泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2021年05月

支那事変・報道写真⑰・・北支・内モンゴル戦線

           1931年9月・・満州事変(栁条湖事件)
           1932年1月・・上海事変
           1937年7月・・支那事変(盧溝橋事件)

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1939年・モンゴル地域の草原で進軍中の休憩

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1939年8月3日、満州の広大な平原をカンジュルミャオを目指して進軍

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1939年6月、広大なモンゴル草原を進軍

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草原を征く我が軍  1939年

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1939年6月、広大なモンゴル草原を進軍

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1939年・モンゴルの草原、最前線に移動中の日本軍部隊

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1939年7月27日、中国内モンゴル自治区フルンビュール近郊の航空基地

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1939年12月・冬の攻撃の間に、中国の兵士は帝国陸軍の歩兵に降伏

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1938年・日本歩兵部隊はハッサン湖を目指す

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1939年5月、中国の農民が日本兵に進上

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1939年夏、ノムンハンで放棄されたソビエトBT-5戦車

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満州事変において三八式歩兵銃を装備した衛兵

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1938年7月・・支那事変1周年

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1939年の夏・・(カルヒンゴル)の最前線にて

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青島の包囲戦で倒れた同志の前に、日本兵がひざまずく(1914年第一次大戦時)

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三八式歩兵銃
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三八式歩兵銃

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九九式短小銃
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九九式短小銃 (1939年)


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 支那事変国債募集 

















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 支那事変国債募集



















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 支那事変国債募集  
















               
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 満蒙開拓青少年 義勇軍募集


















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 支那事変国債募集


















        
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支那事変国債募集
 
               

⇩ 気になる数字 ⇩
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副作用検討部会では、副作用状況が全く論議されず、5月26日に追加の会議が開かれました。
本日の会議で公表されたワクチン接種後の死亡者は85名となりました。
必死に隠しての数字なので、この数字が最小と考えて良いのではと思います。

死亡者の週毎に集計したグラフを添付します。

1次近似式で予測すると年末までに433名が死亡、1年間で580名が死亡することになります。
https://www.nikaidou.com/archives/136488 より)



支那事変・報道写真⑯・・北支戦線

           1931年9月・・満州事変(栁条湖事件)
           1932年1月・・上海事変
           1937年7月・・支那事変(盧溝橋事件)

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1937年・盧溝橋事件の後、北京入城風景


((m1937機械化
1937年・我が機械化部隊

((m1933年に日本軍の衛生兵、中国の承徳の戦い
1933年・日本軍の衛生兵、中国の承徳の戦いで

((m37・7盧溝橋で牟田口将軍(左2番と一木清直少佐右第1歩兵連隊将校
1937年7月・盧溝橋で牟田口将軍(左から2人目)と一木清直少佐(右)第1歩兵連隊将校

((m1937年酒井浩二将軍は、北京の占領後
1937年・酒井浩二将軍は、北京陥落後の万歳

((m1934年後半、内モンゴル
1934年後半、内モンゴルにて

((m1938年、満州の駅を出発する装甲日本軍
1938年、満州の駅を出発する日本軍装甲列車

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1936年・満州の鉄道からの走行警備

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満州 津浦戦線にて攻撃中の部隊

((m1933年、万里の長城近くで敵の武器
1933年、万里の長城近くで敵の残した武器の点検

((m1939年万里の長城に立っ歩哨
1939年・万里の長城に立っ歩哨

((m1937年に中国の万里の長城の北部
1937年・中国の万里の長城の北部で処刑されるスパイ

((mぬかるみの補給トラック(KhalkhinGol)ハルハ河戦闘、1939年
ぬかるみの補給トラック(Khalkhin Gol)ハルハ河戦闘、1939年

((m1941年、中国冬の日本軍
1941年、中国冬の日本軍

⇩ 冬の露営準備・津浦戦線 徳県にて
((m1938冬の露営準備シナ
(上)地面を掘り下げた中で食事をとる中平部隊
(中)掘り下げた塹壕は屋根を付け地下室にする
(下)親日の住職のため、支那兵に奪われた徳県礼井寺の仏像を運んでやる

((m1939年の中国の寒い冬の夜
1939年・中国の寒い冬の夜

((m1937歩兵と同志は妻シナ
1937年・歩兵と同志は妻の写真を見ながら談笑

((m愛馬と共に
1937年・愛馬と共に・・


((m1938年日本軍の馬、中国戦線
1938年・日本軍の軍馬、中国戦線で

((m1938年7月中国の民間人から日本軍の兵士が道を
1938年7月・中国の民間人から日本軍兵士が道を尋ねる

((mWinter, China, 1939.
1938年・冬の市街地で野営明け

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1938年・黄河氾濫の被害民の群れを保護中




中国、6年前からコロナウイルスなど生物武器で第3次世界大戦の準備か・・米国務省の文書が暴露

https://news.yahoo.co.jp/articles/e755c99df919851ec6db852835e9812634666640 より

配信

 中国の科学者らがこの6年間、コロナウイルスを含む生物兵器で第3次世界大戦を準備してきたという事が、米国の調査機関が入手した文書を通じて明らかになった。  英国のデイリーメール紙などが9日報じた内容によると、米国国務省の報告書にはこうした生物兵器が戦争で勝利するため重要になるという主張とともに、これを使用するための完璧な条件と、敵国の医療システムに及ぼす影響まで詳細に記録されている。  

中国が2015年からコロナウイルスの軍事的可能性を考慮したというこの最新報告では、新型コロナウイルス感染症の原因に関する新たな懸念を呼び起こし、一部の当局者は新型コロナが中国の研究所から流出した可能性があると疑っているという。  
また、オーストラリア紙「ジ・オーストラリアン」で報道された文書は中国人民解放軍の科学者と保健当局者が作成したもので、疾病を操作して兵器を作る方法を調査したものだ。  

文書の著者たちは、第1次世界大戦を「化学戦争」とし、第2次世界大戦を「核戦争」と記述し、それらと違って、第3次世界大戦は「生物戦争」になると主張している。

 この文書ではまた、生物兵器を使用して最大の被害を引き起こす理想的な条件を説明している。強い日差しが病原菌を損傷し、雨や雪がエアロゾール粒子に影響を与えるので、晴れた日や昼間にこのような攻撃をしてはならないという。  その代わり、夜や夜明け、日が暮れる頃、または曇った天気の日に風向きが安定した状態で使用してこそ、エアロゾールを目標地域に向かわせることができるという。  

この文書はまた、このような攻撃で病院での治療を必要とする患者を急増させ、敵の医療体系を崩壊できると指摘した。  一方、情報機関は新型コロナが武漢研究所による流出結果である可能性があると疑っている。 しかし、まだ新型コロナウイルスを意図的に流出させたことを示すだけの証拠はないという。

ワクチン先進国のアメリカ、イギリスでさえワクチンの開発に戸惑っていたにも関わらず、いち早く中国がワクチンを有効化開発できたのは、既にこのウイルスに対しての抵抗薬が有りきで、ワクチンを準備したと疑わざるを得ません。当初、武漢で流行の最中に中国政府は秘密裏にこれを隠蔽した事実を見てもこれは明らかなことです。

防疫を後回しにして隠蔽を先導したのです。コロナ禍終了後、中国はこれを責められることでしょう。

一つの薬を完成させるには研究から開発まで出来てから治験の結果が得られるまで何年も掛ります。このコロナウイルスは何年も前に完成していたものと思われ、そのコロナ蔓延効果を検証したものと考えられるのです。


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