
㉚【幕末~明治の江戸城(西ノ丸周辺)】7.
私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。
外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。
幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。
江戸城の核心部は「本丸(大奥)」「天守」で、その外に二ノ丸、さらに外に三ノ丸、西側に西ノ丸があります。西ノ丸は将軍の子供や、引退後の将軍が住む場所でした。
本丸内に富士見三重櫓、書院二重櫓、乾二重櫓などがあり、これに北ノ丸、吹上などを加えて「内曲輪」(うちくるわ)と呼びました。
一方、外界と接しているのが二重橋、坂下門、桜田門、大手門、竹橋門などで、この外側を「外曲輪」と呼び、大名屋敷や奉行所がありました。
ここには、四谷見附、赤坂見附、日比谷見附、浅草橋見附など36ヶ所の見附(監視所)が設置されていました。然し乍ら、これら写真を見て判るように、先人の遺産である事を顧みない明治新政府の誤った方針でしょうか、重厚な三重櫓、二重櫓や建屋付渡り櫓門などは、補修どころか健全な構造物まで、殆んどが解体処分され、小さくちゃちな門構えだけが残されてしまっている様は、廃墟となった江戸城の廃墟感を増長させていますね。
誠に残念なことです。











その右下の城門は坂下門、右遠景は和田倉門(1870年頃)

















