国史画帖『大和桜』・・⑭ 鵯越えの嶮を越え義経の奇襲・・
平家は都を落ち摂津の一ノ谷の嶮岨に籠った。
寿永3年(1184)2月、頼朝の命を受けた義経は、一隊を土肥実平に授け一ノ谷に向かわせ、自らは残りの兵を率いて鵯越より奇襲すべく、一ノ谷の裏山伝いに鵯越に向かったが、山険しく人馬共に大いに悩まされた。
そこで義経は弁慶にこの山の道案内者を探し出せよと命じたところ、ようやく谷間の一軒のあばら屋を見出し、この山の道案内を頼んだところ、快く引き受けてくれた。
これが鷲尾三郎経春でようやく鵯越絶頂に着いた。
下を見下ろせば今しも西南の門では、敵味方入り乱れて大激戦の様がありありと見える。
義経は道案内者に向かって
『屏風を立てた如きこの断崖を、人馬が通るか』との問いに、
『人馬は通りませぬが、たまに鹿が通ります』との答えに、
義経は『鹿は四足、馬も四足、鹿が通って馬が通れぬ筈がない』と大胆にも義経、左右を振り向き『吾に続け』と一鞭当て降りれば、一同続いて一ノ谷を攻め火を放った。
敵はこの不意の襲撃に狼狽し、一溜りもなく敗れ、海路で屋島へとまた落ちのびた。







「いくさに敗れた、平 敦盛の哀れ」を、哀愁こめて唄われた歌で、小学校3年生の時、教わりました。
小学唱歌 「青葉の笛」
一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達(きんだち)あわれ暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 ♫
更くる夜半(よわ)に門(かど)を叩き わが師に託せし言の葉あわれ忌(いまわ)の際まで持ちし箙(えびら)に残れるは「花や今宵」の歌 ♫
(箙(えびら)=矢を入れて身に付ける道具)
「青葉の笛」を聞く・・ 歌・倍賞千恵子
「青葉の笛」を聞く・・https://www.youtube.com/watch?v=q8zBc9cJOok
平 敦盛(たいらあつもり・平清盛の甥)
笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。平家一門として17歳で一ノ谷の戦に参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。
平敦盛と追う熊谷直実
「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。
平氏略系図 熊谷氏略系図