●日本統治時代の台湾・・⑫ 阿里山の雲海と神木・・絵葉書
明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895)4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。【阿里山】
最高峰は大塔山の2663m。面積は約32700ヘクタールで、日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」が有名である。また、3~4月には桜が満開となり「桜の名所」としても名高い。
戦前の日本統治下、1934年に隣接する新高山とともに「新高阿里山国立公園」として日本の国立公園に指定されていた。
【神木】
1906年、日本の技師小笠原富次郎が3000年以上の巨大なタイワンヒノキを発見した。
樹齢3000年を誇る「阿里山神木」であったが腐敗が進んでおり、1998年6月29日に切り倒された、2006年に「二代目神木」を選考していた結果、現在では二代目「阿里山香林神木」が選ばれている。
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・ [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
・ [南投] [日月潭]
・ ホウコトウ [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
・ [澎湖島] ーー [台南]
・ [高雄]ー[屏東]
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・ [鵝鑾鼻ガランビ]
日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

巨樹老幹整然として天日を見ざるもの方十数哩、天下稀にみる一大美林である。
山上には八千数百尺内外の海抜であるだけに、盛夏でも寒冷を覚える。
風景は頗る雄大で、晴れた日には新高山が揺呼の間に見え、遠くは次高山、南湖山の秀峰までも眺められ、時としては忽ち下界を覆う雲海の壮観を見ることも出来る。 旅行者の一度は足を運ぶべき処であろう。











・ 樹齢約3千年 目通り周囲 64尺

