●日露戦役・・乃木大将邸 ②殉死の部屋・・絵葉書・・
大正元年(1912)9月13日、明治天皇大葬が行われた日の午後8時ころ、霊柩の宮城出発を告げる号砲が鳴り響いた時、乃木大将は妻・静子とともに、ここ港区乃木坂の自宅で自刃して亡くなくなりました。乃木邸は、6ケ月後の大正2年(1913)4月に一般公開され、その時に併せて発行された絵葉書が残っております。


←調理室、風呂、便所
←台所、物置、女中部屋
←書生室、調度、茶の間
←応接、書斎、夫人室
←表玄関
←客室、次室、将軍居室
←図書置場
←物置、二令息居室



希典が手伝わざるを得なかったであろう。状況を想像すると、希典は畳の上に、短刀を拳をもって逆に立て、それへ静子の躰を被せ、切先を左胸部に当てて力を加えた。これが致命傷になった。刃は心臓を貫き、それが背の骨にあたって短刀の切っ先が欠けていた。 希典は静子の姿を繕った。




乃木将軍邸・・ 夫人控室 静子夫人の部屋










