


【この頃の朝鮮史概略】1894年~1897年・・・【日清戦争】李王朝の苛政に農民が反旗を翻した「東学党の乱」が起きて、これを機に出兵した日清両国はほどなく朝鮮で衝突、「日清戦争」が勃発して日本が勝利した。【日本の宣戦布告文】
朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ、列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ。 而シテ清国ハ毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ、陰ニ陽ニ其ノ内政ニ干渉シ、其ノ内乱アルニ於テ、口ヲ属邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ。 (朝鮮は日本が誘って列国の地位に就いた独立国である。にも拘わらず清は朝鮮を属国として内政干渉し、内乱を鎮めるとの口実で朝鮮に出兵している)1897年・・・下関条約により「清の属国から開放」され、大韓帝国として独立はしたものの・・・
1905年・・・日露戦争で日本勝利 (日本が大韓帝国の保護国となった)(明治38年)
1903年・・・満州を拠点化したロシアが朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避。
1909年・・・李氏朝鮮政府の分別を欠いた国家運営能力不足で財政破綻、欧米列強に莫大な借金、土地資源の抵当で運営財政が難しくなり、国内で李氏朝鮮政府への不満が台頭して、日本への併合を望む声が高まり暴動にまで発展した。1909年10月26日・・・安重根が満州のハルピン駅ホームで、伊藤博文を暗殺した、これを機に韓国併合への流れが急加速した。(この時は大韓帝国=独立国)
1910年・・・8月29日大韓帝国の要請を受け日本が併合(韓国皇帝、純宗が「請願」し、総理の李完用の指示で、側近の李人稙が密使として動いた)(日本が李氏朝鮮の破綻財政を肩代わりして解決、自立出来ない未開の地朝鮮半島を日本国内並みのインフラ整備に力を入れ、港湾、鉄道、橋梁、発電所、役所警察署、病院、各種学校などを資財と人材を投入、総力を揚げて短期間で日本国内並みに近代化させ完全整備した)・・・(明治43年~昭和20年)










これが「迎恩門」・・支那より勅使の来るのを迎える門




