泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

カテゴリ: ○ 領土問題

南沙諸島(スプラトリー)における中国の活動・・防衛省最新版

 南支那海の北部にある西沙諸島(パラセル諸島)、中央部にある中沙諸島、そして遥か南部ボルネオ沖の南沙諸島(スプラトリー諸島)があります。
 これ等の諸島は【ベトナム】【マレーシヤ】【フィリピン】【台湾】【中国】等の所有権争いが続いている中で、中国領としている島嶼は、ここ数年の間に大規模基地化が進められました。
 
 
 西沙諸島の基地化は、相当大規模なものとなっておりますが
、以下、南沙諸島のみではありますが、その実態を見てみましょう。

防衛省版より↓

http://www.mod.go.jp/j/approach/surround/pdf/ch_d-act_20151222.pdf


http://www.mod.go.jp/j/approach/surround/pdf/ch_d-act_20151222e.pdf


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1-1.南シナ海における中国の進出
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1-2.中国の進出に際しての交戦事例
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 【参照】ジョンソン南礁の惨殺 ↓【1988.3.14】
ベトナムが支配していた南沙諸島の、赤瓜礁(ジョンソン南礁)の渚に立って守備するベトナム兵に向かって、中華人民共和国は艦艇から、不意打ちの機銃掃射攻撃をしかけ、ベトナム水兵78名以上が死亡した。 現場実写!
この海賊並みの卑怯な戦闘で、中国は赤瓜礁(ジョンソン南礁)を武力で奪取、中国の占領地として現在に至る。


1-3.最近の中国の軍・海上法執行機関等による活動の事例
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2-1.中国による南沙諸島の占拠状況(埋立前)
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2-2.中国による南沙諸島の占拠状況(埋立後)
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2-3.中国の南シナ海における岩礁埋立動向
1.ジョンソン南礁
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1.ジョンソン南礁
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2.ヒューズ礁
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2.ヒューズ礁
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3.クアテロン礁
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3.クアテロン礁
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4.ガベン礁
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4.ガベン礁
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5.ファイアリークロス礁
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5.ファイアリークロス礁
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6.スビ礁
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6.スビ礁
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7.ミスチーフ礁
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7.ミスチーフ礁
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3-1.中国の埋立の速さ・規模に関する指摘
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3-2.埋立地の「軍事化」等に関する指摘
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4-1.南沙諸島の港湾建設が及ぼしうる影響
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5-1.中国とフィリピン、ベトナム、マレーシアの海上航空戦力比較
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5-2.フィリピン、ベトナム、マレーシア等による開発動向
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5-3.米国等の南シナ海における取組み
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● 南シナ海における中国の活動・・防衛省版・・南シナ海埋立状況

中国が南支那海で着々と布石を固めています。
これが中国海軍の侵略戦法の実体の全てでしょう。
「先手必勝、あとは既成事実」という独善的な常套手段の中国。

あの国に「正義」なんて有ろうはずが無いのです。

無人島「尖閣諸島」に於いても、上陸されれば既成事実!・・・

心しておきましょう。

防衛省版・・よりhttp://www.mod.go.jp/j/approach/surround/pdf/ch_d-act_20150529.pdf


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【各々画面拡大できます】
1-1 中国の南シナ海における進出
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1-2 中国の進出に際しての交戦事例
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  【参照】ジョンソン南礁の惨殺 ↓【1988.3.14】

ベトナムが支配していた南沙諸島の、赤瓜礁(ジョンソン礁)の渚に立って守備するベトナム兵に向かって、中華人民共和国は艦艇から、不意打ちの機銃掃射攻撃をしかけ、ベトナム水兵78名以上が死亡した。現場実写!
この海賊並み戦闘で、中国は赤瓜礁(ジョンソン礁)を武力で奪い、中国の占領地とした。


1-3 最近の中国の軍・海上法執行機関等による活動の事例
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2-1 中国による南沙諸島の占拠の状況(埋め立て前)
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2-2 中国による南沙諸島の占拠の状況(埋め立て後)
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3-1 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
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        中国が埋め立てを進めている岩礁

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南シナ海で中国が埋め立てを進めるケナン礁(西門礁)=2015年5月
右下で建設が進められていた6階建ての建物からは足場が取り払われ、完成が近づいているとみられる



3-2 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ジョンソン南礁
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3-3 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ヒューズ礁
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3-4 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   クアテロン礁

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3-5 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ガベン礁
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3-6 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ファイアリークロス礁
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3-7 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   スビ礁

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3-8 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ミスチーフ礁

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4 南沙諸島の基地化による中国のプレゼンスの増大
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5 中国とフィリピン、ベトナム、マレーシアの海上航空戦力比較
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6 フィリピン、ベトナム、マレーシア等による開発動向
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●「尖閣群島」表示の中国発行(1969)地図・・・

 それは日本呼称の「尖閣群島」の表示であり、釣魚島ではなく日本呼称の「魚釣島」表示の地図を、毛沢東政権下の1969年に中国国土地理院にて発行しておりました。
つまり、1969年までは日本領土として認めていたのです。

1969年(昭和44年)5月に国連アジア極東経済委員会が発表した「東シナ海の海底調査」により日台周辺は「世界的な産油地域になるであろう」と石油資源が眠る可能性を示した。 これを契機として・・

1971年6月11日・・台湾が尖閣領有権を主張
1971年12月30日・中国も尖閣領有権を主張するに至ったのです。

これが「日中領土問題」発生と「釣魚島
(チョウギョトウ)」呼称の事始めなのですね。
兎に角、中国は大国なんて名ばかり・・いつの世も「相手に隙あれば・・掠め取る」主義の卑怯で根性の汚い国なのです。

 日本のメディアは「週刊新潮」3月5日号しか取り上げていませんが、見開き2頁だけで写真も小さく、確認不十分なため、拡大して取り上げました。

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           1967年發行の米軍地図
    日本呼称で尖閣群島表示、魚釣島表示  (Jap.)の領土表示

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1969年中華人民共和國國家測量総局發行地図・尖閣群島表示、魚釣島表示
              日本呼称表示

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   尖閣群島・魚釣島と日本呼称で発行している(中国国土地理院発行)
                ↓         
【見開きの2頁記事】
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週刊新潮・・2015年3月5日号

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週刊新潮・・3月5日号

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    1969年に中華人民共和国・国家測絵総局発行の原本
    毛沢東語録つまり説明注釈付きです。


  これも中国版地図関連資料(呼称表示に注意)
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  1958年11月 北京地圖出版社編輯部編地圖「日本之部」に
  魚釣島表示、日本領土の內、尖閣群島表示


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      1960年代の中国海図 尖閣群島表示、魚釣島表示

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  この中国地図から「尖閣群島」(日本名呼称)の文字が消去された。
1972年北京地圖出版社發行、福建省台湾省政區地図中,台湾右上の1、2の数字。  地図左下欄外に小字で説明・・1、釣魚島 2、赤尾嶼。



【参考】外務省↓

日本の領土をめぐる情勢・・http://www.mofa.go.jp/mofaj/territory/index.html


【参考】中国主張↓(明時代に島を見て航海したという記録がある・・)

釣魚島はなぜ中国固有の領土なのか・・http://www.peopleschina.com/zhuanti/2012-09/11/content_481680.htm


【参考】↓ (日本領土と認められる証拠の数々)

尖閣諸島・・改ざんされる尖閣地図・・外務省の怠慢!・・http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30004744.html

尖閣諸島・・放置するから付け込まれる・・政府の怠慢!・・http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/29993078.html


【後日補足】
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2015・3・16読売夕刊記事・・中国政府地図に「尖閣群島」表示

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2015・3・18 読売朝刊4面↑中国政府発行のこの一枚が重要証拠だ!
(ある訳けないのに、1000枚でも探し出せると、子供並みの強がりです)




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めんそーれ沖縄・ちゃんねるLEGO平成25年2月2日(土)放送の「チーム沖縄密着24時沖縄県庁前」より一部抜粋です。
中国共産党沖縄街宣部友の会が「中国とともに沖縄を放させよう」と訴えています。

沖縄県庁前で「中国国歌」を鳴らし、五星紅旗をなびかせ、習近平ポスターを掲げた街宣車が、香港なまりの大音響で『中国共産党と共に、沖縄を解放しましょう!』堂々と街宣しているぞ。  これでいいのか??

公安当局もさることながら・・・
マスコミが報道しないのも不思議なことよ。 どうかしてるぞ沖縄!

ニコニコ動画 →→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm19979553


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2月3日の・・・そこまで言って委員会より
日本の問題点を突く!

① 眼を覚ませ! 沖縄!・・・恵 隆之介が語る
    ・・衝撃の事実を見よ!・・↓
② 従軍慰安婦は捏造だ!・・・池田信夫
③ 阪神タイガース暗黒時代だ・・・野村克也
④ 妄想平和主義者が増加中・・・百田尚樹
⑤ 北方領土で!日露首脳会談を開催せよ・・・木村三浩

http://himado.in/128279    ← ← ←

 
 中国国内では「沖縄は日本の領土ではない」「沖縄の人々の75%が日本からの独立を希望している」「中国は琉球の独立を支援しなければならない」といった虚偽に基づくプロパガンダが流布されつつあり、2年前の秋の反日デモでは「収回琉球、解放沖縄」(琉球を奪還し、沖縄を解放しよう)という横断幕も出現しています。
 そのかたわら中国は急速に軍拡、特に海軍力の増強を進めているのです。




前記事の最終章に記述のとおり、鬱陵島のすぐそばに于山島があり、それは竹島(チュクド)といいます。
だから話がややこしくなる・・・


彼らは・・
古地図も古文書も全て漢字だらけで、解読不能に至っています。
于山島 〓 竹島(チュクド)、 独島(ドクト) 竹島(タケシマ) 
ですから、彼等の思考回路が混乱する筈ですね。

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 ⇧ 鬱陵島のすぐ東にある于山島
   現在竹島(チュクド)といわれてるよう です。



この鬱陵島の東南東方向92km先に、島根県、竹島が在るのです。


あっちの、2chもどき討論をそのまま貼ってみますと・・ 
読んで見るためのヒント鬱陵島のすぐそばに于山島っていうのがあります。=その島の名は竹島(チュクド)
 
 
 
 グランド労組米 2012/07/23 14:27
余技で于山島は独島(ドクト)でなく竹島(チュクト)だ。韓国にはウサン島を独島(ドクト)として描いた古地図は一枚もない。
 
  2012/08/12 10:30
http://blog.naver.com/kskimpak?Redirect=Log&logNo=90131110967&from=postViewに大韓地誌に対してポスティングしたのがあると参考にして、疑問点あればおっしゃって下さい。 参考までに、日帝強制占領期間の時(1930年)日本の歴史学者ヒマダケセコ(桶畑雪湖)は学術雑誌「歴史地理」に、実は論文「日本海にある竹島の日韓関係に対して」で朝鮮の東端を次の通り記述しています。“竹島と欝陵島はいま朝鮮江原道に属する朝鮮の領土であり、日本海の最東端に位置している” (竹島(独島ドクト)と鬱陵島(ウルルンド)は今朝鮮の江原道(カンウォンド)に属する朝鮮の領土であり、日本海の最東端に属している)
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 13:52
この上の資料で話す竹島(チュクト)は、現鬱陵島(ウルルンド)そばの竹島(チュクト)です。
 
 風 2012/08/12 14:36
君は宇宙のホコリさんは、日帝強制占領期間(1930年)資料だと明らかにしましたが、 1905年に日本が独島(ドクト)に竹島(漢字で竹島(韓国語発音で竹島(チュクト)))という名前を付けて今まで独島(ドクト)を竹島だと呼んでいるが鬱陵島(ウルルンド)そばの竹島(チュクト)なんですか、 日本の人々が鬱陵島(ウルルンド)から2.2kmの距離にある韓国の竹島(チュクト)を竹島だと呼ぶことはしません。 '竹島'という漢字語を日本語発音に変えれば竹島になるということですが、日本学者が何の理由で鬱陵島(ウルルンド)そばの小さい島、韓国の竹島(チュクト)に対して論文を書くでしょうか?
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 14:59
何か反論はありますか。鬱陵島(ウルルンド)そばの竹島(チュクト)という島名は1899年皇城新聞でも登場します。もちろん1899年皇城新聞の竹島(チュクト)という島名は1899年対韓支持に添付された対韓前渡を基に使われた記述です。 古くから竹島(チュクト)と呼ばれて、あそこで語られる竹島(チュクト)は、鬱陵島(ウルルンド)そば竹島(チュクト)です。
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 15:02
そして日帝強制占領期間だとおっしゃったが、1930年は大韓帝国(または朝鮮)という国自体が存在することがなかったのに朝鮮の領土なんですか。日帝強制占領期間に朝鮮というのは、新生国で独立でもしたという話に聞こえますね?
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 15:06
その上に当時、130度35分が鬱陵島(ウルルンド)位置でないとしたようだが、その座標は鬱陵島(ウルルンド)を測量した実測のようです。かえって大韓帝国は独島(ドクト)に対する直接的実測が成し得なかったという反省にもなりますね? 自身の領土と疆域の正確な位置も把握できないまま、外国に記録に依存して作成された不利な文書は否定して、自国韓国に有利だから要件に合う理論を選択をすることですか?
 あと略・・
 
  2012/08/12 17:43
君は宇宙のホコリだけさん、日帝強制占領期間に、日本人が我が国を何と呼びましたか? 日本だと呼びましたか? 日帝強制占領期間に、日本人たちが作った文書や地図などの‘朝鮮’は日本本国扱いしましたか? そして‘朝鮮の領土’というのは、私がした話と違って日本歴史学者が使った言葉ですよ。
 
  2012/08/12 17:44
君は宇宙のホコリだけさん、大韓帝国が独島(ドクト)を直接的に実測できないのは当然ですね。 当時大韓帝国がそのような能力があったとすれば我が国歴史がどのように変わったかも知れないでしょうね。 力がなくて座ったまま、日本に国を差し出した大韓帝国が自国の領土と疆域の正確な位置を把握する能力がなくて、隣国本を参考にしたのが何より大きな罪ですね。
日本も一時は自らの測量技術がなくて外国地図をそのまま書き写して、そうするうちに150年余りの間認識してきた、二島の名称に対する混同まで起こしたりしたが.... 外国に記録に依存して作成された不利な文書は否定して、韓国に有利だからそれに合わせるという取捨選択をしますって? 以前にどんな日本人もが私にした話しと全く同じですね。 私は事実に立って話しただけで、有利なことだけ選んで取捨選択したことありません。 私は根拠を持った話をしました。
 
 風 2012/08/12 17:45
君は宇宙のホコリだけさん、何が目障りかと尋ねるのか分からないでしょうね。 独島(ドクト)が鬱陵島(ウルルンド)の附属島嶼として一石を投じることもないでしょうか?  ウサン島=は日本の資料を通じても立証になります。 我が国はかなり以前から鬱陵島(ウルルンド)にスェファンジョンチェクを実施したし、鬱陵島(ウルルンド)の向こう側にある無人島である独島(ドクト)に行くことがなかったので二島の記録が充分でなくて、二島に対する混同があったとのことも事実です。 しかし日本はそうではありませんね。 日本がかなり以前から鬱陵島(ウルルンド)周辺をむさぼったし、日本が相対的に我が国より多い資料を有しているのはそれにともなう結果です。韓国資料に対する批判も必要なのですが、日本側資料を勉強すれば独島(ドクト)は韓国の地という結論が出ます。
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 17:47
1908年増補文献備考余地で19冊=ウサン島と鬱陵島(ウルルンド)が蔚珍(ウルチン)東側350里にあって二石で一つがウサン島だ。 今は鬱道郡(ウルドグン)になった。→ぴったり今の竹島(チュクト)です。 その上に余地で==>誰が編纂したチェギオットンガヨ??? ウサン島は倭人が語る松島(ソンド)だ==>だと本に書いた人はシン・キョンジュンです。  東国文献備考チュングァンよ。 満期ゆりかごなど全部シン・キョンジュンの叙述から出てきたものですね。 シン・キョンジュンがウサン島の位置がぴったり蔚珍(ウルチン)東側350里今の鬱陵島(ウルルンド)のそば竹島(チュクト)だとぴったり明示していますが?
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 17:49
その地理学者が竹島(チュクト)と使ったので、竹島と言っても鬱陵島(ウルルンド)そば竹島(チュクト)という島があります。 二つの同じ竹島(チュクト)という島があるのに、その地理学者が竹島をもって竹島(チュクト)と称したことですか。 根拠はあるんですか? 何を根拠にそのような話をしているのか?
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 17:50
"独島(ドクト)が鬱陵島(ウルルンド)の附属島嶼として一石で見ることもないでしょうか?" このような一方的仮説をたててみて信じろというのですか? 自分が結論出して同調しろとの強圧を強要してる根拠を出して下さい。  真下に出てきた増補文献備考でも正しく書いていますね。 1908年増補文献備考余地で19冊=ウサン島と鬱陵島(ウルルンド)が蔚珍(ウルチン)東側350里にあって二石で一つがウサン島だ。 今は鬱道郡(ウルドグン)になった。 =>ぴったり今の竹島(チュクト)です。 ==>余地でシン・キョンジュンが編纂しました。知りませんか?
 
  2012/08/12 18:12
君は宇宙のホコリだけさん、こういうものにも根拠が必要ですか? 竹島だから独島(ドクト)でしょう。説明があえて必要ならばしますよ。 日本人たちの言う竹島という島は独島(ドクト)だけです。 日本では我が国竹島(チュクト)を竹島だと呼ばないです。 我が国竹島(チュクト)は日本ではウルルンドの一部ですよ。(イガ島)又は(まの島orマノ島)と昔には呼んだといいます。
今の名称は分からないが、明らかなのは竹島だと呼ばないでいるということです。 1905年以後に日本の人々が呼んだ竹島は独島(ドクト)でなければなりません。 論文の題名が“日本海にある竹島の日韓関係に対して”です。 日本の人々が鬱陵島(ウルルンド)そばの竹島(チュクト)に対して関心を持ったことがありますか? この論文の竹島は独島(ドクト)というものは日本人たちも自国領土と認めることであるから、そのまま信じられてもかまいません。信じなければできませんね。
 
 君は宇宙のホコリだけ 2012/08/12 18:16
1908年増補文献備考余地で19冊=ウサン島と鬱陵島(ウルルンド)が蔚珍(ウルチン)東側350里にあって二石で一つがウサン島だ。今は鬱道郡(ウルドグン)になった。=>ぴったり今の竹島(チュクト)です。==>余地でシン・キョンジュンが編纂しましたシン・キョンジュン分からないですか?  これは、とても重要度が高いこと分からないですか?  これ"ウサン島は倭人が話す松島(ソンド)だ、"シン・キョンジュンに関連したことです。
 
 チンマンドゥ 2012/08/13 09:17
この地図、気に入れば重要な資料です、気に入らなければ無視しますか? 君は無視?

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 チンマンドゥ 2012/08/13 09:21
また、お前が根拠に提示したほどの古文書には http://blog.naver.com/cms1530/10016188531 竹島(チュクト)は明治38年2月日本の新領土で銀器導師のクァナに戻る。
これという文面があるよ。 でも明確におかゆ書道と独島(ドクト)を日本地理学者も混同しているという証拠であるだけなのに・・、これを主張の根拠に出すのは無脳なので・・ また無視。














 チンマンドゥ 2012/08/13 09:23
そして、ヘドが出そうと避けるでしょう、恐ろしくて避けますか? '逃げるとどうなるかな・・・.'風様にある精神的勝利を目を開いて見たくなくて、またまた、無視とかの主張は君のブログでして下さい。
 
  2012/08/13 12:12
俺が上の文で“日本人たちに竹島という島は独島(ドクト)だけです."と書いたが、訂正します。 竹島は独島(ドクト)で私たちに広く知られているが、日本には竹島という名前の島が非常に多いようです。 それで“韓国が竹島を韓国の地という”といえば、竹島が独島(ドクト)なのを知らずに、他の竹島という日本の島と考えて、韓国がおかしな主張をすると考える日本人たちも時々居ると聞いたのを思い出します。 独島(ドクト)に関連しては竹島は絶対的に独島(ドクト)で、鬱陵島(ウルルンド)そばの竹島(チュクト)が日本の竹島ではないとの意で申した言葉です。
 

2chもどき
minaQのつぶやきより転載  http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/9627191.html






 1969年5月に国連アジア極東経済委員会が発表した「東シナ海の海底調査」により日台周辺は「世界的な産油地域になるであろう」と石油資源が眠る可能性を示した。  これにより
1971年6月11日に・・・「台湾」が尖閣領有権を主張
1971年12月30日に・・「中国」も尖閣領有権を主張するに至ったのです。


 中国・台湾両国は、この時以降発行する地図には、巧みに日本との国境線を尖閣を取り込む描き方をして、更に「魚釣島」表示を中国読みの「釣魚島」表示に変更し、日本呼称の「尖閣群島」表示を抹消するなど、既成事実捏造に暇がありません。
 これらは地図印刷所が許可無く処理しているものではなく、国家の指示に基づいて、それなりの陰謀のもとで行われている行為は明確な事実なのです。 
 大国の面をして姑息な行動が常態化している、正に独善国家のなせる業です。

 在中国・日本大使館は中国で発行される地図を、逐次チェックしているのでしょうか? 国益に適った任務を追行しているのでしょうか?
 もっと、外務省はがつがつ疑問を指摘して、中国の不正を正してみろよ!
 大使館・外務省さえ、しっかりしておれば、中国の戯言など論破できている筈です。

 「隙あらば掠め取る姑息な中国」に対して「意志薄弱の日本政府」は、この時とばかりに「いいカモ」にされているのが判らんのか?

 先送りは波乱の礎、嘘でも百年言い続けると、真実になってしまうのですぞ!。

 以下、「泥棒国家・中国」の詐欺まがいの手口を、地図上で見てやってください。


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1879年 琉球藩廃止、沖繩縣開設時。
1879年3月 松井忠兵衛編製、內務省審查通過出版大日本全図魚釣島列嶼図
魚釣島=和平山、南小島=凸島、久場島=黃尾嶼、大正島=嵩尾嶼。



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     1946年1月29日より米国統治時代の琉球・奄美諸島図


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1971年6月17日調印
1972年5月14日・・日本へ琉球復帰、琉球政府から沖繩県庁へ継承

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   復帰後 自衛隊員による尖閣列島内魚釣島の岸壁に國旗國名表示


 これより中国版地図関連資料(呼称表示に注意)
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1958年11月 北京地圖出版社編輯部編地圖「日本之部」に
魚釣島表示、日本領土の內、尖閣群島表示



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     1960年4月 北京地圖出版社發行《世界地圖集》第一版の日本地圖、
    これも魚釣島表示、日本式表示。 


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玄葉外相は、「尖閣国有化」で揉め始めて1ケ月半後の2012年10月10日、やっと「60年の中国発行地図に日本領土であると書いてある」と述べた。 ちょっと遅いんだよ!

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1965年10月台湾國防研究院及び中國地理學研究所合編出版の世界地圖集第一冊東亞諸國分、魚釣島表示、尖閣群島並記。(○印国境)


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1969年中華人民共和國國家測量総局發行地図尖閣群島表示、魚釣島表示

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    1960年代の海図 尖閣群島表示、魚釣島表示

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1951年版 中華民国、初中学地理45頁中、琉球群島位置は北緯24度30分 東經122度半から131度の間、径緯度明確に包含、魚釣島表示。(○印が国境)
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1971年 蔣介石が主張を開始・・釣魚台は中國固有の領土である。
【並行して地図改ざんが始まる。】

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1972年 台湾國防研究院及び中國地理學研究所合編出版の世界地圖集第一冊東亞諸國分、釣魚台列嶼と改名し国境線変更  ○印が国境線 

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   1960年1月分の再版で1973年頃《民國中学地理第四冊》 
      尖閣群島を釣魚台列嶼と改名し国境線変更



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1961年8月分の再版で1978年頃《民國中学地理第四冊》
尖閣群島を改名→釣魚台列礁
に改竄。


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 この中国地図から「尖閣群島」(日本名呼称)の文字が消去された。
1972年北京地圖出版社發行、福建省台湾省政區地図中,台湾右上の1、2の数字。  地図左下欄外に小字で説明・・1、釣魚島 2、赤尾嶼。



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 1972年12月、再版日本地図には堂々と中国表示で釣魚島と赤尾嶼と表示し始めた。尖閣群島(日本呼称)の表示なし

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その後、台湾省ならまだしも、釣魚台は福建管轄の島嶼として組み入れられた。もちろん尖閣群島の表示ナシ。正に独善的なご都合主義捏造

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そして現在、地図上の「尖閣群島」は中国の最新日本地図から公然と、堂々と、抹消されてしまったのです!  
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●中国は他国が指摘し咎めないから、着々と既成事実を構築中なのです。


それにも増して中国は「南シナ海全域が我が領土」という厚顔無恥な主張をしております。(ベトナム沖、フィリピン沖、ボルネオ沖にまで国境線を伸ばして領海を主張=九段線・・(下の地図参照)

正に傲慢な泥棒国家、中華人民共和国のでたらめな主張であります。
(南支那海ぜ~んぶ俺のモノ!)
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2012年、
9月5日、日本政府が「尖閣諸島の買取表明」をしたことにより、すぐさま中国と台湾は、盗人猛々しい恫喝めいた声明を発表しております。

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 沖縄返還後40年にわたり、日本政府は尖閣諸島を港湾設備も灯台すらも造らず、調査員すらも立ち入らせず放置してきました。
 常時「領土問題は存在せず」とは申しながら「立入禁止」のまま無人島として放置しているのですから、中国や台湾に付け込まれるのは当然のことで、政府が自ら招いた「領土問題」と言えます。

 1969年5月に国連アジア極東経済委員会が発表した「東シナ海の海底調査」により日台周辺は「世界的な産油地域になるであろう」と石油資源が眠る可能性を示した。  これにより
1971年6月11日に・・・「台湾」が尖閣領有権を主張
1971年12月30日に・・「中国」も尖閣領有権を主張するに至ったのです。


 中国・台湾両国は、この時以降発行する地図には、巧みに日本との国境線を尖閣を取り込む描き方をして、更に「魚釣島」表示を中国読みの「釣魚島」表示に変更しております。
 「隙あらば掠め取る精神の中国」に対して「意志薄弱の日本政府」は、この時とばかりにカモにされているのです。

(参考地図表示は次回記載予定)

尖閣諸島・・改ざんされる尖閣地図・・外務省の怠慢②・・http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30004744.html

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              尖閣諸島を巡る主要経緯

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1879年 琉球藩廃止、沖繩縣開設時。
1879年3月 松井忠兵衛編製、內務省審查通過出版大日本全図魚釣島列嶼図
魚釣島=和平山、南小島=凸島、久場島=黃尾嶼、大正島=嵩尾嶼。


明治28年(1895)1月14日、日本政府裁定「內務大臣請議、位於沖繩縣下八重山 群島西北に位置する久場島、魚釣島等無人島、認應為沖繩縣所轄、 標杭建設の儀、同縣知事之申請の通り許可す」 内閣総理大臣 伊藤博文
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号外1896年8月(琉球新報)日本政府內務省より使用免許、期限30年を條件、魚釣島、黃尾嶼を古賀辰四郎が租借。古賀辰四郎は魚釣島に小型碼頭の建造、海產加工工場、宿舍等建築物並びに芭蕉種植、甘蔗、甘藷等 農作物の種植を行う。
1909年內務省へ報告移民有90戶、共248人、開墾面積有六十多畝。
11月古賀辰四郎は明治政府より藍綬褒章授章。

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               黄尾島=久場島

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明治33年 久場島全景と集落

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明治33年 南小島の浜辺


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明治期、魚釣島西北部和平山事務所

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魚釣島の従業員一同


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岩場を開削した岸壁と人夫・・・魚釣島

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       鰹節工場で加工されたカツオブシ・・・魚釣島

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明治期、魚釣島西北部、和平山事務所


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           攝於島上鰹節工場の古賀辰四郎


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             古賀辰四郎と従業員たち

1918年(大正七年)  古賀辰四郎の魚釣島事業を、其の次男 古賀善次が継承。
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        魚釣島謄本及び古賀家魚釣島事業推薦書
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      南小島開墾遺跡 、沖に見えるのが魚釣島

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魚釣島・鰹節工場遺址(矢印)と簡易灯台

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                魚釣島の掘削岸壁
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1952年 魚釣島鰹節工場遺跡


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           久場島に残る古賀家の人工築道


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魚釣島、千早丸遇難紀念碑・・・
戦争末期の1944年7月、石垣島から台湾への疎開船2隻が米軍の爆撃を受け、1隻は炎上沈没した。残り1隻でなんとか尖閣諸島魚釣島に漂着し集団生活を送ったが、食糧がなくなり餓死者も出た。
この遭
難で約80人が亡くなり碑に刻銘されている。



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戰後、琉球大學高良鐵夫教授が魚釣島内の生態調查をした

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1946年1月29日より米国統治時代の琉球・奄美諸島図


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1967年發行の米軍地図、尖閣群島標示は日本領土

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1956年米軍西表島地図の内・・魚釣島は日本領土

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      米軍委託管理時期に於ける魚釣島千疊岩警告碑


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1919年冬、一艘の福建省漁船が暴風雨漂流に遭遇し魚釣島に漂着、島民が救護した。在留中の古賀善次等は熱心に救護、遭難漁船「金合號」の船主兼船長郭合順等31名船員を半月後台湾を経由、福建まで護送した。翌年(1920)5月,中華民國政府から海難に対する義勇を感謝、駐長崎領事馮冕代表は政府からの感謝狀を古賀善次等七個人に贈った。感謝狀に明確に記入された海難發生場所は「日本帝國 沖繩縣 八重山郡 尖閣列島」である。




南沙諸島で、フィリピンに中国の横暴圧力が先鋭化しているぞ・・

中国とフィリピンが南シナ海・南沙諸島・スカボロー礁を巡って対立を深めています。
同海域で、両国の船舶がにらみ合いを続けてから約1ケ月経過中だが、緊張は高まるばかりの状況になっています。

中国は大陸から1,500kmも離れた、フィリピン周辺の海域まで『中国の核心的利益』という厚顔無恥な自己主張を続け、にわか仕込みの海軍力に物を言わせようとしています。

武力行使必至の状況を、充分注意して見守る必要を感じております。

(果たして、日本のマスコミに詳細な報道が出来るか・・・は疑問ですが・・・)
(本日の「読売」記事も、北京支局とバンコク支局(タイ)発信ですからね・・・マニラ情報は?)

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中国・フィリピン両国監視船
5kmを挟んで対峙中・・・












南沙諸島(スプラトリー)の当事国
(ベトナム、マレーシア、フィリピン、台湾、中国)

(ちなみに、大東亜戦争中は日本領だった

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↓大東亜戦争時の地図

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                                   ↑ 今回の紛争地・スカボロー礁 (黄岩島)
イメージ 7                                 ←スカボロー礁 (黄岩島)・・・中央が海の環礁(wikiより)
                       今回の紛争地点・・・中国はマニラの鼻先まで狙ってきています・・・





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これが中国海軍の侵略戦法の実体の全てです。
「先手必勝、あとは既成事実」という独善的な常套手段の中国。
無人島「尖閣諸島」に於いても、上陸されれば既成事実!・・・心しておきましょう。

赤瓜礁海戦(あかうりしょうかいせん)
越:Hải chiến Trường Sa 1988?、1988 Spratly Islands naval battle)は、中華人民共和国とベトナムの間で1988年3月14日に行われた、一方的そこのけ戦争です。

ベトナムが統治していた南沙諸島の、赤瓜礁浜辺に立って守備するベトナム兵に向かって、中華人民共和国は艦艇から、不意打ち機銃掃射攻撃をしかけ、ベトナム水兵70名以上が死亡した。
この海賊並み戦闘で、中国は赤瓜礁を武力で奪い、中国の統治下とした。

youtube参照・・中国海軍のベトナム兵惨殺・・(見るに耐えない、卑怯な機銃掃射)



21日の記事参照のこと・・・↓「南沙諸島」の実情を見て「尖閣諸島」に備えよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/19559721.html#19632804 

 中国は飢えた虎の様に、無人島あさり出しております。
 ここ数十年、無人島ならたとえ岩礁でも砂丘でもと、南支那海全域をガツガツと徘徊してきました。

 中国大陸から1,500kmも離れたフィリピン沖、ボルネオ沖の南沙諸島にまで「我が領土」として、武力でくすねってきたのをいい事に、たった400kmの「尖閣諸島」に食指を伸ばして来ているのは誰が見ても明確です。

 1,500kmと言えば上海~東京間の距離にもかかわらず、南支那海周辺は温厚な弱小国ばかり、先ずは、そこへ目を付けたのです。

 「南沙諸島の布石は打てた・・・次は尖閣諸島に唾を付けるぞ」と虎視眈々なのです。
 
 日本政府及び外務省は「南沙諸島陣取り合戦」の実態を、把握しているのでしょうか? いやまったく、能天気な風貌なのです。

 我々、多少なりとも事情を知って居る者だけが、泥棒国家中国の動きにはらはらしているだけなのでしょうか?
 在ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピンの各大使館から、正確な情報を徹底収受しているのでしょうか? 
 各大使館の収集能力が疑問なのです。外務省の目の届かない遠い外地で、遊び呆けて居るとしか見えませんね。

 外務省は中国に、何か弱みを握られていて何も出来ない能無しですね!
 外務省が一言も発信しないから、メディアもマスコミも南シナ海の状況を全く報道していません。
 いきなり尖閣列島へ飛火して只うろたえるばかりです。遠い南シナ海でのこと・・とタカを括っていたからでしょう。

 
  その実態を外務省が把握していたのなら
【尖閣事件での、日本政府のあのうろたえ振り】
は何だったのでしょう。

 素人目にも政府の無策ぶり、腰抜けぶりは「何しとる!」と見え見えだったですね。
 頼りない日本政府!・・と、世界に赤っ恥を、晒け出していたのです。  外務省には、その恥に気が付いていないのですね。 

 有無を言わせず、たたみ掛けるような中国の態度は、この65年変わらぬ共産中国の常套手段なのだと、政治家を何年もやっていれば判る筈なのです。
 尖閣諸島に関して中国は、恐らく【遭難もどき漁民の上陸】【漁業監視船の接岸】【海軍艦艇の接岸】【建造物の設置】【海底資源掘削基地設置】などと、エスカレートさせて来るのは必至でしょう。

それほどまでにして「領土に関して貪欲な国である」ことを理解すべきなのです。

●これが南沙諸島陣取り合戦図です・・・
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1970年代後半・・に海底油田の存在が確認され、広大な排他的経済水域内の海底資源や漁業権の獲得のため、各国が相次いで領有を宣言している。また広大な地域に広がる島々は軍事的にも価値がある。中華人民共和国を含めたASEANでの会議で軍事介入はせず現状維持の取り決めが結ばれたが最近中華人民共和国の人民解放軍が建物を勝手に建設しマレーシアなどから非難を浴びている。

1988年3月・・・・・南沙諸島における領有権をめぐり中華人民共和国とベトナム両海軍が衝突(赤瓜礁海戦)し、中華人民共和国が勝利して支配する。

赤瓜礁海戦(あかうりしょうかいせん)Hải chiến Trường Sa 1988?1988 Spratly Islands naval battle)は、中華人民共和国ベトナムの間で1988年3月14日に行われた、一方的そこのけ戦争
ベトナムが統治していた
南沙諸島の、赤瓜礁浜辺に立って守備するベトナム兵に向かって、中華人民共和国は艦艇から、不意打ち機銃掃射攻撃をしかけ、ベトナム水兵70名以上が死亡した
この海賊並み戦闘で、中国は赤瓜礁を武力で奪い、中国の統治下とした。
youtube参照・・中国海軍のベトナム兵惨殺・・↓(見るに耐えない、卑怯な機銃掃射)
http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/19643443.html
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1995年・・・・・中華人民共和国軍の活動が活発化し、ミスチーフ礁等フィリピン主張の島を占領して建造物を構築した。この機会主義的行動が周辺諸国に中国の軍事的膨張に対する警戒心を呼び起こしたとされる。

2007年11月・・・・・中華人民共和国の中国人民解放軍西沙諸島の海域で軍事演習を行ったことや、同月中旬に中華人民共和国が中沙諸島だけでなく、南沙、西沙の両諸島にまで行政区「三沙市」を海南省の中に指定したことをきっかけとして、同年12月にベトナムで「中華人民共和国の覇権主義反対」などと唱える反中国デモが行われた。

2008年1月・・・・・に中華民国(台湾)が実効支配する南沙諸島最大の島である太平島に軍用空港を建設完成させる。滑走路は全長1150メートル、幅30メートル。その後、中華民国総統が視察に訪れ、フィリピン政府の抗議を受けた。

2010年3月・・・・・にアメリカからスタインバーグ米国務副長官とベイダー・ホワイトハウス国家安保会議アジア上級部長が中国を訪れた際に、中国政府は南シナ海を『自国の主権および領土保全と関連した「核心的利害」地域と見なしている』との立場を、公式に通知したことが報じられた。

以上リンク先・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B2%99%E8%AB%B8%E5%B3%B6

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2010年10月22日 読売新聞(朝刊)7面で
【スプラトリー(南沙)諸島問題】がやっとやっと、マスコミで取り上げられました。

南シナ海で中国が独善的に諸島を我が物にしている状況を、我が国メディアやマスコミが報道したのは、10月22日、本日が初日なのでした。

      ↓ 紹介します・・
      拡大すれば判読できます。

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