泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2015年05月

日本統治時代の台湾・・⑯ 高雄と屏東の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

        [台北]ー[基隆]
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[日月潭]
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[澎湖島] ーー [台南]
 
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【打狗(ターカウ)】とは【高雄】の古称である。
日本統治により、「高雄」と改称されて現在に至っている。
高砂族(マカタオ部族)のタアカオ社があったことに由来する。
イギリス領事館が設置されたことで、イギリスとの貿易拠点としての地位を確立した。

日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台湾・高雄の風光・・   打狗港全景・・高雄港

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台湾・高雄の風光・・1864年英国領事館開設、5月5日、打狗港正式開埠頭

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台湾・高雄の風光・・   打狗港全景の内・・高雄港

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台湾・高雄の風光・・打狗港内岸壁工事と台東丸砂糖積込み

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台湾・高雄の風光・・   高雄港岸壁上屋倉庫

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台湾・高雄の風光・・     高雄港岸壁

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台湾・高雄の風光・・  高雄港岸壁の砂糖積込み

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台湾・高雄の風光・・     高雄港岸壁上屋倉庫

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台湾・高雄の風光・・   ↑基隆港         ↑高雄港

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台湾・高雄の風光・・     高雄港と壽山

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台湾・高雄の風光・・     打狗港内岸壁倉庫

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台湾・高雄の風光・・  高雄港岸壁クレーンの荷役

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台湾・高雄の風光・・   打狗(高雄)全景の内

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台湾・高雄の風光・・岩山より高雄第一小学校及び湊町の景観

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台湾・高雄の風光・・  打狗尋常高等小学校・・高雄第一小学校

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台湾・高雄の風光・・      高雄州庁舎

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台湾・高雄の風光・・     高雄停車場・・高雄駅

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台湾・高雄の風光・・ 東洋一の淡水渓鉄橋(対岸は屏東方面)

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台湾・高雄の風光・・    淡水渓大鉄橋の正面

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台湾・高雄の風光・・淡水渓大鉄橋(東洋第一)長さ1哩余り

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台湾・屏東の風光・・     屏 東 飛 行 隊
屏東飛行第八連隊は、昭和2年5月大刀洗飛行隊から移営したもので爆撃隊、偵察隊の両隊編成で帝国南端の守備の任に当たっている。そのモダーン兵舎と広漠たる飛行場には、遥かに旅行者の肝を驚かすに充分である。

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台湾・屏東の風光・・   製糖工場と甘蔗の列車
台湾は砂糖の国である。畑で刈り取った甘蔗は、写真の通り列車に積み込んで続々と製糖工場へ運び入れる。写真は屏東の台湾製糖会社(台糖)の工場である。




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日本統治時代の台湾・・⑮ 澎湖島の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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[日月潭]
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[澎湖島] ーー [台南]
 
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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾・澎湖島の風光・・  千人塚陸軍慰霊式の光景
【千人塚】
日清戦争中、澎湖諸島にも軍が送られています。
「千人塚」については「明治二八年二月、比志島枝隊澎湖島占領の際の戦死者其の他千余人を合祀する」とあります。
「明治二十七年、我が征台軍混成枝隊馬公城占領後、一時コレラ病発生シ、患者日々激増シ、患者総数一千九百四十五名内、死亡者一千二百五十七名、中央千人塚ニシテ門ノ左右白(1字欠)見ユルハ当時二百名又ハ三百名土葬セリ、右高地ニ見ユル石塔ハ現時陸軍墓地ナリ」としています。

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台湾・澎湖島の風光・・澎湖島陸軍墓地 俗称千人塚

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖公園松島記念砲塔
【松島艦沈没紀念塔】
澎湖諸島では日本軍の練習艦「松島」の沈没事故が発生しています。
「練習艦松島ハ南洋諸島ヲ航海シ、五月三十日碇泊中、艦尾火薬室爆発シ名士ノ子息等二百余名海底ノ藻トナリシ」と書かれています。
また、その紀念塔については「松島艦ノ首砲ヲ以テ紀念塔トシ艦ノ器具ヲ以テ建ツ」としています。また、傍らの建物は「松島記念館」であるようです。

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     明治41530日、澎湖島ニ於ケル松島沈没当時ノ光景

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖公園松島記念碑と記念館

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 馬公重砲兵連隊

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 馬公重砲兵連隊

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台湾・澎湖島の風光・・   澎湖島 馬公市街全景

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台湾・澎湖島の風光・・  澎湖島 媽宮海岸全景

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台湾・澎湖島の風光・・   澎湖島 澎湖庁舎

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島通梁第一の大榕樹(カジュマル)
         東西9間、南北18間余り

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島 通梁大榕樹(カジュマル)

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台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖島通梁の大榕樹(カジュマル)
澎湖小唄】
水は美しく、月又冴えて、人の心は永遠の春、それは平和のホンニホラヤノ神の島。

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台湾・澎湖島の風光・・    澎湖島 観音亭

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台湾・澎湖島の風光・・    澎湖島 観音亭

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台湾・澎湖島の風光・・    東洋一の北島灯台

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             北島灯台遠望




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日本統治時代の台湾・・⑭ 台南と嘉義の風光・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

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       [南投]     
[日月潭]
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[澎湖島] ーー [台南]
 
       [高雄]ー[屏東]
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日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

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台南の風光・・        台南市街の並木

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台南の風光・・     台南市庁舎よりの眺め

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台南の風光・・    台南市 大正通り(正面に市庁舎)

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台南の風光・・  台南大正道路より台南庁舎を眺める

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台南の風光・・        台南公園の噴水

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台南の風光・・      台南公園内の滝

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台南の風光・・      台南 君が代橋

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台南の風光・・      台南城壁 大南門

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台南の風光・・      台南城壁 大南門

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台南の風光・・  台南 ゼーランジャ城  清国時代の大砲
1627年にオランダ人が造った要塞で、当時はゼーランジャ城と呼ばれました。
明の復興を掲げる鄭成功らは、このゼーランジャ城を攻め落としたことでオランダを追い出し、台湾を占領しました。
ちなみに、鄭成功は長崎の平戸で父の鄭芝竜と日本人の母の間に生まれた人物。

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台南の風光・・          開山神社
開山路にある「鄭成功」を祀る祠である。開山王廟ともいう。
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した「鄭成功」の功績を賛え、鄭が39歳で死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。


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台南の風光・・       台南 開元禅寺全景
明代末期の1642年に鄭成功が大軍を率いて台湾に渡って東寧王国を創立したが、開元寺の敷地は鄭成功の息子(鄭経)が母・薫太妃のために建てた「北園別館」で
あったのが、高官や豪商たちの社交場として使われるようになっていた。
鄭軍の敗戦で台湾が清朝に帰伏した後に廃墟になっていた。

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台南の風光・・         台南 孔子廟
この孔子廟は1665年に、鄭成功の参謀長であった陳永華の発議により建てられたといわれており、人材の育成を目的として、学問に精励する人格者をここに招聘したようである。

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台南の風光・・         孔子廟大成殿

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台南の風光・・          塩 田

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台南の風光・・   大日本製糖(株) 事務所と第一工場

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土木技師【八田与一】(金沢出身)が指揮して造られた嘉南大圳 烏山頭貯水池の堰堤・・未だに台湾から恩人への祈りに金沢への来訪が続くという。

【烏山頭ダム】(うさんとうダム) 
台南市の北東約40km、嘉南平野東方の山地に、日本統治時代の1920年から10年を要して造られた巨大ダム「烏山頭ダム」。貯水池が珊瑚の形をしているため珊瑚潭とも呼ばれる。
ダムの建設を指揮したのは、明治末期に台湾に渡った日本人土木技師、八田與一である。
彼は大学卒業後、仕事に腕を振るえる場として台湾に就職の道を選んだ。
建設以来、嘉南平野に広がる水田の水がめとして大きな役割を担っている。
ダムの堰堤長1,350m、堰堤盛土高さ51m、完成当時の満水貯水量は日本の黒部ダムの75 %に相当し、ダム湖面積は6,000haにおよぶ。またこのダムから配水する15haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設している。
さらにダム工事に伴って烏山頭に集まった約2,000人の人々のために、病院や学校を建設するなど、ダム、灌漑用水の他に地元に多くのものを残した。
現在でも地元では「八田ダム」と呼ばれている。

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           現地にある八田与一の銅像

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           八田与一・・・一家族の写真


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          現在の烏山頭貯水池 堰堤

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台南の風光・・八田与一指揮により完成した烏山頭嶺隧道 放水路出口


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嘉義の風光・・         嘉義市 栄町通

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嘉義の風光・・     北港媽祖廟前参詣者の雑踏

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嘉義の風光・・         嘉義製材工場




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日本統治時代の台湾・・⑬ 竹筏・水牛耕作などの風物・・絵葉書

明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895417日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。

 これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。

【竹筏】てっぱい
竹を組んだ台湾の筏(いかだ)。大陸に近い台湾西海岸に多くみられることなどから、中国南部に起源するとみられ、中国南部(さらに東南アジア)の類似の竹の筏を「てっぱい」とよんでいる。海水用のテッパイは、真竹を曲げて舳先(へさき)、艫(とも)をつくり、両側をせり上げた緩い舟型であり、帆を用い複数のさし板を用いて安定性を増す。
真竹のほかに台湾特産のシチクも部分的に用い、皮をはいだ竹に塗料を塗り、籐(とう)を用いて前端のやや短い台形に組み立てた。最も大きいトアパイ(大筏)は約2.6メートル×7メートルもあり、3年程度使用できる。櫂(かい)や棹(さお)で操作している。

        [台北]ー[基隆]
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       [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
       [南投]     
[日月潭]
   ホウコトウ         [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
[澎湖島] ーー [台南]
 
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                                [鵝鑾鼻ガランビ]

日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
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台湾の風物・・      水牛と牧童 

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台湾の風物・・     水牛と高砂族の子供 

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台湾の風物・・      水牛による開墾 

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台湾の風物・・      台湾の水牛車 

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台湾の風物・・      台湾の水牛車 

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台湾の風物・・     台湾の水牛牛車

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台湾の風物・・      水牛の放牧

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台湾の風物・・       竹 筏 (テッパイ)

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台湾の風物・・   竹筏(テッパイ)の勇壮な操船

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台湾の風物・・       竹 筏
真竹を筏に組んで、台湾南部の近海で使用されています。漁業用はかなり遠くまで出漁します。

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台湾の風物・・     竹筏を浮かべて・・
竹筏はてっぱいと呼ぶ。台湾独特の舟で特に中南部地方に多い竹竿を組んだ小舟である。大小の丸竹を適当の長さに切り、その先端を少し湾曲させ、皮をはぎ水に浸しても腐らぬように枯らして組み合わせ、籐で組んで作る。

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台湾の風物・・    龍 滑 車 (田畑に水の汲み上げ用)

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台湾の風物・・    蘭 草 園(台湾産の蘭を栽培中)

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台湾の風物・・     台湾の轎(きょう=籠)

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台湾の風物・・ ↑台湾祭典の芸台    ↑台湾名優の舞台姿

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台湾の風物・・       台湾人の露店

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台湾の風物・・     本島人家族の宮詣り 

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人

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台湾の風物・・       台 湾 美 人




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