泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2015年06月

韓国の「異様な反日」を分析す・・・産経ニュースより

 韓国の「対日態度」が、狂人の様に余りにも常軌を逸しており、外交儀礼に反したものだと、オバマ政権周辺で批判の声が出始めており、韓国政府も分別の無い一方的無理強いを米国で批判されている・・・事に、やっと気付き始めたようです。

産経ニュース↓ 2015.6.28
http://www.sankei.com/column/news/150628/clm1506280008-n1.html

「異様な反日」韓国の強迫観念 ・・古森義久

 韓国が日本への軟化をみせ始めた。
 この動きは明らかに米国の対韓姿勢の変化を大きな要因としている。オバマ政権内外で韓国の反日ぶりをあまりに理不尽とする認識が広がってきたのだ。その有力な例証の一つは韓国官民の反日傾向を病理的な「強迫観念(オブセッション)」とまで分析した米国人学者の最近の論文である。

 ワシントンのアジア政策関係者たちがいま注視するこの論文は「なぜ韓国はここまで日本に妄念を抱くのか」とのタイトルで、東アジアの政治や歴史を専門とするロバート・ケリー氏により書かれた。「ディプロマット」というアジア外交問題雑誌に今月載り、米国側専門家のネット論壇でもすぐに紹介されて、一気に熱い反響を生んだ。
 米国オハイオ州立大学で政治学の博士号を得たケリー氏は現在は韓国の釜山国立大学准教授を務める。

 ケリー氏は同論文で近年の韓国暮らしの体験から、まず「韓国で少しでも生活すれば、韓国全体が日本に対し異様なほど否定的な執着を抱いていることが誰の目にも明白となる」と書き出し、「異様な反日」の実例として韓国の子供たちの旧日本兵狙撃遊びから日本軍国主義復活論や米国内での慰安婦像建設ロビー工作までを指摘する。

 そのうえで同氏はこれほどの官民一体の日本たたきは70年前までの歴史だけが原因だとは思えないとして以下の骨子の説明と分析を述べていた。

 「韓国の反日は単なる感情や政治を超えて、民族や国家のアイデンティティー(自己認識)の自分中心の探求に近い」

 「だが民族の純粋性を強調することでは北朝鮮には劣ってしまい、国家の民主主義を強調するには人的コネや汚職が多すぎる」

 「だから日本を悪と位置づけ、たたき続けることが韓国の民族の純粋性のレジティマシー(正当性)誇示の絶好の方法となる」

 「韓国の国家や民族の正当性の主張は韓国の存在自体を否定する北朝鮮に向けられるべきなのに、日本たたきを代替の安易な解決法としているのだ」

 日本の政治家や学者が同じことを述べたら大変な事態となるだろう。だが米国側でのいまの議論ではこうした分析への賛同が明らかに増えている。ケリー氏自身がこの5月には「日本の『韓国疲れ』がついに米国でも広まり始めた」という論文を発表したほどなのだ。「韓国疲れ」とは「韓国の文句にはもううんざり」との現象を指す。

 事実、オバマ政権のウェンディ・シャーマン国務次官は最近の訪韓で歴史問題について韓国に注文をつけ、韓国側の反発をかった。ブッシュ前政権の国家安全保障会議でアジアや韓国を担当したビクター・チャ氏やマイケル・グリーン氏も最近は韓国の対日姿勢への批判をにじませるようになった。

 さらに興味深いのは慰安婦問題で日本を長年、たたいてきたコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授が韓国政府高官に「朴槿恵(パク・クネ)大統領の訪米では日本に触れないことをワシントンも望んでいる」と助言したとの報道だ。

 日韓関係の真実がやっと米国側でも知られてきたということだろうか。(ワシントン駐在客員特派員)





国史画帖『大和桜』・・⑨ 文武兼備の源 義家、安倍貞任を追う・・

源 義家は別名八幡太郎と言って、年少の頃、父頼義に従い陸奥の豪族安倍頼時討伐に従い奥州に向かった。

頼時は大いに驚き、その子貞任(さだとう)と共に防戦したが、頼時は遂に流れ矢に当たって斃れたが、貞任(さだとう)は奥州に豪名を轟かせただけあって少しも屈せず、流石の頼義も大いに苦戦を続け、前後九ケ年に渉り戦い合ったことをみてもいかに強敵かうかがわれる。
この頑強な敵を父頼義を助けて次々に攻め破り、遂に厨川の戦いに貞任を滅ぼし義家出世の糸口となった。

義家は衣川の館に火を放ち貞任を攻めたところ、貞任逃げ延びんとするを見た義家は追い迫り、貞任に向かい「きたなくも後ろを見せるものかな」と云った。
貞任後ろを振り向きたれば、義家「衣の盾はほころびにけり」と詠めば、貞任もさるもの直ちに「歳を経し糸の乱れの苦しさに」と答えて逃げ、その場は武士の情けとして一度は見逃した。

古来文武両道は兵家の修養としてたしなみ来たところであるが、義家の如く兵法家として尚且つ文学に優れたる武将は少ない。
かの飛雁により伏兵を知り、勿来の関の和歌などは有名なものである。


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   源 義家、奥州衣川に於いて安倍貞任を追う・・・

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          【安倍氏系図】↓
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● 南シナ海における中国の活動・・防衛省版・・南シナ海埋立状況

中国が南支那海で着々と布石を固めています。
これが中国海軍の侵略戦法の実体の全てでしょう。
「先手必勝、あとは既成事実」という独善的な常套手段の中国。

あの国に「正義」なんて有ろうはずが無いのです。

無人島「尖閣諸島」に於いても、上陸されれば既成事実!・・・

心しておきましょう。

防衛省版・・よりhttp://www.mod.go.jp/j/approach/surround/pdf/ch_d-act_20150529.pdf


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【各々画面拡大できます】
1-1 中国の南シナ海における進出
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1-2 中国の進出に際しての交戦事例
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  【参照】ジョンソン南礁の惨殺 ↓【1988.3.14】

ベトナムが支配していた南沙諸島の、赤瓜礁(ジョンソン礁)の渚に立って守備するベトナム兵に向かって、中華人民共和国は艦艇から、不意打ちの機銃掃射攻撃をしかけ、ベトナム水兵78名以上が死亡した。現場実写!
この海賊並み戦闘で、中国は赤瓜礁(ジョンソン礁)を武力で奪い、中国の占領地とした。


1-3 最近の中国の軍・海上法執行機関等による活動の事例
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2-1 中国による南沙諸島の占拠の状況(埋め立て前)
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2-2 中国による南沙諸島の占拠の状況(埋め立て後)
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3-1 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
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        中国が埋め立てを進めている岩礁

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南シナ海で中国が埋め立てを進めるケナン礁(西門礁)=2015年5月
右下で建設が進められていた6階建ての建物からは足場が取り払われ、完成が近づいているとみられる



3-2 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ジョンソン南礁
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3-3 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ヒューズ礁
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3-4 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   クアテロン礁

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3-5 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ガベン礁
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3-6 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ファイアリークロス礁
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3-7 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   スビ礁

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3-8 中国の南シナ海における岩礁埋立動向
   ミスチーフ礁

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4 南沙諸島の基地化による中国のプレゼンスの増大
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5 中国とフィリピン、ベトナム、マレーシアの海上航空戦力比較
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6 フィリピン、ベトナム、マレーシア等による開発動向
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国史画帖『大和桜』・・⑧ 足柄山上に笙の秘曲を授ける新羅三郎義光(源 義光)

祖父ちゃんが、残してくれていた国史画帖『大和桜』の本があります。
昭和10年8月25日 神田省文社発行の日本国史画集です。

「大和地方御平定の神武天皇」「神功皇后三韓を征し給う」「悪逆無道の入鹿、遂に誅せらる」などに始まり「白雪血に染む桜田門外の変」までの日本国史重要62場面の画集です。


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八幡太郎義家が陸奥守兼鎮守府将軍として、奥羽平定に遣わされたが、奥羽の合戦が困難の由を聞きたる弟、新羅三郎義光は、兄を助けに参りたいと官を辞して云ったのである。
そこで郎党三人、下郎二十人を連れて急ぎ奥州路へと発足した。

当時兎角武辺をもって事とした群雄割拠時代に、新羅三郎は風流な笙を豊原時元に学び精進していた。
元来豊原家は笙の名家であり、殊に時元は並びなき笙の名人であったが、一子時秋がまだ幼少であったため、その秘曲を義光に授けた。
時秋は義光が奥州合戦に加わると聞き、戦場のこと義光が万一討ち死にでもすれば、家伝の秘曲は遂に永遠に伝わらなくなるので、義光の後を追って京都を出立し遂に相州足柄山で義光に追いついた。

義光は後を追ってきた時秋の志を察し、時元より伝えられし秘曲、大食調と八調曲の二曲を授け、尚、時元直筆の笙譜を与え、その望みを叶えさせたのである。
時あたかも仲秋おぼろ月の下で秘曲を授けられる時秋、無念無想ただ飄々たる笙の音が連峰にこだまするのみであった。
 
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   源 義光は後を追ってきた豊原時秋の志を察し二曲を授けた・・

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近江国の新羅明神(大津三井寺)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称した。

新羅三郎の父・源頼義は、平安時代に東北地方で起きた戦乱「前九年の役」を平定しました。
この源頼義の息子たちは、長男が源義家、次男が源義綱、三男が源義光と言います。
この3人の息子たちの別名が、
 
源義家=八幡太郎義家
源義綱=賀茂二郎義綱
源義光=新羅三郎義光
 
となっています。
八幡は京都の岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)。
賀茂は京都の上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。
新羅は滋賀県大津の三井寺(園城寺)北院にある新羅善神堂(しんらぜんしんどう)。
これはそれぞれの人物が元服の儀式を行なった神社で、本名で呼ぶのはタブーの時代とのことでした。

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日本統治時代の台湾・・⑱最南端 鵝鑾鼻ガランビ岬・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

        [台北]ー[基隆]
         |       
       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
       [南投]     
[日月潭]
   ホウコトウ         [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
[澎湖島] ーー [台南]
 
       [高雄]ー[屏東]
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                                [鵝鑾鼻ガランビ]

日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾・ガランピの風光・・   鵞鑾鼻灯台
帝国領土最南端、岸頭に立って遠くバシー海峡を見渡すとき、何人も図南の雄心、胸に躍るを感ずることでしょう。

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻灯台(帝国領土の最南端)

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              鵞鑾鼻灯台

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻灯台と鵞鑾鼻神社

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻神社
鯨骨のアーチには「奉献」と「東洋捕鯨株式会社台湾事業場」の文字がある

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台湾・ガランピの風光・・ 鵞鑾鼻灯台と同神社

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端鵞鑾鼻灯台 燭光2万7千

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻灯台遠望

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台湾・ガランピの風光・・「こんなきれいな菊目石があってよ」
  日本の最南端ガランピにて・・(後藤静香[教育家]と長女) 

  

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             鵞鑾鼻・ガランピ岬

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台湾・ガランピの風光・・大日本帝国最南端 鵞鑾鼻灯台遠望

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台湾・ガランピの風光・・鵞鑾鼻より東海岸線の遠望


● 【日本統治時代の台湾】・・・絵葉書で網羅しております。↓↓


総督府周辺・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34578043.html

台北の繁華街・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34594900.html

台湾歩兵第一連隊と台北周辺の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34620919.html

基隆港(キールン)の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34645723.html

原住民・高砂族・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34671109.html

高砂族の日常風景・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34692964.html

高砂族のスナップ・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34721221.html

高砂族の集落・・絵葉書  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34747016.html 

台中、南投、日月潭の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34773152.html

タロコ峡谷、次高山の風光・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34799282.html

新高山、阿里山の風光・・   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34824921.html

阿里山の雲海と神木・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34849543.html

竹筏・水牛耕作などの風物・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34873927.html

台南と嘉義の風光・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34900785.html

澎湖島の風光・・   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34927443.html 

高雄と屏東の風光・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34954462.html

台湾特産の果実・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34981879.html 

最南端 鵝鑾鼻ガランビ岬・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/35003528.html 

 




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日本統治時代の台湾・・⑰ 台湾特産の果実・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

        [台北]ー[基隆]
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       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
       [南投]     
[日月潭]
   ホウコトウ         [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
[澎湖島] ーー [台南]
 
       [高雄]ー[屏東]
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                                [鵝鑾鼻ガランビ]

日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾特産の果実・・  台東名産の木瓜(パパイヤ)

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台湾特産の果実・・    木 瓜(パパイヤ)

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           木 瓜(パパイヤ)

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台湾特産の果実・・    台湾椰子の果実

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台湾特産の果実・・蓮 霧 (レンブ・無花果のようで味は林檎に似ている)

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            蓮 霧(レンブ)

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            蓮 霧(レンブ)

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台湾特産の果実・・蓮 霧 (レンブは無花果のようで味は林檎に似ている)

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台湾特産の果実・・     蓮 霧 (レンブ)

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台湾特産の果実・・    茘 枝 (ライチ 
一寸見たところは松かさの様です。酸味のあるさっぱりしたおいしいものです。

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             茘 枝 (ライチ

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台湾特産の果実・・ 釈迦頭(セッキヤ)蕃荔枝バンレイシ
セッキヤ・・・南部地方に多く産し、実の形は松かさに似て甘いクリームのような味。

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           釈迦頭(セッキヤ)

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           釈迦頭(セッキヤ)

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台湾特産の果実・・    龍 眼(ゲンゲン)
竜眼・・・椋のような実が無数に成り、種は丸く太く白く、甘い果肉が付いている。

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             龍 眼(ゲンゲン)

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台湾特産の果実・・      龍 眼

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台湾特産の果実・・台湾果実・祐(ユーアー)龍眼肉(ゲンゲン)

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台湾特産の果実・・   台湾果実の盛合わせ 

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台湾特産の果実・・    檸檬果(マンゴー)
果物の王と呼ばれる熱帯特有の果物です。すこぶる腐敗しやすく遠地への輸送は絶対出来ません。

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台湾特産の果実・・    檸 檬(マンゴー)

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台湾特産の果実・・    楊 桃 ・・味は酸味強く、李、すももの様である。

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            楊 桃(ヤンタオ)

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台湾特産の果実・・      楊 桃

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台湾特産の果実・・     パンの実
パンの実は、その味がパンの味に似ていることから「BREAD FRUIT(英語でパンの果実)」と名付けられたとか。

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             パンの実
火を加えることでフカフカのパンのように手で裂いて食べる事ができるのです。味は、パンの食感をした芋との事。

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台湾特産の果実・・   鳳 梨  パイナップル

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台湾特産の果実・・ 鳳 梨   パイナップル

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台湾特産の果実・・       バナナ

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台湾特産の果実・・    芭 蕉・バナナ




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