泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2014年11月

●忘れかけの内子町風景・・④ 内子町俯瞰の移ろい(北から、南からの眺め・・)


その昔、何気なしに写していた、他愛ない風景写真が今では貴重な写真となってしまいました。
 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。

ほんの40年、50年前・・今では残っていない、懐かしい風景が沢山写っているはずです。


【北からの眺め・・】
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     内子町と内子高校の展望・・・昭和31年(1956
  校舎の向こうに内子座の屋根が見える。その向こうは東洋館 
 左の松の大木は電話局裏のもの。隣に内子警察署右下の屋根は小学校

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   天神山より内子・廿日市方面を見る・・昭和37年(1962
眼下に旧内子線・内子駅、内子高校、小学校の講堂、酒六酒造や駅前の
乾繭倉庫、中央部の森は三島神社。後方は神南山
710m)の全容。
 内子駅にはSLが牽引していた貨車が止まっている。
国道56号線やJR新内子線は未整備の時代でした。

Screenshot_2020-04-27 郷の谷2_002
旧内子駅上空から旧内子線を望む  2014年
(横切るのは郷の谷川)
Screenshot_2020-04-27 郷の谷川から天神山002(4)
郷の谷川上空から、上の逆方向「旧内子駅方面」を見る  2014年

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天神山より内子駅の展望・・・(1975頃) 
駅前の緑の屋根は乾繭倉庫

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天神山より雪の内子・廿日市方面を見る・・昭和41年(1966

((山本神社権現2014
権現さま(山本神社)より南の展望(2014)(長屋根は酒六酒造)

((14権現神社
権現さまの祠(山本神社)(2014)

内子1955?
小学校裏山より内子・廿日市方面を見る・・昭和43年頃(1968
新国道工事の始まった頃

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天神山より内子高校と鳥越方面の展望(昭和37年1962)

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天神山より内子高校と廿日市方面の展望・・・昭和45年(1970
新しい国道56号線が整備されている。

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天神山より内子高校と廿日市方面の展望・・・昭和55年(1980
新しい国道56号線が整備され、新内子線の高架も完成している。
新内子線は昭和61年(1986)開通。

左に内子町役場、内子高校の本館も鉄筋4階建てで完成。


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内子町役場より前面の沖田と国道56号線を見る。平成10年(1998)
横切るのは郷の谷川。

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天神山より内子町中央部を見る・・・昭和37年(1962
伊予銀行から八幡神社の森までの範囲。知清橋から肱川町、芳我病院、
下芳我邸、本町劇場、製糸工場や中町の鎌居醤油、林ブリキ店が
確認できる。  正面の山は平岡の大登山。

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天神山より内子町中央部を見る・・・大正15年(1926
知清橋が木橋の頃

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天神山より内子町中央部を見る・・・明治時代
鎌居醤油、下芳我邸が確認できて、沖田周辺に蝋の晒し場がある。

Screenshot_2020-04-27 2014 知清・竜宮(6)
知清から竜宮までの一望  2014年
竜宮には屏風の様な絶壁が構えている・・抉れた部分の下が旧(平岡街道)

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高昌寺より内子・八日市方向を望む・・・平成24年(2012

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高昌寺より内子・八日市方向を望む・・・平成23年(2011


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中山上空より内子町を見る。右に神南山
中山、立川付近から、愛媛ゴルフ場、内子、五十崎平岡、宿間と傍観できる

03_五十崎方面?内子
宿間方面の遠望

((110五十崎
五十崎と豊秋橋

((kannanzankara020
神南山より眼下に平岡を望む(2019)
下に香林寺、天神小学校、五十崎中学校、遥か遠景中央部は石鎚山

Screenshot_2020-04-27 DJI鳥越_002(14)
鳥越上空より五十崎・平岡方面を望む 2014年


【南からの眺め】
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       内子・八日市町並みより高昌寺を眺める・・・平成2年(1990)

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内子・知清上空から町内の展望  2014年頃
上部に高昌寺、内子中学校、左に内子高校、右に内子橋、中山川。

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      竜王城址より内子町の展望・・・昭和55年 (1980)
           左の鉄筋建築は旧内子町役場

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竜王城址より内子町の展望・・・昭和39年 (1964)
左・古天神 中・権現様 右・新天神 後方・秋葉山

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   竜王城址より内子・廿日市方面の展望・・・昭和25年頃(1950)
           願成寺辺りと右は駄場池堤防。↑

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    内子・鳥越から廿日市方面の展望・・・昭和50年頃(1975)
   (左)旧国道、と(右)国道56号線開通。中央上部に願成寺

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鳥越から内子方面の展望・・・(2014年)

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  沖田の農耕。後方の建物は鳥越の旧斎場。・・・昭和30年(1955)

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     竜王城址より内子町の展望・・・昭和48年 (1973)
     手前に小田川と知清橋、左から郷の谷川が流入している。奥は秋葉山と鎌倉山

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        内子町空撮・・・平成12年(2000) 
ゴルフ場は愛媛ゴルフC.内子コース。 内子五十崎インターは工事中。
内子は、標高の低い丘に囲まれたフライパンの様な地形で、古代は湖沼だった所が龍宮淵(右下)の部分が決壊し、湿地帯として残ったような場所です。

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          愛媛ゴルフクラブ.内子コース
 
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                竜王城址より内子町の展望・・・2013年  奥の山は鎌倉山(678m)

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竜王城址より内子町の展望・・・2019年 

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       竜王城址より内子町廿日市の展望・・・2013年 
 左、山裾の道路は旧内子線跡のもの。 後方の山は秋葉山(700m)
 秋葉山は小学校上級生の恰好の遠足コースでした。

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神南山から内子、五十崎の一望 (2019) 右奥に石鎚山


● 忘れかけの内子町風景 

 内子小学校、中学校と新天神さま・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966052.html 

 郷の谷の佇まいと旧内子線鉄橋付近・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966053.html

 知清河原と龍宮淵・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966054.html 

 内子町俯瞰の移ろい(北から、南からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966055.html 

 内子町俯瞰の移ろい(西から、東からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966056.html 

 内子町を構成する村落の歴史・・http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966057.html

保存保存

●忘れかけの内子町風景・・③ 知清河原と龍宮淵


その昔、何気なしに写していた、他愛ない風景写真が今では貴重な写真となってしまいました。
 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。

ほんの40年、50年前・・今では残っていない、懐かしい風景が沢山写っているはずです。



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 知清河原から川下の知清橋と神南山(710m)の遠望・・昭和37年(1962)

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知清河原の桜並木から見た知清橋(橋の右手は澱粉工場)・・昭和37年(1962)

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知清河原の桜並木から見た知清橋・・・令和元年(2019)

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         内子・知清河原の桜並木・・2014

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           内子・知清河原の桜並木

60年ほど前でしょうか・・・
私らが子供の頃、内子の雛祭りは旧暦に合わせて4月3日に行われていました。 ちょうど桜満開の時期になります。

4月3日は「雛送り」と称して、内子町内の近所の男女子供たちが誘い合わせて知清河原へお重箱のご馳走を持ち寄り、お雛様を飾って過ごした1ケ月の終わりとして、グループごとにお重箱のお開きをするのでした。
広い河原一面に、子供たちの宴会の輪が出来ていたものです。

水ぬるむ川へ入り石をめくってドンコやカジカ
(ゴリ)を獲ったり、砂利で囲んで池を作ったり、子供たちは楽しい半日を、知清河原で過ごしたのです。


((1961知清
知清河原での川泳ぎ(1961)1953年頃までは上流のまさかり淵でした

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     内子・知清橋(上流からの眺め)・・昭和3年(1928)

Screenshot_2020-04-17 Google Maps(6)
内子・知清橋(上流からの眺め)・・(2019)

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        内子・知清橋(上流側から写す)・・昭和37年(1962)

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      花見時、内子・知清橋(下流側から写す)・・昭和37年(1962)

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内子町・知清橋・・・昭和6年(1931)

■内子 1962.37-東より
■内子・知清河原から天神山を見る  昭和37年 1962

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 知清河原から対岸の内子町内、北方を展望。 遠景は鎌倉山 (1962)

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知清河原から上流の小田川・中山川合流付近の展望(1962年)
左岸は藤山製材所、中山川に架かる橋は内子橋

(((内子橋大正
知清河原から上流の小田川・中山川合流付近の展望 大正14年(1925年)
中山川に架かる橋は内子橋

Screenshot_2020-04-27 2014 11内子からりまさかり淵(8)
中央に内子橋
とまさかり淵(2014年)

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小田川・中山川合流付近で、瀬を上るハヤか鮎を投網でねらう太公望・・
(1962)

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水清き知清河原  (1962)

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水清き知清河原・・右上にハヤが5~6疋。 (1962)

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水清き知清河原  (1962)

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龍宮淵のかかりから、知清方面を見る・・・昭和15年頃

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知清橋から約1km下流に「龍宮淵」があり、水は淀み水深は深くなる。

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龍宮淵 (1962)

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龍宮淵から内子・廿日市方面を見る (1962)

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龍宮淵から内子・廿日市方面の展望 (1962年)

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龍宮淵から内子・廿日市方面の展望 (2019年)

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下流から見た、龍宮淵の淀み (1962)

●2014-16
内子町知清から平岡へ抜ける「平岡街道」が川下に沿って通じているが、
左側にはオーバーハングした高さ100mの崖があり、この辺は
通行者にとっては落石要注意場所だった・・今の街道はトンネル。(1962)
Screenshot_2020-04-27 2014 知清・竜宮(6)
知清から竜宮一望(2014年)

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龍宮淵の淀み (1962年)

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龍宮淵と右岸の「かばん岩」、遥か下流に五十崎の「豊秋橋」遠望
(1962年)


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五十崎の「豊秋橋」から見た、上流の「龍宮淵」方面 (2006頃)
山の裂け目を小田川が穿ったような場所である。

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五十崎の「豊秋橋」 (2011年)

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5月5日例年の行事・・五十崎「豊秋河原」の凧喧嘩(凧合戦) 
凧糸にカガリと言う刃物を付けて、空中で糸を絡ませて切り合い勝負する。
昭和30年頃まで、この河原で「牛市」も開催され、
農作業用牛馬の売買も行われていました。

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平岡街道より見た、龍宮淵の淀みと対岸の「かばん岩」(1962)
(この辺は、足元も絶壁なら、頭上も絶壁)

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龍宮淵と対岸の「かばん岩」を下流から見る 
(1962)


● 忘れかけの内子町風景 

 内子小学校、中学校と新天神さま・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966052.html 

 郷の谷の佇まいと旧内子線鉄橋付近・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966053.html

 知清河原と龍宮淵・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966054.html 

 内子町俯瞰の移ろい(北から、南からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966055.html 

 内子町俯瞰の移ろい(西から、東からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966056.html 

 内子町を構成する村落の歴史・・http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966057.html

保存

●忘れかけの内子町風景・・② 郷の谷の佇まいと旧内子線鉄橋付近

 明治時代までの内子の街道筋は、護国から八日市、坂町、中町、郷の谷、駄場を通って新谷、大洲へ通じていたそうです。

その昔、何気なしに写していた他愛ない風景写真が、今では貴重な写真となってしまいました。
 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。
 
ほんの40年、50年前・・今では残っていない、懐かしい風景が沢山写っている筈ですよ。

雨に煙る郷の谷眺望 1959-34年
  雨に煙る郷の谷眺望  昭和34年(1959)
 天理教会裏の踏切から郷の谷を見下ろす光景前方に高森山


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      七夕飾りの内子・郷の谷の家並 昭和37年(1962)

Screenshot_2020-04-17 Google Maps
同じ場所(2014年)

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        七夕飾りの郷の谷の家並 昭和37年(1962)
             (ひさしとたけし)

(ひさし
虫取り網を持って友を待つ(たけしくん)1962

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     内子郷の谷、駄菓子屋の小母ちゃん  昭和33年(1958)
 空き地から天理教会が見えていた(田中表具店前で)道路は地道でした・・

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      七夕飾りの内子・郷の谷の家並 昭和37年(1962)

・郷の谷橋から西
          郷の谷橋付近から西を見た風景・・・2017年


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    建物横の露地(せだわ)・・・缶蹴り中のたっちゃん(昭和33年)


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近所の赤ちゃんの子守をする、たっちゃん。
後方の店が「森並商店」(駄菓子店) 
昭和34年(1959)



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        内子・郷の谷の家並  昭和34年(1959)


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  内子町・郷の谷の家並(お正月で店は閉店中) 昭和33年(1958)
      (左からひさし、いさむ、じゅん、たっちゃん)
  

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 天理教会で・・内子保育園開設 昭和23年5月(1948年)後列中央榊原園長
           (昭和17~8年生れの子供達)

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    郷の谷橋のたもとに吾野食品店があった   昭和33年(1958)


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        昭和34年(1959)正月に降った雪。
        吾野食品店・豆腐店と郷の谷橋の向こうの藤岡さん


       ↓        ↓        ↓
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       吾野食品店、豆腐店の在ったところ・・・現在


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         雪の郷の谷遠望・・・平成2年(1990)


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 駄場付近と郷の谷遠望   昭和5年(1930)
          左に内子座 右に東洋館が見える。


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      内子・郷の谷橋より川上を望む 昭和34年(1959)
     300m先に旧内子線の土手が見える

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    郷の谷川沿いから見た旧内子線鉄橋  昭和37年(1962)
   毎年5月下旬になると、蛍が飛び交い蛍狩りをしたものです。
   昭和35年頃までは、この川渕にイチジクの大木が2本有った。

・郷の谷から鉄橋0
郷の谷橋付近から旧鉄橋方面を見た風景(川がほぼ直線に)・・2017年

郷の川上
旧内子線鉄橋は低くなって道路になった


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  郷の谷橋から川下、栄橋を見た風景(昔の家は全て新築された)・・2017年
  中間にコンクリートの橋が架かっていた。

(郷の谷上
栄橋から川上の、郷の谷橋を見た風景

郷の谷橋から中町
 郷の谷橋から中町を見た風景(昔の家は全て新築された)・・2017年
 新天神山も巨木は伐採された。


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        近藤精米所辺りから前面を見た風景。 (2017年)
        左に郷の谷橋が見え、この正面辺りにコンクリート橋



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     旧内子線鉄橋下の様子・郷の谷川  昭和37年(1962)

内子 1962.37-10 016
旧内子線鉄橋下の水辺  昭和37年(1962)

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            内子線のC-12型機関車

((s38鉄橋
内子駅を発車した列車が郷の谷川鉄橋を渡る (昭和38年1963)

((s45・3・31SL最終
昭和45年3月31日 内子駅をSL最終列車が発車した・・

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     ここを坊ちゃん列車が走った時・・平成元年(1989)
・    鉄橋の向こうに新内子線の高架が見えている・・

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     内子を、坊ちゃん列車が走った時・・平成元年(1989)
 石炭を焚いて松山市内を走らせる許可が出ないため、内子線を走らせたらしい。

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            内子駅    昭和61年(1986)

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  内子駅    昭和32年(1957)

JR● 内子駅
 内子駅プラットホ-ム    昭和24年(1949)

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  旧内子線、終着内子駅の様子・・・旧内子線終了時 昭和61年(1986)

JR●内子駅7
内子駅終着点 (1963) 

JR内子●1983
内子駅終着点 (1983) 

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         内子駅構内のC-12231 (2006頃)


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     旧内子線、終着内子駅の様子・・・ 昭和60年(1985)

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    内子駅で出征兵士を見送る風景・・・ 昭和18年頃(1943)
・   後方に内子小学校が見える・・・

JR14c駄場踏切
駄場踏切より郷の谷方面を望む(右は天理教会)1990

JR015c駄場踏切
植松方面踏切より駄場踏切を望む 1990

JR内子●3013
新・旧内子線の最接近地点付近(廿日市)1990

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     鳥越の登り坂を行く内子線・・・昭和9年(1934)

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   鳥越の登り坂を登り切ったら五十崎駅  昭和35年(1960)

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        五十崎駅(いかざき)  昭和35年(1960)


   喜多山トンネル  
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 イメージ 33              
  喜多山トンネル(廃線後)

                     
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  五郎駅・・・内子線から予讃線に乗り換え風景  昭和34年(1959)
          (白髪の紳士は峰先生)


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           五郎駅・・・平成25年(2013)

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         五郎駅の内子線列車 昭和33年(1958)


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       旧内子線鉄橋下の郷の谷川  昭和37年(1962)

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    旧内子線鉄橋下より郷の谷方面を望む 昭和37年(1962)屋波の奥に3階建東洋館

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     植松方面より旧内子線鉄橋を望む  昭和37年(1962)
家並の中に「内子座」の屋根。右の土手下に鉄橋下へ通じる畦道が・・

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    旧内子線付近から郷の谷方面を望む  昭和37年(1962)

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  旧内子線の土手付近から、郷の谷方面を望む  昭和37年(1962)
  中央部の木立は恵比須神社(左)と三嶋神社の森、右の屋敷は天理教会。

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    恵比須神社付近から郷の谷方面を望む  昭和37年(1962)
   家並の中に「内子座」の屋根が見える。 山上の森は新天神様

    ↓上の写真の3軒が使っていた井戸の件です。

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昔の家は、全て新築に成り、用地も低かったので約1.5m嵩上げされまして、3m向こうの、みきさん宅の柵の内側に有った井戸は埋められたそうです。
辛うじて森並と近藤さんとが使っていた井戸は、屋根付きで残っていますが、ここも1.5mの嵩上げで、昔の四角い井戸枠ではありません。
昔はこの周辺は背の高い棕櫚の木や低木の庭木が沢山植えられていました。

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エアコン室外機の有るあたりに、みきさん宅の井戸が有った。
みきさん宅の木製柵は、この写真のように張られていた。
近藤さんの向こうの家は、本町から入ってくる道路
ですので、更に1m高くなっている。(2017年)

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  郷の谷から見た、廿日市の「恵比須神社」(左上の林と祠)昭和35年
    (最近は樹木も伐採され、祠が残っているのみでした)
4a内子町廿日市●恵美須神社2009
廿日市の「恵比須神社」(2014)
昭和26~7年までは、11月末の「亥の子餅」の日に「恵比寿さん」として、町内商店街の大売り出しの市が立ち、近隣山村から老若男女が日用品や農耕用具、種苗の買い出しで町内を闊歩され、もらった抽選券をこの恵比寿神社で、大行列で景品と交換してもらうなど、初冬の風物詩でした。
「恵比寿の市の、職るよな行き来、笑顔ゆかしき伊予言葉」
と、内子小唄にも唄われている。
●『内子小唄』 
 蛭子省二作詞(内子中・用務員)長尾武治作曲(内子高・教諭)
                     (昭和24年頃)

① 春の内子は高昌寺詣で、知清河原の雛送り
 姿かわいや 一ノ瀬かじか、自慢の味が忘らりょか
 内子良いとこ、そうだよ内子

② 夏の内子は天神山よ、竜王城址の深みどり
 天下泰平と太鼓はひびく、日本一の宮相撲
 内子良いとこ、そうだよ内子

③ 秋の内子は八幡様よ、銀杏色づきゃ大祭り
 紙や木蝋で栄えた町が、今じゃ製材 竹細工
 内子良いとこ、そうだよ内子

④ 冬の内子は高森山よ、神南山の遠景色
 恵比須の市の織るよな行き来、笑顔ゆかしき伊予言葉
 内子良いとこ、そうだよ内子


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郷の谷から、垣根越しに西方を見た町内風景 昭和33年(1958)
(左から吾野さん、松長さん、西尾さん宅

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内子町本町の七夕風景  (昭和27年頃・1952年)


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郷の谷橋の下流50m、本町1丁目の郷の谷川を渡る「栄橋」
左の三階建ては東洋館・・昭和6年(1931)

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郷の谷橋の下流50m、本町1丁目の郷の谷川を渡る「栄橋」 平成20年(2008)

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「栄橋」より本町方向を眺めた風景。 平成29年(2017年)


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     植松の古天神様の参道でいさむ  昭和37年(1962)


● 忘れかけの内子町風景 

 内子小学校、中学校と新天神さま・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966052.html 

 郷の谷の佇まいと旧内子線鉄橋付近・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966053.html

 知清河原と龍宮淵・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966054.html 

 内子町俯瞰の移ろい(北から、南からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966055.html 

 内子町俯瞰の移ろい(西から、東からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966056.html 

 内子町を構成する村落の歴史・・http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966057.html


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●忘れかけの内子町風景・・① 内子小学校、中学校、高校と新天神さま

 その昔、何気なしに写していた、他愛ない風景写真が今では貴重な写真となってしまいました。
 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。
 
ほんの40年、50年前・・今では残っていない、懐かしい風景が沢山写っている筈です。


((▲1962・37 西から
       植松の山麓から旧内子線内子駅方面を望む(昭和37年1962)
左端に内子小学校屋根と校庭のプラタナスの茂み、中央部に鉄筋新築された内子高校、駅前の乾繭倉庫と煙突も見える。


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         昭和37年頃(1962)の内子小学校
左後方の権現神社から山頂にかけては赤松林だっが、今は松枯れで皆無だ。


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     昭和37年頃の内子小学校 (後方の山上の大木が新天神様)

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       昭和20年5月に内子小学校へ疎開転校してきた。

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     昭和30年(1955)の内子小学校 (内子高校からの眺め)


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            昭和12年新築時の内子小学校

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  昔、本館前に在った「二宮金次郎像」は現在、校門の外側に鎮座している。

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            昭和12年新築時の内子小学校

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          昭和12年新築時の内子小学校講堂

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現在の内子高校の場所に在った内子尋常高等小学校 (大正10年頃)

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内子尋常高等小学校 (昭和8年頃)

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                現在の内子小学校 (2008年)

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 昭和37年頃、知清河原から見た「新天神山」右手前から参道が伸びている。
右の洋館は旧内子町役場、右奥の山は鎌倉山

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知清河原から見た「新天神山」2019


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    昭和37年(1962)新天神様への参道と町並み保存地区の家々
         坂町を登りきった「枡型」の辺り。

((((af内子八日市
新天神様への参道と八日市町並み  2015年

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        昭和30年(1955)当時の内子中学校正門

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  新天神様参道付近より見た、昭和37年(1962)当時の内子中学校。

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    新天神様参道付近より見た、昭和37年当時の内子中学校。
   校門前の「上芳我邸」も見える。

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      内子中学校・本館の後ろの校庭  昭和32年(1957)


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          現在の内子中学校 (右奥は高昌寺)


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     山上の新天神さま(後方の小高い、昔の監視所跡付近より写す)
              前方の沖田は総てが耕作地。1962年

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新天神社より南東方向を見下ろし町内中心部を見る。
肱川町芳我医院を経て知清橋が見える。下芳我邸、本町劇場、
  製糸工場や中町の鎌居醤油、林ブリキ店が確認できる。    
右の樹木は本町4、八幡神社の銀杏の木・・・1962年

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昭和31年(1956)の内子高等学校(校舎後方に内子座の屋根と東洋館が見える)(左の松の大木は電話局裏のもので、洋館は内子警察署)(直下は小学校屋根)

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内子町立学堂(左)と内子実科女学校々舎(後に高校)(昭和15年頃)

(((16年内子女学校
内子実科女学校(後に高校)の南側は駅に通じる道路だった(昭和16年)

(((1951内子高
昭和26年(1951)の内子高等学校

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       昭和31年頃(1956)の内子高等学校正門

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        昭和45年頃(1970)の内子高等学校正門


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       平成2年(1990)の内子高等学校 (正門付近)

● 忘れかけの内子町風景 

 内子小学校、中学校と新天神さま・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966052.html 

 郷の谷の佇まいと旧内子線鉄橋付近・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966053.html

 知清河原と龍宮淵・・ 
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966054.html 

 内子町俯瞰の移ろい(北から、南からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966055.html 

 内子町俯瞰の移ろい(西から、東からの眺め) http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966056.html 

 内子町を構成する村落の歴史・・http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966057.html


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