泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2017年07月

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 ㉑【幕末~明治の横浜風景】1.

 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

 

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        横浜 神奈川 金沢の光景  (1870年)

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   横浜に今は無き本牧岬の「本牧十二天」  明治20年(1887年)

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      横浜・本牧岬の「本牧十二天社」鳥居  (1890年頃)

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           横浜 本牧岬の「本牧十二天社」

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             横浜 本牧岬にて・・

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         横浜・本牧の海水浴場  (1920年頃)


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             横浜の根岸海岸と本牧岬。

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横浜・不動坂より本牧岬を望む  〔1887年)明治中期.

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横浜・本牧岬付近にて   

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横浜・本牧・不動坂の茶店

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本牧岬の周辺根岸湾は、1959年に埋め立てが開始され工場地帯に変貌。

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本牧岬の周辺根岸湾は、1959年に埋め立てが開始され工場地帯に変貌。


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横浜・本牧付近の海岸  (1868年)


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横浜港にて

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横浜港にて

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吉浜橋から山手をみる。中央はフェリス和英女学院 (1885年)

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横浜・吉浜橋より山手を望む (1902年)

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横浜・吉浜橋岸  (1898年)


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横浜・吉田町より馬車道を望む  (1888年)

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横浜・馬車道通り 富竹亭  (1886年)

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横浜・吉田橋・中将湯(津村順天堂)の広告搭


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頭は馬で身体が亀で「お馬様流し」と呼ばれる「本牧神社祭り」↓
http://www.honmoku.or.jp/rituals/

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横浜港・大桟橋

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横浜港大桟橋の全景。

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横浜港の大桟橋. (1903年)

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  横浜 万国橋(横濱萬國橋) (1910年)

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横浜・吉田橋河岸・・浜港館  (1899年)


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明治初期の港町・横浜. (1870年)

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横浜港全景 (明治10年1879)

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イギリス波止場(現在の大桟橋入口付近) (明治中期1890頃)

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横浜港付近  (1870年)

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横浜港付近 (1885年)

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Yokohama overview - Japan -(1880年)

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横浜近くの河川風景 (1869頃)

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横浜・山手谷戸坂中途から山下居留地をみる

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横浜・谷戸坂上より山下居留地を望む  (1895年)


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横浜・山手からみた居留地(旧横浜新田地域) (1865年)



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三浦半島  三崎町  (1910年)


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横須賀のパノラマ   昭和21年(1946)





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 ⑳【幕末~明治の街道風景】東海道.


 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

 
 写真に残されている東海道の松並木・・・
 昭和30年に国鉄東海道線を利用しましたが、豊橋、浜松、沼津、小田原、藤沢などには「旧東海道の松並木が、延々と未だに残されているなぁ・・」と云う思いで、列車の窓から松並木を眺めた思いが残っております。
 その後、松喰い虫の猛威により、殆んど失われたのは残念なことですね。

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       厚木市・飯山の土橋 (現在の神奈川県厚木市飯山) 

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             東海道・ 藤沢近く

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               江 の 島

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           江 の 島  (1910年)

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               江ノ島参道入口

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            江ノ島参道鳥居 (1870年)


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           江の島の土産物屋  (1910年頃)


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                 東 海 道

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               帆掛け舟

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                                   漁村にて  (1870年)


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             鎌倉・長谷寺 (1880年)

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            鎌倉の大仏  (1870年)

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              鎌倉・大仏 (1905年)

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            鎌倉・大仏 (1905年)

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           鎌倉の大仏様  (1925年頃)


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               東 海 道

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               東 海 道 

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        東海道 横浜市生麦事件現場付近・・(1862年)
生麦事件=幕末の文久2年(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村(現・横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから薩英戦争(文久3年7月)が起こった。

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          生麦事件現場付近  (1862年)

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               鎌倉事件現場
鎌倉事件=幕末、元治元年(1864年11月21日)に相模国鎌倉郡御成)で、イギリス人士官2名が日本の武士に斬殺された事件。


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           神奈川・台の関門  (1869年)

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            神奈川・台の関門  (1894年)


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     横浜・戸塚~保土ヶ谷間の焼餅坂(建物裏に見える上り坂)

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              小田原宿と住人たち


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          東海道・藤沢近くで大八車を押す母娘 


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              茶店の点在する東海道


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           街道の飛脚   (1860年代)


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          東海道 大磯付近・・  (1885年)


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           東海道・横浜~藤沢間の旅人たち

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           東海道の松並木光景と駕篭の旅人

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     夕日に照らされる、のどかな東海道の松並木と並ぶ茶店


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          東海道・横浜~藤沢間 近隣の集い

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           東海道の茶店  (1910年)


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           東海道と茶店  (1900年)

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            東海道の旅人たち (1865年)


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             東海道・神奈川近くで

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       東海道 ・ 谷川沿いの茶屋  (1890年頃)


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以下、明治時代・・・(1880年頃)

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 ⑲【幕末~明治の街道風景】箱根.


 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。

 
 写真に残されている東海道の松並木・・・
 昭和30年に国鉄東海道線を利用しましたが、豊橋、浜松、沼津、小田原、藤沢などには「旧東海道の松並木が、延々と未だに残されているなぁ・・」と云う思いで、列車の窓から松並木を眺めた思いが残っております。
 その後、松喰い虫の猛威により、殆んど失われたのは残念なことですね。

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       箱根 の 田舎道・三枚橋付近  (1890年代)

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          箱根 湯本 三枚橋  (1880年頃) 

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         箱根・三枚橋からの眺め  (1900年頃)

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       箱根・三枚橋からの眺め(同じ場所) (2014年)


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            箱根・芦ノ湖  (1932年)

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               箱根の宿場

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              箱根の宿・芦ノ湖畔

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               箱根の村人


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       箱根宿、宿場の入口に関所がある  (1867年頃)

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              箱根宿場

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  箱根宿・手前の旅籠は「はふや四郎右衛門」(今の箱根ホテル)(1867年)

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              箱根の宿場と芦ノ湖

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箱根の宿と芦ノ湖  (1910年頃)

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箱根大涌谷から富士の眺め  (1900年頃)

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鳥居(箱根の村と芦ノ湖)


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               箱根神社か?

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                 箱根神社 

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             箱根神社の参道

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            箱根芦ノ湖畔にて・・

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               箱根・・芦ノ湖

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              駕籠による箱根越え

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            箱根の杉並木 (1880年)

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             箱根・塔ノ沢温泉

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spring resort of Kiga, near Hakone, Japan.  circa 1870年

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                箱根・堂ヶ島

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              箱根・堂ヶ島
(宮の下駅から早川渓谷沿いに下った辺り、現在の大和屋、対星館辺りの写真のようです)

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            Two carriers of Kago, (1920年)


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              富士市・河合橋

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             東海道・・富士市河合橋


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        富士のふもとで農作業帰りの農民  (1918年)


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             駿河湾にての帆掛舟・・


イメージ 30富士吉田付近から・・ (1866年)


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           富士吉田にて  富士登山口

        

【参考】オールド にっぽん ↓

【幕末~明治の街道風景】東海道 1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37008231.html 
㉑【幕末~明治の横浜風景】1. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37021475.html
㉒【幕末~明治の横浜市街】2. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37032764.html
㉓【幕末~明治の横浜市街】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37046686.html
㊱【幕末~明治の横浜市街】4. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37235939.html 
㊲【幕末~明治の横浜市街】5. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37247156.html 
㊳【幕末~明治の東海道・日本橋~箱根】2.https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37259168.html 
㊴【幕末~明治の東海道・三島~袋井】3. https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37272254.html



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 ⑱【幕末~のサムライたち】3.


 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。



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新撰組の近藤勇と沖田総司と伝えられているが・・

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近藤 勇(こんどう いさみ)

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土方歳三  新撰組副長

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            新選組の集合写真らしい。
(後列左より)井上源三郎、尾形俊太郎(一人おいて)谷三十郎、長倉新八、
松原忠司、原田左之助。
(前列左より)南部与七、斎藤一馬、沖田総司、

((00447_l
新選組の副長・斎藤一の家族写真
(左から次男 剛、斎藤一、長男 勉、妻 トキヲ)

((斎藤_Saito
斎藤一の鮮明な写真【新撰組幹部】

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松平 春嶽(まつだいら しゅんがく)福井藩16代藩主

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  松平石見守康直。第一次遣欧使節団の副使を務めた。

((桂太郎43d

桂太郎(長州藩士)明治34年に首相に就任


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1870’s, Japan, a few years after the abolishing of the samurai by the command of the Emperor..

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               役人の写真

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       島津珍彦(うずひこ)(久光の四男)(1867年)


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 織田信福(おだ・のぶよし)。高知市内で歯科医をしていた。(1878年頃)

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            若い頃の鍋島直大。(1866年)

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              正装した・上級武士

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          お役人 in Nagasaki (1868年)

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western style rifle and back mounted sword by Ueno Hikoma late 1860s ( Boshin war)

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侍 (1880年)

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          Japaner mit Kind. Burger, Wilhelm.

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         宇和島藩主、伊達宗城(1818~1892)

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               幕臣  勝 海舟


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               山岡 鉄舟

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               大久保 利通

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               幕臣 榎本武揚

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               横山主税常守

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       中津藩の藩主で、宇和島藩主・伊達宗城の四男。
    
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                高杉 晋作

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            木戸孝允と養子・孝正

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             渋沢平九郎  (1867年)

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                吉田 松陰

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            十五代将軍 徳川 慶喜

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         十五代将軍 徳川 慶喜 (1867年)

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            十五代将軍 徳川 慶喜


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      Samurai, By Felice A Beato, late (1868年)


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                同心の侍

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Members of the first embassy of Japan to the United States,1860.

           




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 ⑰【幕末~のサムライたち】2.


 私らが生まれていない時代のこと、そしてここに写っているご先祖様は、全て仏様になっておられる事を考えると、これらの写真は、不思議な不思議な世界なのです。

 外国人が日本の珍しい風物を写真に収めたり、当時の日本の写真家に頼んで写し、残された写真です。

 幕末から明治時代にかけての、日本のご先祖様の姿が沢山写されております。


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    万延元年(1860)遣米使節団のニューヨーク訪問。使節団随員。

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    万延元年(1860)遣米使節団のニューヨーク訪問。使節団随員。

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            薩摩藩・二人の子息と家来

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          薩摩藩・子息と家来たち  (1866年)

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      戊辰戦争(ぼしんせんそう)中の薩摩藩の藩士(1968年)

戊辰戦争(ぼしんせんそう)
慶応4年~明治2年(1868-69年)は王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。
名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。
明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。


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                 薩摩藩最後の藩主・島津 忠義

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                                  Boshin war era samurai .

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                      Satsuma clan, Boshin war era, late 1868

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   Samurai from the Satsuma clan, Boshin war era, late 1868

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  Samurai from the Satsuma clan, Boshin war era, late 1868.

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   Boshin war era samurai, late edo period. 上田藩 military band.

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      Samurai troops, Boshin war ers, late Edo period.


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         Boshin war era samurai, late 1868.


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              幕 府 陸 軍。



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            大河原 邦男   相馬藩副軍師.

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       Samurai in armor wearing a jingasa,  1870


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            Samurai in armor, 1870。

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               具足を着用した侍

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               具足を着用した侍

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            軍配を持ち甲冑を着た武士




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