((大江2018-4-view

●大江健三郎に関わるエピソードから・・・

私の【大江健三郎に関わるエピソード】


昭和28年春(1953)、私は内子高校へ入学しました。1年1組となり、京大出身の宇都宮正弘先生(通称・ウーさん)が担任となったが、同じクラスに当時未だ無名だった大江健三郎の妹が偶々在籍していたのです。 

 

そういう事もあってか先生は、僕らが名前も顔も知らない三年先輩の大江健三郎を何かにつけて例えに出し「大江さんの兄貴、大江健三郎君は当校へ入学したんじゃが、あんな頭脳明晰な男は、今まで見たことが無いぞ、カミュや太宰治を読んでいて只者じゃない、思考力がずば抜けとった。 彼は一年間在学したんじゃが二年生から松山東校へ転校させたんじゃ、今は東大へ進学を目指しているので、いずれ大成すること間違いなしじゃ」

「当校に居ったのでは大江健三郎のあの才能は伸びんわ、下衆の中ではあれだけの卓越した才能の芽が摘み取られてしまう。 東大を目指すのなら松山東高校へ転校しろと言うてな転校させたんじゃよ」と並み外れた才能を見抜いていた大江の良き理解者でもあり、名立たる大学への合格率の良い松山東高校への転校を先生主導で勧めた様でした。

(低俗な一般人に同調できない気質と内気が禍いして、級友から陰湿な虐めを受けたらしく、二年生から松山東高校へ転校したそうな・・・)


(((●G_3342
       1年1組 宇都宮先生と大江健三郎の妹(前列左端)

 

入学後1ヶ月ほど経たホームルームの時間に担任の宇都宮先生は「この前言うとった【アルバイト届】を持ってきている人、提出してくれよー」との事で、私はこの3月から高校の月謝稼ぎのため、本町劇場の辻ビラ書きに行き始めたので提出した。 大江と同期の森野長一郎先輩がやっていたバイトを引き継いだのでした。 バイト先と勤務時間、作業内容を書いただけのものだが、担任教諭が情報把握はしておきたいとの主旨のようだ。

先生はざっと目を通しながら「福島君、本町劇場の木戸口の小母ちゃんはな、先生の姉御じゃからな、ビラ書きしに行って映画ばかり見とったらいけんぞ。 真面目にやらんと監視付きみたいなもんじゃからなぁ」とダメ押しの一言がきた。 

級友の目の前で、他の生徒への牽制の意味も含めて明からざまにしたのでしょうが、狭い町のこと、そういえば改札の小母ちゃんは宇都宮さんだったな、知らなんだなぁ・・・と納得した次第です。

(((内子高時代文芸部
内子高校文芸部 大江健三郎(左から2人目)が1年生の時

(内子高校 文芸誌に出典した大江の作品)

 

「赭い秋」      一年  大江 健三郎

哀しみ いかり なげき・・・ 傷心・・・。

野良犬の赤いはらわたが、よごれた空にぐるぐるひろがり

鶏ののどくびからどくどくと流れるにごりきった血・・・。

パックリ赤くひらいた落日・・・。

 

(大江自身の心情と夕焼けの情景を重ね合わせて描いた詩でしょうが、私のような凡人には理解不能なところがあります)

(((1951内子高
            当時の内子高校 1951年

((大江1957Rh
大江健三郎 東大時代 1957

((大江1957東大6
大江健三郎 東大時代 1957

((大江健三郎1958芥川賞
大江健三郎 「飼育」芥川賞受賞 1958

((大江1960頃
大江健三郎  1960

((大江1960ce8
大江健三郎 伊丹十三の妹と結婚 1960

((大江1965b
大江健三郎  1965

((大江1965wd
大江健三郎  1965

((大江1965ー942
((大江1971防大生が見た50年前の安保騒動
























1965年



((1994e9f1
1994・12・6(平成6年)ノーベル文学賞受賞

((大江623_xl
大江健三郎   2013

((大江、003_1
大江健三郎  2013

((大江to
大江健三郎

((大瀬a0b
大江健三郎が学んだ当時の大瀬小学校

((大江1959_N
内子町大瀬 大江健三郎の実家  1959年頃

((大江81
内子町大瀬 大江健三郎の実家  1981年頃

((大江416((大江2020小














((大江3
内子町大瀬 大江健三郎の実家  2014年頃

((大江2008d
内子町大瀬 大江健三郎の実家  2008年