付近の我が強行軍  ↑我が守備隊、秦皇島海岸に元旦を迎え祖国遥拝
↑機関車を守る我が勇壮なる守備兵             ↑逃げ遅れたる匪賊3名と連れ去った牛
↑【絵葉書の都合で・・・横向きご容赦】


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↑ 巨流河鉄橋の我が軍の防備

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↑ 我が軍の迫撃砲射撃体勢

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↑ 突撃!突貫! 敵の射撃を乗り越えて進撃中の我が部隊

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↑ わが国の避難民を収容する満鉄公所の我が警備兵

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↑ 難路強行軍する我が輜重兵隊(しちょうへい=物資輸送)の大行李小行李

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↑ 吉林駅頭の我が皇軍


(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑩ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 我が軍が侵入直後の、東北辺防軍司令長官公署

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↑ 延々長蛇、白雪累々たる広野、金家塞より馬家塞に向かう我が軍

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↑威風堂々の皇軍の朝陽入城(朝陽門通過中)   ↑○○城門、激戦の跡

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↑ 敵陣地で我が軍が奪取した青天白日旗   ↓(白日のバックの色は青色の筈です・・・)

             イメージ 11  ←・・・中華民国・国旗


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↑昂々渓付近で馬占山を進撃中の我が装甲列車  ↑我が軍に破壊された昌庸付近、紅頂山の兵営

↑重大任務をおび、我が通信隊の前進         ↑奉天市街、我が軍機関銃隊の活動 

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↑ 鈴木師団長(右)とその幕僚、○○方面へ出動

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↑ 土塀を乗り越えて突撃する勇敢なる○○隊の勇士

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↑ 昭和6年12月27日、皇后陛下より御下賜の真綿伝達式、山海関で行われる



(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑨ 昭和6年(1931)~7年

 昭和6年(1931)9月18日、夜10時半、満鉄線が奉天市(現・瀋陽市)近郊の柳条溝付近で線路が破壊され、これを契機として駐屯していた関東軍が動き始め、満州事変の発端となった。

 この現場周辺の・・報道絵葉書です。


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↑歩武堂々、我が軍の奉天入城

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↑支那兵に破壊されたる柳条溝付近   ↑事変の契機をなせる満鉄立体交差付近の破壊の跡
           9月19日午前10時・・・レールの湾曲状況


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↑ 奉天市、商埠拉付近に於ける我が軍の駐屯  (9月19日正午)

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↑第19連隊自動車隊の活躍   ↑出動せんとする我が野砲隊 (9月19日午後2時 瀋海駅前)


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↑ 大西正門通りに於ける我が軍の警戒線 (9月19日午後0時40分)


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↑ 奉天駅頭の我が軍                   ↑ 奉天駅全景

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↑奉天ヤマトホテル全景     ↑ヤマトホテル前に到着せる第16連隊の勇士

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↑ 北大営付近に於ける我が軍の活動

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↑ 奉天城と商埠拉の境界線防御

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↑夜中の警戒に当たる奉天警察署員の出動       ↑自衛兵の警戒



(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑧ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 我が機関銃隊の猛射


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↑ 進軍ラッパ勇ましく威風堂々の皇軍、承徳入城

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↑ 威風堂々の皇軍、承徳入城  (昭和8年3月4日午前10時20分)


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↑ 日章旗を挙げて皇軍を迎える、承徳の児童

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↑万里長城角山寺付近を強行軍で錦州へ向かう我が軍  ↑列車内で負傷兵看護の赤十字隊
↑山海関に於ける勇敢なる我が迫撃砲隊        ↑錦州方面に驀進する我が装甲列車


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↑ 支那兵の遺棄した機関銃
 (北大営内)


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↑ 我が奉天市公所と精鋭  (昭和6年9月)



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↑ 狸頂子の独立守備○○大隊の戦闘

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↑ 森独立守備隊司令官と河村連隊長との三台子頂上よりの観戦

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↑ 馬占山軍より捕獲した戦砲を、厳寒に単身守護する我が歩哨


(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑦ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 破竹の勢いをもって昂々渓を占領せる我が軍の万歳

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↑我が名誉の負傷兵を看護の長春満鉄病院     ↑奉天東北飛行場に於ける我が空軍の活躍
↑楊尉子方面の馬賊討伐に向かう独立守備隊    ↑占領したる昂々渓

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↑ 寛城子戦占拠後の我が軍の引き上げ


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↑ 過ぎし日に勇躍渡満の途に上る郷土部隊・・・三重県 津市 (歩兵33凱旋記念)

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↑ 匪賊討伐の命下り北満の広野を驀進する郷土部隊・・・三重県 (歩兵33凱旋記念)

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↑ 拉林河 渡河                         ↑ 秋季討伐

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↑朝陽に於ける曲射砲の一斉射撃      ↑関東軍司令部及び本庄関東軍司令官


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↑ 吉林にて命令を待つ我が軍の主力

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↑ 我が軍は鉄道を爆破せんとする四挑線の馬賊を撃退す

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↑ 天嶮古北口にこもる敵軍を、殲滅すべく命令一過、我が軍の猛撃



   (今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑥ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 閲兵式

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↑ ハルピンに於ける多門師団の精鋭、入城閲兵式

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↑ チチハル入城行進


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↑ 支那奉天軍正規兵の捕虜

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↑ 湯樹子西方の馬賊討伐に向かう我が独立守備隊

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↑ 北満の荒野を縦横に馳せ、馬賊討伐に向かう我が騎兵隊

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↑ 高子台の戦に最後まで抵抗して、捕らえられた馬賊

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↑ 獰猛なる敵兵の捕虜と、これをとりまく我が兵士

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↑ 難関古北口の敵軍を撃滅すべく、黄嶺山上より攻撃中の我が部隊

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↑積雪の北満白旗方面の我が歩兵散兵布陣      ↑楊尉子方面の馬賊討伐に向かう我が騎兵隊
↑東北方面軍司令長官公署付近の市街戦        ↑奉天軍正規兵の捕虜運搬


(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑤ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 万里の長城、角山寺付近の日本軍、山海関守備隊の万歳

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↑ 天嶮熱河の大砂丘を、堂々進撃中の我が部隊


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↑ 軍旗を中心に突撃命令を待つ我が部隊


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↑ 陸戦隊、杷子路付近に於いて敵を撃退す


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↑ 三義里付近に於ける、迫撃砲の奮戦


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↑ 奉天城内占領後の我が将兵の休養 (昭和6年9月)


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↑ 久しぶりの飯盒炊爨・・・昂々渓付近にて

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↑ 積雪の北満白旗保付近の、我が歩兵散兵陣地


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↑ 世界戦史上未曾有の迫激戦を敢行せる皇軍の○○隊


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↑ 錦昂方面進撃の戦闘命令を発する独立守備大隊長



(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書④ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 軍用プラットホームでの乗り込み風景


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↑ 事件現場、柳条溝付近か? 満鉄線爆破現場を視察する各国武官


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↑ 鉄橋守備の日本軍

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↑ 保線監視と厳戒

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↑ 長春方面へ進発する我が○○部隊


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↑ 列車を利用して前線へ出動中の我が大行李隊


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↑ 黒龍江、馬占山軍を撃滅して、昂々渓付近に於いて装甲列車により迫撃中の我が軍


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↑ 昭和7年1月3日 錦州駅に威風堂々到着せる中島連隊


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↑ 朝陽入城三将軍の歴史的シーン (右より鈴木、川原、西師団長)


(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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