伝統的「韓屋」の歴史
現在の北村韓屋村は景福宮や昌徳宮、宗廟にかこまれた地域にあり、朝鮮時代までは両班や官僚が住む地域であったが、両班や官僚の没落や、宮殿の荒廃が進むと都市住民の流入が進み、最初に草ぶき韓屋が密集して建てられた。朝鮮動乱戦火の被害から逃れた嘉会洞一帯は瓦ぶき屋根が普及するとその多くが建て替えられ現在では観光スポットとなっている。
1950年代までにそれまでの草ぶき屋根から瓦屋根に変わった
日本統治が始まった頃のソウル(1910年頃)
日本統治が始まった頃のソウル(1910年頃)
(S字形城壁と中央部に南大門)
2018年05月
セヲル号・・内部映像公開
2014年4月に韓国南西部の珍島沖で沈没し、今月上旬に木浦新港の埠頭(ふとう)に陸揚げされたセウォル号の船内捜索が、5月18日に始まる。セウォル号の現場収拾本部はこの日の会見で、Aデッキ(4階)とBデッキの内部写真を公開した。
セヲル号船体内部には、コンテナ残骸、車両残骸その他4年間に堆積したヘドロや不明者人骨や手荷物等も有ったろうに、それらは完全に整理されているのが確認できる。




9人の行方不明者を、今後船内捜索するようです。





中村愛媛県知事が国会に提出した怪文書!
その上、朝日新聞と共に国会混乱に加担し陰でほくそ笑んでいるね。

←中村時広愛媛県知事
県庁内で提出者が修正した文書を見て、知事や側近が騙されているのか?
・なぜ日付が入っていない?
・これが公文書なら一寸お粗末ね。
オイ、愛媛県!・・アタマ大丈夫か???

(赤)=明朝体 (黄色)=ゴシック体
(黄色)部分はフォントが違うので、後に修正、補足記入されていると判断されて当然だ。

●加戸守行(前)知事の談「新文書は連絡・報告用のメモで、伝聞の伝聞」 (2018・5・23)
愛媛県から新たに文書が出たが、これもメモです。県庁職員は何でもメモして記録をとる。まじめといえばまじめ。ただ、公文書でなく、連絡、報告用のメモだ。要するに加計学園側が今治市に話したことを県が今治市から聞いて、メモにしている。漫画みたいな話で、伝言ゲームだ。(平成27年2月25日に安倍晋三首相と学園の加計孝太郎理事長が面談したことは)首相も否定した。首相は理事長と会う時間はないと思う。
首相官邸で会えば首相日程に出る。官邸以外ならホテルで密会だが、それはないだろう。
だから、2月25日に会ったという話は学園側の作り話か、想像をつなげてああいう話になったのではないか。信憑性は疑わしい。
愛媛県の中村時広知事は県内の自民党主流派と衝突している状態だ。(文書の公開には)そういうこともバックグラウンドにあったのかもしれない。ただ「伝聞の伝聞」の話を「参院」に提出してどうするのか。聞いた話をメモにして外に出すなんて、常識ではありえない。
メモはあらゆるものをきちょうめんにとるから、当たらずといえども遠からずのものだ。今度の場合は、首相に会ったら好反応だったと聞いたら、県にとってビッグニュースだから、それは書き立てる。
あくまで私の推理だが、首相がきっぱり否定したのだから学園側の作り話だったと思う。岡山理科大獣医学部は首相の忖度のかけらもなく、国家戦略特区を突破してできた。私学の獣医師らが日本獣医師会の意向を受けて、県をたたいてきたにもかかわらずだ。それにしても、獣医師会に一切メスを入れないというのは、不思議な国会だ。
決定的な「悪」は、既得権益を死守するために獣医学部の新設をつぶしてきた「獣医師会」なのだが・・・。(談)
● 加戸前知事の主張まとめ。
・これは公文書ではなく連絡用のメモだ。
・加計学園→今治市→愛媛県と経由した伝言ゲーム
・安倍総理が学校理事長と会う時間はないはず
・信憑性は疑わしい
・加計学園の作り話ではないか?(交渉を有利に進めるため?)
・それか何かの間違い
・中村時広知事は自民党主流派と衝突している
・新文書で復讐する動機は十分にある
・「伝聞の伝聞」のメモを「国会に提出」したなど言語道断だ
・既得権益にしがみつき、新設を認めない獣医師会はダメだ。



オールド にっぽん 58【幕末~明治の函館の風光】

58【幕末~明治の函館の風光】
私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。
幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。
函館港は1859年(安政6年)に横浜港・長崎港とともに日本国内で最初の(交易港)として開港した。





北海道の表玄関として、巨船の出入り絶え間なく繁雑を極めている。


















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㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html
https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37423472.html
52【幕末~明治の大阪・中の島界隈】7. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37438217.html
53【幕末~明治の大阪・三越からのパノラマ】8. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37451491.html
54【幕末~明治の大阪城・四天王寺】9. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37480860.html
55【幕末~明治の大阪・心斎橋など市内寸描】10. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37493070.html
56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37530466.html
57【幕末~明治の長崎の風光】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37539193.html
オールド にっぽん 57【幕末~明治の長崎の風光】3.

57【幕末~明治の長崎の風光】3.
私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。
幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。









長崎市街は四方二里、電車交通の便あり。今や人口20万に達せリ、開港以来既に3百有余年、実に我が国交通の発源地たり。県庁は旧長崎奉行西役所址に建設せられ肥前の6郡と壱岐、対馬を管治す。























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㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html
オールド にっぽん 56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2.

56【幕末~明治の長崎の町並み寸描】2.
私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。
幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。









(道路中央に転がっているのは、馬車用馬糞か牛糞と思われる)










山の姿も美しく、また水清らかな港の長崎は、揺るぎなき360有余年の伝統の中に生きてきた古い開港場です。その古典の匂いと彩は今もなお名残を止めて、床しい情緒は観光長崎の命とされているのです。







オールド にっぽん ↓↓
㉗【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37098457.html
㉘【幕末~明治の東京(吉原遊郭)】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37113530.html