泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2020年11月

コロナウイルスの真実・・「新型コロナは中共解放軍の生物化学兵器だ!」のパンフが東京周辺にポスティングされていたそうな・・・

 http://www.nikaidou.com/archives/131827 出典より

【参考】↓米国に亡命し「新型コロナ人工説」を提起した中国の科学者、その後の近況
https://news.yahoo.co.jp/articles/72e2fcfcbe2a1b7f69a56c2e7e048f3e816e590a

米国亡命の武漢ウイルス研究者 FOXニュースインタビュー #閻麗夢

中国政府とWHOは嘘つき 香港から米国へ亡命した閻麗夢博士のインタビュー


バノン氏「複数の研究者が中国から脱出している」#閻麗夢


WHO
の香港P3リファレンス研究所である香港大学公共衛生学院のドクター 閆麗夢(イェンリモン)FOXニュースのインタービューで中国のCOVID-19の情報隠蔽について暴露した。 閆麗夢(イェンリモン)博士は世界中の人々に、COVID-19に関する真実を伝えるために家族や友人との離別を選択し香港からアメリカへ脱出した。


武漢でのコロナウイルスの情報を知ったが故に、当局より睨まれ身の危険を感じながらも米国に脱出した閆麗夢(イェンリモン)博士の告白書です。

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私はDr. 閆麗夢(イェンリモン)です。

私は香港大学公共衛生学院に務めていました。香港大学公共衛生学院は世界でもトップクラスのコロナウイルスの研究室です。私が米国へ脱出したのはCOVID-20の真実を世界に伝えるためです。

もし私が香港で真実を話したら、話した瞬間に殺されてしまい、真実を伝えることが出来なくなってしまいます。

その為私は米国へ脱出しCOVID-19の発生源や危険性を、世界中の人々に伝えなければならないと思いました。

これは政治に関する事ではなく、人間が生存できるかどうかに関する事です。

                               

私は世界で最初にCOVID-19の研究に取り掛かった研究者の一人です。

20191231日、中国の武漢でSARに似たコロナウイルスが発生していることを知り、私の上司WHOコンサルタントのレオ・プーン(LeoPoon)博士から「何が起こっているのか」秘密調査を行うよう依頼されました。

然し、中国政府が香港を含む世界の専門家が中国へ調査に来ることを拒否したため、私は中国国内の知人を通じて出来得る限りの情報を得ました。

 

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これは1231日のチャット履歴です。

中国疾病予防コントロールセンター(CDC)の科学者の友人から直接入手した情報では、家族間のクラスター感染が発生し、人から人への感染が確認されたそうです。

 

しかし・・・WHOは当初人から人への感染に付いて数週間も隠蔽しました。

2020年19日・・・・テドロス事務局長「人から人への感染することはない」

2020114日・・テドロス事務局長「人から人への感染する明確な証拠はない」

閆麗夢博士に情報提供をした医者たちは、WHO発表の生末に明らかに怯えていた。


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WHOのような国際機関と中国政府の腐敗に付いては前から知っていて、情報隠蔽の体質を受け入れるしかありませんでした。然しミスリードされた情報が世界に広まって欲しくはありません。

正されるべきだと思いました。私の身に何が降りかかるか分かっています。

中国共産党が内部告発者を、どの様に扱うかも知っています。無実の若い香港の抗議者に対する恐ろしい弾圧も見ております。 


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コロナ流行後の外国人入国者数推移を動く折れ線グラフにした・・





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((IMコロナの症状



韓国の旅、名跡を訪ねて・・

国立慶州博物館の首のない仏像

https://ninoq.hatenablog.com/entry/2020/11/07/103000 より 


神仏を崇める日本では、仏像まで毀損させることは殆んどないが・・アノ国では・・

 

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[土曜ミーナ]新羅の都が置かれていた慶州には朝鮮時代以前の文化や遺跡が数多く残っている、これらを収集し保存したのは日帝の仕業だった。

 

いわゆる高麗・新羅以降の朝鮮時代の抑佛政策または排仏政策と呼ばれる仏教弾圧は、既存勢力の解体を目的としたものではあったが、そこに宗教的対立があったわけではなく、単に過去の王朝のやっていたことを全否定する目的で行われたのである。

 

国立慶州博物館には首のない石仏が屋外展示されている。1965年、慶州芬皇寺の発掘で裏庭の穴から首の無い石仏が大量に発見された。これらは新羅時代のものと推定される。そして埋められたのは朝鮮王3代目太宗のころとされている。

首が無いのだから、そこには信仰もなく寺院と呼べるものは日帝が保護に乗り出すまでは廃墟でしかなかった。 ※慶州芬皇寺は慶州博物館から2㎞程離れたところにある。

 

日帝時代に発見されなかった石仏ばかりを並べては、引率の学芸員が誇らしげに「私たちが発掘したものです」「このようにヒデヨシの軍勢によってすべての仏像の首が折られています」と解説しているのは韓国人あるあるである

 

実はこれらの所業はすべて朝鮮時代の仏教弾圧により、仏像の首はすべて叩き折られたものなのである。 場所は ココ ⇒ 国立慶州博物館

 

 

 

 

まるでノーベル賞受賞を待つ銅像の台座のような展示は国立慶州博物館の美術品館東側に並んでいる。ちょっと見えている5重の石塔は現在3層で復元されている。

 

見て来い‼

現地360°ビュー http://naver.me/Ff4tuUrE

 

 

 

まさか博物館までやってきて、建物のまわりを一周するような観覧客はいないだろうと見越したかのような首のない仏像の展示には、当時の韓国国内の仏教団体も内紛に忙しく関心を示さなかったという。

 

 

 

見渡す限り首のない石仏が並ぶ様子は観覧者を圧倒する。しかし実は館内の展示されている石仏を含めても首のない石仏は20体あまりしか無いそうだ。

※慶州博物館は2008年から入場無料となっている

 

 

国立慶州博物館は1975年に現在の位置に開館している、それ以前の収蔵品は日帝が大正期に作った慶州遺物陳列館に保管されていた。そして大量の石仏群が発見されたのは1965年に行われた近隣の発掘調査だったという。

 

 

 

おそらくは大きな木づちなどで横からコツンとやったと見られている

 

 

 

実はこれらの石仏の発見の経緯は記録されていない。現在わかることは1965年に発掘されたという事実だけであり、埋められていた状況や、ほかに一緒に遺棄されていたものがあったか、などの状況はすべて不明だ。いわゆる「記録を残さない民族」としての韓国人らしさがそこにある。

 

 

これらの石仏は極彩色でペイントされ金泥で豪華にしつらえられていたと主張する研究者も多い。

 

国立慶州博物館提供

 

屋外展示の胴体には、その名称や解説などが全くない。解説板にはヒデヨシの軍勢がどうのこうのと書かれていた。

 

 

建物の裏側に放置された石仏に見せる無関心さも、韓国人らしさのひとつである。

 

 

そして、館内に展示されている首から下の無い仏像の頭部

 

 

 

まるで、朝鮮では首から上だけが信仰の対象であったかのような集中展示のようす。

 



 

부처 부살 などと書かれている 仏頂 訃殺のようにも読める これがハングルだ。

 

 

 

慶州には瞻星台というものもある。博物館とは徒歩15分くらいの距離になる。この一帯は月城と呼ばれている。韓国で厄介者扱いされている月城原発のなまえの由来である。


((( 瞻星台

              慶州古代の天文台・・「瞻星台」


 

2017年、慶州を旅行中の酔っぱらった女子大生(27~29歳)ら3人が瞻星台によじ登って記念撮影をしたところ、警察が現れて御用となった。

 

刑札では事情を聴いた後、旅行を続けるように言うとその晩のうちに釈放した。警察には当時の事情聴取した記録が残っておらず、女子大生の所属や名前も一切わからないという。  

関連過去カキコ:瞻星台に登った女子大生

 

 

 

 
これが韓国の五重塔
 
 
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▲比較的原型を復元した"石造り五重の塔"、この復元には慶州大学考古学部による綿密な調査が行われ建立当時の荘厳な雰囲気を忠実に再現している
 
 
五重の塔なのにもかかわらず周辺には"余った石材"が散乱したままになっている、これは三層の五重の塔である、
 

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