国史画帖『大和桜』㉗ 駄馬を奪って、佐々木高綱は鎌倉に馳せ参ず・・
佐々木高綱は近江の源氏方の侍であったが、源 頼朝が法皇の令旨を受け、従弟の木曽義仲を討つべく兵を挙げたるを聞き、源家の一大事と急遽馬に鞭打ち、鎌倉へ下向の途中、あまりに駆け続けたるため遂に馬は斃れ、夕闇迫る街道筋で途方に暮れていた。
すると一匹の馬を引き来る馬子に会い、天の助けと喜んだ高綱はいきなり「恩賞は何れ凱旋の暁に取らす、拝借致すぞ」と云うや、手綱を奪い取り乗らんとしたが、馬子は必死となり渡そうともせず。
高綱は「源家の一大事、勘弁せよ」と云いざま斬り殺し、一鞭打って鎌倉目指して駆け付けた。
頼朝に見参致せば頼朝大いに喜び、「先陣の門出、望みの恩賞取らすぞ」の言葉に高綱は「恐れ入りますがかくかくの次第、馬は駄馬、君が秘蔵の池月(頼朝の愛馬)を拝領仕り、宇治川先陣致したし」と願い出て遂に池月を頂き、天晴れな先陣を果たしたが、片時も哀れな馬子の事を忘れる暇とても無く、凱旋後馬子との約束を果たすべく住居を探し出し、そこの老婆に「高綱の高名は、汝の息子と馬のお陰だ」と深く謝し過分の恩賞を与え、ねんごろにその霊を慰めた。

