●日本統治時代の台湾・・⑯ 高雄と屏東の風光・・絵葉書
明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895)4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。・ |
・ [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
・ [南投] [日月潭]
・ ホウコトウ [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
・ [澎湖島] ーー [台南]
・ [高雄]ー[屏東]
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・ [鵝鑾鼻ガランビ]
【打狗(ターカウ)】とは【高雄】の古称である。
日本統治により、「高雄」と改称されて現在に至っている。
高砂族(マカタオ部族)のタアカオ社があったことに由来する。
イギリス領事館が設置されたことで、イギリスとの貿易拠点としての地位を確立した。
日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。






















屏東飛行第八連隊は、昭和2年5月大刀洗飛行隊から移営したもので爆撃隊、偵察隊の両隊編成で帝国南端の守備の任に当たっている。そのモダーン兵舎と広漠たる飛行場には、遥かに旅行者の肝を驚かすに充分である。

台湾は砂糖の国である。畑で刈り取った甘蔗は、写真の通り列車に積み込んで続々と製糖工場へ運び入れる。写真は屏東の台湾製糖会社(台糖)の工場である。
