泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2014年09月

昭和初期の福知山、元伊勢皇大神社・・絵葉書

京都府福知山市大江町に、元伊勢皇大神社という神社があり、内宮・外宮・天岩戸神社からなる広大な神社です。

元伊勢神宮(もといせじんぐう)とは、伊勢神宮伊勢の現在地に着座するまでに遷座した時に、各地に分祀して残されたという記録は「日本書記」にも記され、元伊勢と云われる神社群であるが、特に丹後国、現京都府福知山市大江町に着座した皇大神社豊受大神社はそれぞれ元内宮と元外宮と伝わり、これらが近接してあるので、大江町の二社を総称して元伊勢神宮ということである。

同地内の岩戸山という異称を持つ日室ヶ嶽の麓には天岩戸神社があって、これらで元伊勢三社ともいう。


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(丹後元伊勢)     外宮神社 御崎の鳥居

元伊勢小唄・・ゆきの坂道手に手を取りて、つもる思いの神だのみ、元伊勢参りの二人づれ。

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        丹後元伊勢皇大神社 八朔祭礼 練込み
この八朔祭は、元々干ばつの際に雨乞いをしたのが始まりで、現在まで続いているようです。

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(丹後元伊勢)     内宮神社 御境内

元伊勢小唄・・五十鈴川原の霞もはれて、心いそいそ花に酔う、参りましょうよ元伊勢に。

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(丹後元伊勢)      外宮神社 御本殿

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(丹後元伊勢)     内宮神社 御本殿

元伊勢小唄・・幾代変わらず御国を守る、ほんに尊い元伊勢や、内外の宮の杉の森。


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           天ノ岩戸神社及び御座石

元伊勢小唄・・昼は涼しい岩戸の清水、夜は谷間のほととぎす、ほんに元伊勢よいところ。


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現在の天ノ岩戸神社及び御座石

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              大江山 稲荷神社

元伊勢小唄・・秋は錦の衣を重ね、派手に彩る日浦岳、元伊勢帰りの紅葉狩り。


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            大江山々麓 二瀬川

元伊勢小唄・・峰の白雪草木もかくれ、一目万里の大江山、スキー姿の勇ましさ。


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              大江山 鬼の岩窟

 (上)源 頼光、都より携え来たり、鬼に勧め給いし木杯及び山樽。



【参考】↓

天照大神の伊勢遷祀と元伊勢 →  http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page201.html

元伊勢原像・・・伝承の起点、笠縫邑 →http://www.nippon-bunmei.jp/topics/turedure/%E3%80%9073%E3%80%91-%E5%85%83%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8E%9F%E5%83%8F%EF%BC%88%E5%8D%81%EF%BC%89-%EF%BC%8D%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AE%E8%B5%B7%E7%82%B9%E3%80%81%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E9%82%91%EF%BC%8D.html

丹後一宮、元伊勢・吉佐宮・籠神社→http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/konojj.html



●日本と日本国民を貶そうとする朝日の反日意図が遂にあばかれて行く…

日本人を悪者にして貶めたい欲求が「朝日」にあるから、日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、第三国人らしく自分自身は正義の立場に立つことができるとでも思っている。
他を貶めることで自分を美化し道徳的優越感を享受したい「朝日」は偽善者である。
日本や日本人を虐げる偽善だから「反日偽善の朝日新聞!」と言うべきである・・・とこの番組は決めつけている。

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9月21日(読売TV)の動画・・90分↓ 

 http://himado.in/238900 そこまで言って委員会

①http://www.dailymotion.com/video/x26cbh2_%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-140921-1_news

http://www.dailymotion.com/video/x26crpm_%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-140921-2_news

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番組内にある「朝日新聞が広告欄の売り切れで掲載不能」と断られた「桜井よし子の意見広告」は、渋々ですが9月17日付朝刊に下記の通り掲載されました。↓

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【参考】↓ 10月1日の広告より
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       徹底検証・・・朝日「慰安婦」報道




朝日新聞・・誤報と謝罪の真相・・誤報の根幹にある体質とは?・・そしてこれからどうなる?・・青山繁晴解説

9月17日の関西テレビ「アンカー」内での青山解説です。
 悪意に満ちた捏造報道の朝日新聞・・
「朝日新聞」関連解説は下記③~④が中心です。



http://www.youtube.com/watch?v=GAFiS-Sy-_s

http://www.youtube.com/watch?v=hq9v2iWkFuY#t=36

http://www.youtube.com/watch?v=xz2dSJqlJB8       ②http://www.youtube.com/watch?v=cOERgHiWje4


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今後の朝日新聞は・・・
廃刊よりもチャイナマネー受け入れへ・・NY Timesの二の舞。

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朝日新聞が誤報を謝罪・・9月11日
政府の「吉田調書」公開に併せて、慰安婦・福島第一・池上問題をまとめて謝罪。



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何故に今か?・・・その背景・・・日本を貶めようとする朝日新聞

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そもそも悪意が無ければ、慰安婦報道について30年以上も放置するわけがない。
吉田調書はソースを調べれば朝日のような認識に至る訳がない。
これのどこが誤報? 明らかに悪意という名の故意による捏造が含まれている。


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この問題の根っこにあるのは・・・反日。
朝日新聞こそ、太平洋戦争を煽ったから・・・後ろめたさの反日に徹している。

日本を貶めることが社是である・・朝日!

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今後の朝日新聞は・・・
廃刊よりも・・チャイナマネー受け入れへ・・
NY Timesの二の舞へ。



昭和初期の福知山・・絵葉書

愛媛県の内子町、母の郷里に残っていた福知山市周辺、昭和初期の絵葉書です。

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福知山名所・・        御霊神社と迎賓館
向かって左方に御霊神社を拝す。明智光秀公の神霊と宇賀御霊神と合祀されている。右方の建物は迎賓館である。

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福知山名所・・        福知山城址
明智光秀公の築城にしてわずかに残る隅櫓に往古を偲ぶことができる。
全街一律の景勝地として四季杖を曳く者が多い。

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福知山名所・・      福知山城址の眺望 
城山に建つ白壁の櫓は銅門番所で、元々二ノ丸にあった多門櫓だそうな。

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現在の福知山城

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          天守が再建された現在の福知山城 

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福知山名所・・     大商店が軒を並べる新町通り

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福知山名所・・        音 無 瀬 橋
橋の長さ150m、幅6.6m、由良川の清流と田園の風物と調和したこの橋は、福知山名所の一つとして誇りうる景観である。

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福知山名所・・     音 無 瀬 橋  昭和7年5月19日竣工

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福知山名所・・         福知山 歩兵第二十連隊正門

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                               福知山 歩兵第二十連隊の跡

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          福知山 歩兵第二十連隊の炊事場


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福知山名所・・↑長田野の展望    ↑長田野陸軍演習場庁舎
昔、明智光秀公が福知山と亀山の両城兼務の時、この広野は必須の要路であった。
駒を速めて日毎に往来した歴史的場面が偲ばれる。今は軍隊の演習地として最適の所とされている。


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福知山名所・・        陸 軍 墓 地

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福知山名所・・         水 源 地
福知山駅より約2.7km、昭和7年3月起工、昭和8年5月竣工、工費40万円と称せられる。


●メディア界の雄たる自負心が強すぎて、自我名誉の為だけを考え言論封殺をしようとしていた朝日新聞社でしたが・・・

① 池上さんコラム掲載します・・・だと・・・

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朝日新聞が8月初めに掲載した過去の慰安婦報道に対する特集記事について、池上彰さんがコラム「新聞ななめ読み」で取り上げました。

 本社はいったん、このコラムの8月29日の掲載を見合わせましたが、適切ではありませんでした。

 池上さんと読者の皆様におわびして掲載します。



【朝日新聞】 9月4日朝刊 13面↓(拡大して読めます)

② 「慰安婦報道検証」訂正、遅きに失したのでは・・・?

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池上さんと読者の皆様へ・・・朝日新聞社コメント


今回のコラムは当初、朝日新聞社として先週の掲載予定を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやりとりの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。
池上さんのコメント・・・


私はいま、「過っては改めるに憚ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。

 過ちを認め謝罪する。
このコラムで私が主張したことを、今回に関してのみ朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認める
ことにしました。


2日後に念を押した記事を掲載した「朝日」・・・

③ 池上彰さんの連載について、読者におわびし説明します

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お詫びし訂正いたします。
ジャーナリスト・池上彰さんが本誌の慰安婦問題の特集について書いた「池上彰の新聞ななめ読み」の掲載を朝日新聞はいったん見合わせ、一週遅れの4日付朝刊で掲載しました。
 この判断について、改めておわびするとともに、経緯を説明します。


「掲載見合わせ」を決断指令したのは誰か?

「そいつは責任取ったのか?」

「朝日は、はっきり発表しろッ!」

これが出来ない限り「朝日はダメ新聞!」のまんまですぞ!・・





●言い訳がましい【朝日新聞】9月6日朝刊 30面↓
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【朝日新聞】9月6日の読者の声・・・↓(拡大して読めます)
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●言論弾圧阻止を叫ぶ言論機関らしい言論封殺でしょうね。   それとも「朝日」の判断能力にヤキが回った結果でしょうか・・・?


●池上彰氏の弁「掲載拒否」で考えたこと・・(週刊文春
9/18号より)


これまでの朝日新聞は、過去の報道についてさまざまなメディアから批判を受けながら、答えてきませんでした。
それを一転、自社として検証したということ自体は、評価してもいいでしょう。
ところが、特集の本文を読むと、十分な検証とは言えないと私には思えました。
とりわけ、内容に疑義が呈されてからも、長い間沈黙してきたことについての検証がないこと、報道に誤りがあったことについて訂正しているのに、謝罪が出来ていないことです。 
間違えたら訂正して謝罪する。この当たり前のことが出来ていないのです。
たとえばテレビ報道で、間違いがあって訂正する時、キャスターは「お詫びして訂正します」とコメントします。
それが常識の世界で仕事してきた身としては、訂正してもお詫びなしの態度には違和感がありました。
このことを「新聞ななめ読み」に書いたのですが、自分のコラムが掲載される媒体を批判するのは、誠にしんどいことです。
先月28日、「掲載できない」との申し入れがあったことから、私としては「編集権はそちらにありますから、私としてはとやかく言いませんが、今後の連載は打ち切らせてください」と申し上げました。
このコラムは朝日新聞社から「何を書いてもいいですから」という条件で執筆を依頼されたもの。
その条件が一方的に破棄されたのですから、信頼関係が崩れたと判断しました。
でも、そう答えながらも、心の隅に「お前、そんな偉そうなことが言えるのか」という声が響いていました。
その一方で、新聞は報道機関。報道の自由、表現の自由を主張しながら、依頼原稿をボツにするとはどういうことか、という憤り。 そんな思いを抱きながら金曜日、テレビの取材でロシアに渡りました。
すると翌週の月曜日、週刊新潮から取材の電話で「朝日の関係者から聞いたのですが・・・」とのこと。
朝日社内の情報管理はどうなっているのか・・?、ではなくて、連載原稿を掲載しないという社の方針に、憤って伝えた人が居たのでしょう。
報道機関として自殺行為だと考えた社員だったとすれば「内部告発」でしょう。
次に連絡があったのは雑誌プレジデント。三番目が週刊文春で翌日火曜日のことでした。
私もこうして連載を持っていますから、本誌に掲載されると、まるで私が漏らしたように思われるかも知れない。嫌だなぁと思いながら取材に応じました。
週刊誌発売は木曜日。私が帰国する日です。
「帰国したら騒ぎに巻き込まれるのか」と考えていたら、なんと本誌は「週刊文春デジタル」でその日のうちに速報しました。
その記事がヤフートピックスに出て、各社の取材攻勢が始まりました。
朝日新聞は、掲載を拒否したことで、かえって自社のイメージを悪くし、掲載拒否が全国に知れ渡ることになってしまったのです。
しばらくして、別の出版社の編集者からのメール、「ツイッターで大騒ぎになっていますよ。朝日の記者も自社批判つぶやいていますよ」とのこと。


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慰安婦問題「河野談話」作成までの経緯・・④

政府が620日に公表した「河野談話」の検証報告書は、いわゆる従軍慰安婦問題に関する表現を巡り、日韓両政府が直前まで綿密に打ち合わせていた舞台裏が浮き彫りになりました。


河野談話を起点として、ここ数年で韓国の喧伝により「慰安婦問題で旧日本軍が直接関与した」とする誤解は世界に拡散されております。
事実関係の調査を蔑にして、韓国との政治的妥協と外交的配慮を優先した、極めて問題の大きな「日韓合作の談話」であり、韓国に完全に揚げ足を取られ、自国を窮地に追いやっていたのです。


   談話を作る際、日韓両政府は表現を事前調整した。
   両政府は事前調整したことは非公表とすることで一致していた。
   日本は「強制性」を裏付ける資料はないと認識。
   韓国人元慰安婦の聞き取りの、裏付け調査は行われなかった。
   アジア女性基金で韓国人元慰安婦61人に「償い金」が支払われた。
   以下、「検証報告書」全文を順に掲載して参ります。

I】河野談話の作成の経緯
1・・宮澤総理訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992(平成4年)1月)
2・・宮澤総理訪韓から加藤官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(19921月~19927月)
3・・加藤官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(19927月~19938月)
4・・元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

5・・河野談話の文言を巡るやりとり → 「河野談話発表」(1993(平成5年)83日)


【II】韓国における「女性のためのアジア平和国民基金」事業の経緯
1・・「基金」設立まで (1993年~1994年)
2・・「基金」設立初期 (1995年~1996年)
3・・元慰安婦7名に対する「基金」事業実施 (19971月)
4・・「基金」事業の一時中断 (19972月~19981月)
5・・「基金」による新聞広告掲載 (19981月)
6・・「基金」による償い金事業の一時停止(19982月~19992月)
7・・韓赤による医療・福祉事業への転換(19993月~19997月)
8・・事業転換困難のまま基金事業終了(19997月~20025月)
9・・韓国における「基金」事業の終了と成果

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6・・「基金」による償い金事業の一時停止 (19982月~19992月)

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(1)19983月,金大中政権が発足し,韓国政府として日本政府に国家補償は要求しない代わりに韓国政府が「生活支援金」を元慰安婦に支給することを決定した。なお,韓国政府として,「基金」から受け取った元慰安婦は「生活支援金」の対象外となったものの,「基金」自体に表だって反対し,非難する措置ではないとの立場について説明があった。
 
(2)さらに,この時期,韓国政府は,金大統領自身本件について金銭の問題をなくせ,政府間のイシューにするなという意見であり,両国の問題は存在しないと思った方が良いとして,「基金」には申し訳ないが,政府間の問題にならないよう終止符を打つべき旨述べていた。


7・・韓赤による医療・福祉事業への転換 (19993月~19997月)

(1)「基金」は,19987月にオランダでの医療福祉事業が順調に開始されたこともあり,「償い金」に代わる医療福祉事業の転換を検討し,19991月末,韓赤に協力を打診する方針を決定した。これに対して,日韓の事務方のやりとりにおいて,韓国側からは事業を抜本的に変更することは結構なこととして,形としては,日本側と韓赤の間で話が進み,韓赤より相談を受けた段階で前向きに対応することを慫慂するとの段取りが適当と考える旨の反応が示された。
 
(2)しかし,19993月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて,突如韓国政府が方針を変え,この問題では何かしてもしなくても批判されるということを冷静に踏まえておく必要がある旨述べつつ,韓赤は韓国政府の息のかかった組織であり,強い反対が予想されるので,今回の提案は勘弁してほしいとの反応が示された。これに対し,日本側は,事業転換は,金大中大統領訪日により醸成された未来志向の日韓関係に悪影響を与えないようにとの観点から,総理の了承も得て事業終了に強い難色を示す「基金」を説得したものであるとして,韓国側の申し入れは容易に納得し難い旨申し入れたものの,韓国側の協力が得られずに最終的に事業転換が実現できない状況となった。


8・・事業転換困難のまま基金事業終了 (19997月~20025月)

(1)事業転換が実現出来なかった「基金」は19997月に事業を停止することとなり,停止状態が20022月まで続いたが,同月20日,「基金」は事業の停止状態をいったん解き,韓国内での事業申請受付期限を同年51日にすることを決定した。
 
(2)20024月に行われた日韓の事務方のやりとりでは,改めて韓国政府としては,「基金」の「償い金」支給,医療・福祉事業について反対の態度を示した。そして,翌51日に韓国における全ての「基金」事業申請受付が終了し,19971月から始まった韓国での事業が幕を閉じた。
 

9・・韓国における「基金」事業の終了と成果

(1)1995年に設立された「基金」には,基本財産への寄附を含め約6億円の募金が集まり,日本政府は,インドネシアでの事業をもって事業全体が終了する20073月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出した。
韓国における事業としては,事業終了までに,元慰安婦合計61名に対し,民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し,政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに,これらを受け取ったすべての元慰安婦に対し,当時の総理の署名入りの「お詫びの手紙」をお渡しした。その数は,橋本政権下で27件,小渕政権下で24件,森政権下で1件,小泉政権下で9件に及ぶ。
 
(2)フィリピン,インドネシアやオランダでの「基金」事業では,相手国政府や関連団体等からの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ,韓国では,韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け,同政府や国民からの理解は得られなかったものの,「基金」事業を受け取った元慰安婦からは,日本政府から,私たちが生きているうちに,このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした,日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました,大変有り難うございます,とするお礼の言葉が寄せられた。
 
(3)また,一部の元慰安婦は,手術を受けるためにお金が必要だということで,「基金」を受け入れることを決めたが,当初は「基金」の関係者に会うことも嫌だという態度をとっていたものの,「基金」代表が総理の手紙,理事長の手紙を朗読すると,声をあげて泣き出し,「基金」代表と抱き合って泣き続けた,日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを受け止めていただいた,との報告もなされており,韓国国内状況とは裏腹に,元慰安婦からの評価を得た。          以上
 


●内閣府の「慰安婦を巡る日韓間のやりとりの経緯」6/20 ・・ 

【お詫び】
慰安婦問題「河野談話」作成までの経緯・・④
のアップが
大層遅れまして申し訳ありません。

7月10日にアップ予定でしたが、当日に私の不注意により、近隣の石段で足を滑らせ右足脛骨(けいこつ)及び腓骨(ひこつ)を骨折し、救急車で即入院しまして現在に至った次第です。 誠に申し訳ありません、近日、退院予定となっております。

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                  7月10日 ↑             7月14日処置 ↑



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