泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

カテゴリ: 大正期、大阪名所絵葉書

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 戦災で焼土と化した大阪では、残存もおぼつかないと思います。
 今では貴重な資料と思いますので、発表させて戴きます。
 90年前とは言え、通訳が要りそうな文体で【説明書き】がしてあるのには閉口しますね。
 
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【説明書き】  *道頓堀
大阪一番の大芝居町で、有名な中座を始め、浪速座、角座、朝日座、弁天座と五ツの小屋が並んでいます。
この辺から千日前にかけての賑やかさは、夜昼なし。
実に不景気の風は、どこを吹くかと思われる程の人で、お祭りも盆も正月も一度に来たかというような有様です。
 
     *千日前楽天地
道頓堀から南に曲がった千日通りは、大活動写真(映画)が軒を並べ、365日夜も昼もぞろぞろと見物に遊ぶ人が、押すな押すなの大混雑中にも、電車通りの角にある大建物の楽天地は、この地一番の娯楽場で、芝居もあれば落語もあり、歌謡もあり活動写真其の他、色々の設備があって人の目を喜ばせています。
 
 
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【説明書き】*安治川口
東洋一の商業地。
陸に海に荷揚げ荷積みの繁盛を、大船は築港、小船は川口と日々の出船入船数知れず・・・
実に舷々相寧ずとはこのことかと思われます。
 
      *築 港
梅田が陸の玄関なら、築港は海の玄関でしょう。
そして桟橋は式台ですから、この桟橋は長さが約二百間もあり、幅は十数間もあり、二千何百万円の工費と、十年近くの年月をかけて出来たもので中々大したものです。
大抵の商船はもとより、大きな軍艦でも横付けになります。
 
 
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【説明書き】 *大正橋
木津川の元船津の渡しと云った所に架かった、最も新しい鉄橋で、御覧なさい、この大きな橋が橋脚の一つも無くて、上から弓形に釣ってあるだけですよ。
それを電車が通っています。
 
      *松島仲ノ町
東京の吉原、京都の島原、神戸の福原などと同じく、 西区 松島に一廓を無し居る遊郭であります。
ここは仲ノ町、俗に桜筋とも申しまして、道の真ん中に植え込みがあります。
又、廓内に天満宮のお旅所がありまして、祭日は仲ノ町を渡御ありて甚だ賑やかです。
 
 
 
 

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 戦災で焼土と化した大阪では、残存もおぼつかないと思います。
 今では貴重な資料と思いますので、発表させて戴きます。
 90年前とは言え、通訳が要りそうな文体で【説明書き】がしてあるのには閉口しますね。
 
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【説明書き】 *控訴院(裁判所)
大阪大建築物の随一。
堂島川をへだてて、中之島中央公会堂と向かい合わせは、頗る美観。
この辺は、近来面目一新、ちょっと外国へ行った様な感じがあります。
 
      *心斎橋
大阪繁華の中心。
東京の銀座通りにも比較すべき、華美の店が軒を並べた、名高き心斎橋筋の起点となる最も人通りの多い橋です。
元は鉄橋でしたが6.7年前に架け替えたのです。
小さいけれど、頗る立派な石橋です。
 
 
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【参考】  昭和36年頃の裁判所と日本銀行大阪支店、後方市役所。
 
 
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【説明書き】 *四ツ橋
大阪は昔から八百八橋と申しまして、水の都だけに橋の数も、他の都会より多いのです。
そして大阪の中央、西横堀と長堀と二つの川が十文字になっている所へロ形に架けられたので四ツ橋と申します。
ここは又、電車が十文字に、大阪の東西南北を貫いた交差点で、交通もまた危険なほど頻繁です。
 
      *阿弥陀池
歴史にある仏教渡来の始め、物部の守屋なる人物像を、難波の堀江に投ずとある。
旧跡はこの処なりと云う。
4月の涅槃会に、賑やかな植木の市が立つ事は一の名物です。
 
 
 

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 戦災で焼土と化した大阪では、残存もおぼつかないと思います。
 今では貴重な資料と思いますので、発表させて戴きます。
 90年前とは言え、通訳が要りそうな文体で【説明書き】がしてあるのには閉口しますね。
 
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【説明書き】 *中央公会堂
大阪の中央中之島の真ん中に在ります、この辺りは東京にも無い、大阪の一つの誇りです。
岩本栄之助と云う人の、百万円の寄付に依りて、5年もかかって建築した、最新の大洋館で3千人以上入場でき、年中種々の催し物があります。
 
       *     難波橋
東洋一の大石橋。
中之島の東端にあり、大川に架けられた最新の橋で、頗る美観を呈しています。
 
 
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【説明書き】 *南御堂
本願寺別院にして、境内広く広大なる殿堂であります。
大阪繁華中枢の地に、又別世界の趣があります。
 
      *北御堂
南に対し北御堂と称す。
同じく本願寺別院でして、船場の真ん中、土一升金一升の土地に、何と広大ではありませんか、境内に大谷女学校があります。
 
 

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 戦災で焼土と化した大阪では、残存もおぼつかないと思います。
 今では貴重な資料と思いますので、発表させて戴きます。
 90年前とは言え、通訳が要りそうな文体で【説明書き】がしてあるのには閉口しました。
 
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【説明書き】 *天神橋
三大橋の一つ、長さ130間もあると云う。
最も早く出来た鉄の釣り橋で有名であります。
又、この通りは松屋町に当り、心斎橋に次ぐ繁華の通りです。
 
       *天満天神社
京都の北野、博多の大宰府と三大天満宮の一つ。
殊に毎年、夏祭りの賑やかさは有名なもので、夕景より数十隻の船で鉾流しの
渡御がありまして、水陸ともに篝火と人とで埋まり、その騒ぎは筆紙の顕すところではありませぬ。
 
 
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【説明書き】 *日本銀行大阪支店
中之島の中央、大江橋の畔に、 大阪市 庁舎と向かい合わせにある、最も早く出来た洋式大建築物で、誠に大阪経済界の牛耳を取るのは、ここかと思はしむるに足る。
 
       * 大阪市 役所
中之島の中央、豊国神社の西に、電車線路を中に日本銀行と正面向かい合いの、石造り5階建、大白亜館を我、大 大阪市 庁舎となす。
大正7年起工、同10年竣成、最新式最新建築の大石造建築です。
地下室には平民食堂もあります。
 
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【これは参考】   昭和36年頃に写したもの・・・
  【上】は堂島から写した。   【下】は裁判所前から写した。
 
 

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 今では貴重な資料と思いますので、発表させて戴きます。
 
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【説明書き】 *大阪城
太閤秀吉の築城になる、難攻不落と云われた城です。
今は、旧本丸だけ残っており、第4師団の兵営となっています。
本丸だけでも周囲1里あると申します。
天守閣は既に有りませぬが、櫓だけ残っております。
それだけでも立派です。
追手門内には、有名な八畳敷き以上の石垣があります。
 
      *     造幣局
日本で唯一の貨幣鋳造所であります。
大勢の職工が日々鋳造する金銀貨幣、其の他の補助貨幣は大したもので
その造っている有様は、まるで菓子のようで銭と思われぬさま、実に見事なものです。
ここは又、桜の名所で春花時、その河岸には桜花のトンネルが出来るのです。
平常は通行を許しませんが、この時に限り1週間通り抜けを許します。
 
 
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【説明書き】 *天満橋
三大橋の一つ、最も早くできた鉄の釣り橋であります。
右に見えるのは市内電車の橋で、これは野田からこの橋の南詰めに通う電車で、ここには京阪電車の乗り場があります。
この橋は淀川の最も上に架けられた長橋です。
 
      *毛馬閘門
洪水を防ぐ為に新淀川を作り、之に本流を向け、市内を流れる淀川の上流に、この洗堰を設け、水勢の調和をはかりしものにして、多大の工費と年月を費やして、市民の安全を保護する水門であります。
 
 

 私の母が子供の頃、集めていた絵葉書が残っていました。
 愛媛の片田舎の町の、母の実家に残っていました。
 
 私も、現在の通天閣が完成した頃より、大阪で働き始め、大阪は知り尽くしておりますが
この絵葉書は、戦災にも遭わず田舎の旧家の押入れで、眠っていたものです。
 
 貴重な資料と思いまして、発表させて戴きます。
 
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 【説明書き】  大阪新世界ルナパーク
 新世界は南区で、千日前に次ぐ最も繁華の遊園地で、天王寺公園の西端にあります。
 又、中央にそびえる高塔は通天閣と申しまして、高さ300尺あり「エレベーター」にて昇降します。
 頂上に昇れば、天王寺公園や活動写真館は足許に見え、摂河泉は一望の内です。
 又、天気の時、西の方を望めば遥かに海をへだてて、淡路島も見えます。
 下の庭はルナパークで、色々の観覧物興行をして、1日の楽しみにも飽きませぬ。
 
         *天王寺公園
 東京の日比谷公園にも比ぶべき、ハイカラの洋式公園で、大木はありませんが、四季草花は絶えません。  正面の洋館は美術館です。
 
 
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                    大阪新世界「ルナパーク」 正門
 
 
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 【説明書き】 新世界ラジューム温泉
 最もハイカラの大浴槽あり。  泳ぐに足る別にラジューム浴槽を備う。
 階上には、昼夜、余興を催うし、浴客をあかせぬ設備あり。
 又、食堂其の他、種々の食物売店、休憩室もあり。
 
        *大阪国技館
 新世界の西端、霞町に出来た大建築。
 昔は青天井の小屋掛けなりし角力(すもう)も、文明のお陰で常設館となり、晴天10日間御免の興行も、今は晴雨に係わらず、1月と5月の本場所ドスン、ドスン。
 
 
 

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