泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2013年07月

●15・満州の名刹と風光・・佳木斯(ジャムス)と牡丹江の市街・・絵葉書・・

 広大な満州国の中央部に在るハルピン(哈爾濱)より、松花江を東へ300km下ると佳木斯(ジャムス)の町があり、佳木斯より南へ300km行くと牡丹江の町があります。
この双方の都市はソ連との国境が近く、国境周辺はソ連軍の動向に備えての要塞地区でもあり、関東軍の守備兵が多数常駐していました。
更に、この周辺は僻地だけに未開拓地も多く、日本国内から農業開拓民が多数入植されていったのです。

                                              [チチハル]
 [奉天(瀋陽)]----[新京(長春)]----[哈爾濱]----[
佳木斯]
                                                                [
牡丹江]
 
  満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。
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佳木斯(ジャムス)の風光・・・   ジャムス東門外の賑わい

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佳木斯(ジャムス)の風光・・・   ジャムス南崗街の喧騒


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佳木斯(ジャムス)の風光・・・     ジャムスの三江省公署

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佳木斯(ジャムス)の風光・・・   ジャムスの松花江埠頭

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佳木斯(ジャムス)の風光・・・    解氷期のジャムス埠頭

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黒竜江の風光・・・           黒竜江鉄橋

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黒竜江の風光・・・   氷結中の黒竜江・・ブラゴエチェンスクの遠望


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牡丹江の風光・・・             牡丹江駅

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牡丹江の風光・・・        牡丹江駅前の送迎馬車

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                    現在の牡丹江駅の様子

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牡丹江の風光・・・   伸び行く牡丹江市街を駅舎屋上より望む

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牡丹江の風光・・・         牡丹江 太平路


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牡丹江の風光・・・      牡丹江銀座通り現在の呼称は解放路)


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牡丹江の風光・・・          牡丹江市 牡丹公園


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牡丹江の風光・・・         牡丹江市 忠魂碑


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牡丹江の風光・・・           牡丹江省 公署


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牡丹江の風光・・・          牡丹江市 公署


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牡丹江の風光・・・    ↑満鉄病院                ↑大日本帝国 領事館


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   【上】 満州最西北部 満州里駅     【下】 朝鮮最北部に接す 図們(ともん)


満州国の名刹と風光・・↓ ↓


●1・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31798775.html 

●2・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31820434.html 

3・満州国・・一般風俗③・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31841151.html

4・満州国・・一般風俗④・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31865374.html

5・満州国・・一般風俗⑤・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31881377.html

6・満州国・・一般風俗⑥・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31898162.html

7・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の北陵ほか・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31919516.html

8・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の東陵と喇嘛(ラマ)寺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31936523.html

9・満州の名刹と風光・・奉天城(瀋陽)と市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31956783.html

10・満州の名刹と風光・・首都新京(長春)と市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31974071.html 

11・満州の名刹と風光・・新京(長春)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31993622.html

12・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32009354.html

13・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の町と松花江・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32031681.html

14・満州の名刹と風光・・チチハル(斉斉哈爾)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32049763.html

●15・満州の名刹と風光・・佳木斯(ジャムス)と牡丹江の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32068554.html 

16・満州の名刹と風光・・吉林の市街と満州幼児の寸描・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32085306.html

17・満州の名刹と風光・・石炭産出地、撫順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32103030.html 

18・満州の名刹と風光・・鉄嶺と安東(丹東)・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32120285.html 

19・満州の名刹と風光・・遼陽と鞍山・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32137814.html 

20・満州の名刹と風光・・錦州と山海関・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32153319.html 

21・満州の名刹と風光・・承徳の夏の離宮・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32170334.html 

22・満州の名刹と風光・・承徳の喇嘛(ラマ)寺院・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32194577.html    

23・満州の名刹と風光・・金州周辺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32207513.html 

24・満州の名刹と風光・・大連市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32219407.html 

25・満州の名刹と風光・・大連と旅順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32243045.html 

26・満州の名刹と風光・・満州霊廟建設記念・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34464614.html 




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●14・満州の名刹と風光・・チチハル(斉斉哈爾)の市街・・絵葉書・・

 広大な満州国の中央部に在るハルピン(哈爾濱)より、北へ300km行った処にチチハル(斉斉哈爾)の街が在りますが、ここも満州国のほぼ中央部なのです。
ここに北部満州を統括する拠点として師団司令部が置かれました。

 当時は僻地の小都市だったのでしょうが、現在は百万都市のようです。
                                              [チチハル]

 [奉天(瀋陽)]----[新京(長春)]----[哈爾濱]

 満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・チチハル駅及び鉄路総局・・・豪華を誇る庁舎はルネッサンス式鉄筋化粧レンガ張り、延坪12,490坪。中央時計台高さ37m。尚、ホテル及び大食堂の設備アリ。

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          現在、一階の駅部分は待合所として使用されているらしい・・・

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         手狭になったのか、新チチハル駅が右側に建設されているようだ

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・満州情緒豊かなる駅頭で荷客を待つ馬車の群れ
                         馬車の向こうに到着した客車が見える
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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・チチハル郊外、一望千里の大平原

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チチハル(斉斉哈爾)の風光      付属地仏園

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・車馬が忙しなく行き交う南大門付近の情景
・・・仁丹、味の素、大学目薬の看板が目に付く。


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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・林立する看板も美しき、満人街の喧騒

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・北満の大市場、正陽大街邦人商店街

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・  チチハル唯一の龍江飯店

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・ 龍沙公園高台より市街を望む

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・ チチハル黒竜江省公署

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・整備を誇る日本人尋常高等小学校及び居留民会事務所

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・チチハル師団司令部付近の展望

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・ チチハル日本憲兵隊本部

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・  チチハル日本領事館

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・皇軍の武功を北満に誇る師団長官邸

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チチハル(斉斉哈爾)の風光・・・北満交通の要衝、チチハル満州鉄道公署




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●13・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の町と松花江・・絵葉書・・

ここハルピン(哈爾濱)は、シベリアの要衝ハバロフスクより松花江を汽船で700km遡った場所、 シベリア鉄道のブラコベ・シチェンスクより、満州へ引き込まれた鉄道により、満州東部の要衝としてロシア色の強い市街として発展してきました。
 ロシア人、ロシア語の溢れる、満州、朝鮮進出への拠点でもあったのです。
 [奉天(瀋陽)]----[新京(長春)]----[哈爾濱]

 満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。


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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・行き交う人々も忙しき繁華なる十字街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・     キタイスカヤ街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・   キタイスカヤ街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  繁華を極めるキタイスカヤ街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ハルピン新市街・チューリン商会(チューリン百貨店)

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・     モストワヤ街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・傅家甸の満人商店区・正陽大街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・傅家甸の満人商店区・正陽大街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・並ぶ商店、行き交う人々傅家甸の正陽大街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・     ・傅家甸の許公路の盛況

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ハルピンの最も繁華なる満人商店街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・積雪のハルピンの街中をゆく馬橇

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・文化都市ハルピン埠頭区の市街

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ハルピン松花江鉄橋と松花江汽船

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  松花江の大鉄橋 長さ956m

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  ハルピン松花江と大鉄橋

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・   夏の松花江水泳場

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・     松花江の水泳場

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・    夏の松花江風景

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  冬の松花江上の氷上橇





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●12・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の市街・・絵葉書・・

ここハルピン(哈爾濱)は シベリア鉄道のブラコベ・シチェンスクより、満州へ引き込まれた鉄道により、満州東部の要衝としてロシア色の強い市街として発展してきました。
 あの伊藤博文が、安重根によって銃撃されたのが、ここハルピン駅でした。

[奉天(瀋陽)]----[新京(長春)]----[
哈爾濱]

 
満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。

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  ↑駅構内の伊藤博文胸像       ↑ハルピン駅          ↑志士の碑

ハルピン(哈爾濱)の風光
・・・明治42年10月26日、69歳を一期として去った伊藤公の射殺されたという現場。  改札口に近い、右より数えて3番目の太柱の辺りを見ては、更にその悲しみを深くする。


 明治42年(1909年)10月26日、伊藤はロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツォフと「ロシア影響の強い満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため」訪れたハルビン駅頭で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。


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 ↑ 伊藤博文                   
 ↑ 安重根

明治38年(1905年)11月日付の、伊藤博文メモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、伊藤博文は、「韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた」事を裏付けるものだ。
 
  2013年6月、中国を訪問した朴クネ大統領は 「ハルピン駅に伊藤博文暗殺100周年を記念して、安重根の銅像を建立させてほしい」と申し入れしたが、習近平主席は「熟慮してから・・・」との返事だったようだ。

 「銃弾で、指導者を抹殺する・・・」ような、中国指導部が最も恐れる政治テロ犯の銅像を、ハルピン駅に設置させてほしい・・・とは、韓国国家の名誉を棄損しかねない、非常識極まる言語道断の要望でしょうね。

そもそも朴クネは母親がテロリストに射殺され
(演説会で
朴正煕大統領を狙った流れ弾が命中)、父親の朴正煕大統領も1979年に政治テロで銃殺されているのです。
 テロ犯を崇拝する韓国の「恨む」の文化の為せる業でしょうか?

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      1909年10月26日、ハルビン駅に到着した時の伊藤博文


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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・      ハルピン駅

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・     ハルピン駅

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ハルピン(哈爾濱)の風光      ハルピン駅正面

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ハルピン(哈爾濱)の風光      ハルピン駅正面

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ハルピン駅頭のロシア人雑踏

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・       中央寺院


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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・新市街、中央寺院を望む

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・        中央寺院

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・   イベルスキー寺院

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・イベルスキー寺院の尖塔

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・大聖孔子を祀る文廟(孔子廟)


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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・麗しい陽光、ゆかしい静寂の孔子文廟

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・   荘厳なる孔子廟

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・支那式建築美の孔子廟


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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・     極楽寺の正門

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  極楽寺の正門を望む

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・    極楽寺の境内

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ 関東軍、第四軍管区司令部

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・  大日本帝国総領事館

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・新市街、北満鉄道ハルピン鉄路局

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ハルピン(哈爾濱)の風光・・・ハルピン 霽虹橋及び中央寺院


満州国の名刹と風光・・ ↓ ↓


●1・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31798775.html 
●2・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31820434.html 
3・満州国・・一般風俗③・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31841151.html
4・満州国・・一般風俗④・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31865374.html
5・満州国・・一般風俗⑤・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31881377.html
6・満州国・・一般風俗⑥・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31898162.html
7・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の北陵ほか・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31919516.html
8・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の東陵と喇嘛(ラマ)寺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31936523.html
9・満州の名刹と風光・・奉天城(瀋陽)と市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31956783.html
10・満州の名刹と風光・・首都新京(長春)と市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31974071.html 
11・満州の名刹と風光・・新京(長春)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31993622.html
12・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32009354.html
13・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の町と松花江・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32031681.html
14・満州の名刹と風光・・チチハル(斉斉哈爾)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32049763.html
●15・満州の名刹と風光・・佳木斯(ジャムス)と牡丹江の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32068554.html 
16・満州の名刹と風光・・吉林の市街と満州幼児の寸描・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32085306.html
17・満州の名刹と風光・・石炭産出地、撫順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32103030.html 
18・満州の名刹と風光・・鉄嶺と安東(丹東)・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32120285.html 
19・満州の名刹と風光・・遼陽と鞍山・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32137814.html 
20・満州の名刹と風光・・錦州と山海関・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32153319.html 
21・満州の名刹と風光・・承徳の夏の離宮・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32170334.html 
22・満州の名刹と風光・・承徳の喇嘛(ラマ)寺院・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32194577.html    
23・満州の名刹と風光・・金州周辺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32207513.html 
24・満州の名刹と風光・・大連市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32219407.html 
25・満州の名刹と風光・・大連と旅順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32243045.html 
26・満州の名刹と風光・・満州霊廟建設記念・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34464614.html 



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●11・満州の名刹と風光・・新京(長春)の市街・・絵葉書・・

  昭和6年(1931)、柳条湖事件に端を発した満州事変が勃発、関東軍(大日本帝国陸軍)により満洲全土が制圧された。 

関東軍の主導のもと同地域は中華民国からの独立を宣言し、昭和7年
(1932)3月、満洲国の建国に至った。
元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラ・フギ)が就き、長春を首都として「新京」と改名した。


 1941年(昭和16年)4月、日ソ中立条約がソ連と日本の間で締結され、満洲国とモンゴル共和国の領土保全と相互不可侵を約束するとした共同声明が出されたが、関東軍は終始、牡丹江などソ満国境周辺に軍隊を駐留させていた。

満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。


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新京(長春)の風光・・・新京駅・・吉長線と東支線と南満線の3線の列車が集約される。
ロシア人、支那人、日本人が各々異なった荷物を東から南へ、南から北へと振り分けてゆく。
ここは南満線の北端で国際的最前線としての重要性を担っている。


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新京(長春)の風光          新京駅前の景観


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新京(長春)の風光        新京、清真寺境内


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新京(長春)の風光          満人街 清真寺


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新京(長春)の風光            新京 清真寺


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新京(長春)の風光         新京神社の崇観


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新京(長春)の風光         新京神社拝殿正面

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新京(長春)の風光   ロータリー環状道路、大同広場と電信電話会社

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新京(長春)の風光         新京の大同大街

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新京(長春)の風光         首都新京市街の景観


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新京(長春)の風光        新京中央通りの景観


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新京(長春)の風光        新京ダイヤ街の繁栄


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新京(長春)の風光     新興の意気高きダイヤ街の景観


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新京(長春)の風光          新京、満州人街の繁華


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新京(長春)の風光      新京、満州人街 商埠地 大馬路


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新京(長春)の風光      新京で最も繁華なる日本橋通り


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新京(長春)の風光       新京・日本橋通り・正金銀行前

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新京(長春)の風光          新京・日本橋通り


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新京(長春)の風光       新京・吉野町・新京銀座


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新京(長春)の風光          新京・吉野町

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新京(長春)の風光        賑わしき新京・吉野町

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新京(長春)の風光      新京・興安大路の景観

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新京(長春)の風光       新京西公園の噴水




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●10・満州の名刹と風光・・首都新京(長春)と市街・・絵葉書・・

 関東軍の主導のもと、満州地域は中華民国からの独立を宣言し、1932(昭和7年)39日、五族協和(満州、中国、モンゴル、朝鮮、日本)、王道楽土をスローガンに満州国が建国され、元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラ・フギ)を執政に担ぐ「満州国」としたのです。
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併せて満洲国国務院は満洲国の国都(首都)を「長春」に定め、314日には国都長春を新国家の首都に相応しい名称として新京と命名しました。



←国旗を掲げて建国を祝う市民


 満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。
                                                                     イメージ 1イメージ 16 
 

   愛新覚羅溥儀

   (あいしんかくら・ふぎ)。
     (19061967
わずか3歳で清王朝皇帝に即位した溥儀は、その後の動乱の中で合わせて3回皇帝になり、そのつど退位し、最後は中華人民共和国の一市民として生涯を終えた。

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   満州国皇帝・愛新覚羅溥儀と皇后婉容(エンヨウ、 19051946?
      満州国皇帝陛下ご来訪記念とあるので、1935年4月に来日時のもの・・

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                 ご来訪記念  満州国皇后陛下・婉容
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新京(長春)     宮廷府正門及び宮廷入り口興運門(円内)

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新京(長春)   新京宮内府正門及び興運橋 (円内は愛新覚羅溥儀と皇后・婉容)

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新京(長春)     宮廷府正門

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新京(長春)         威風厳然たる宮廷府正門

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新京(長春)             仮皇居正門

現在は「偽満皇宮博物院」と成っている       中国による「偽満州国皇宮」の碑文

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新京(長春)       満州国国務院(議事堂及び政庁)

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新京(長春)        満州国国務院(議事堂及び政庁)

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新京(長春)            初期の仮国務院

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新京(長春)         威風燦たる関東軍司令部

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         旧関東軍司令部は現在「中国共産党吉林省委員会」となっている


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新京(長春)           外交部と(司法部)


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新京(長春)              司 法 部


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新京(長春)                日本領事館

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新京(長春)           終日雑踏を極める新京駅

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新京(長春)          新京駅及び至近の寛城子駅

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新京(長春)              新 京 駅

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新京(長春)     宿引き・・・掛け声勇ましき、新京駅頭の雑踏

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新京(長春)        国都を飾る新京停車場の壮観




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●9・満州の名刹と風光・・奉天城(瀋陽)と市街・・絵葉書・・

 奉天市(瀋陽)は、満州族の愛新覚羅氏1636年に立ち上げた清朝が、北京へ遷都(1644年)するまでの清国の都でした。

 それだけに奉天城壁に包囲されて、絢爛たる宮殿群、建造物群が残っております。

 関東軍の主導のもと、同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年(昭和7年)3月、満洲国の建国を宣言、元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラ・フギ)執政に担ぐ「満州国」としたのです。 
 神社仏閣遺跡を丁重に崇める日本軍のもと、大切に加護されて参りました。 
満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。

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奉天の風光・・・雄大なる奉天城々壁「大西門」は、交通頻繁の緩和策として、城壁の中央を切開して新開路とした。(円内は「小西門」)

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奉天の風光・・・高さ1丈8尺(5m50)とあるが、どう見ても15mはある奉天城々壁

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奉天の風光・・・          奉天城、小西門裡


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奉天の風光・・・       清朝の遺跡、城内宮殿の全景


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奉天の風光・・・奉天の城内を展望したところです。その昔、大祖太宗が治められた清朝の華やかさが偲ばれます。

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奉天の風光・・・     清宮廷の往時を偲ぶ城内宮殿「鳳凰楼」


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奉天の風光・・・       奉天城内、宮殿の玉座 (北京遷都までの清王朝)

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奉天の風光・・・   帝覇の威厳を彷彿とする清王朝の玉座正面


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奉天の風光・・・街路に高く建築の異彩を放って建っているのは、奉天城内の東華門で前方に西華門が見える。


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奉天の風光・・・         奉天督軍の営門、東轅門


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奉天の風光・・・     奉天城内、小西関辺門での人車の往来

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奉天の風光・・・          奉天(瀋陽)駅頭の景観

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                   現在の瀋陽駅

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奉天駅ホーム・・・満鉄本線の奉天は、北京に通ずる奉山線、朝鮮に出る安奉線、吉林に行く奉吉線などの起点として、南満州に於ける交通経済上の中心地である。


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奉天の風光・・・       奉天駅屋上より浪速通りを望む

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奉天の風光・・・   奉天駅屋上より千代田通りを望む

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奉天の風光   奉天ヤマトホテル玄関より「正金銀行」「奉天(瀋陽)警察署」「三井物産」を望む


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奉天の風光       堂々たる満州鉄道総局 (満鉄本部)


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奉天の風光       満州の野を驀進する、東洋第一を誇る満鉄の急行列車

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             当時、名声を博した満鉄の「特急あじあ号」



満州国の名刹と風光・・ ↓ ↓


●1・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31798775.html 

●2・満州国・・一般風俗・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31820434.html 

3・満州国・・一般風俗③・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31841151.html

4・満州国・・一般風俗④・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31865374.html

5・満州国・・一般風俗⑤・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31881377.html

6・満州国・・一般風俗⑥・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31898162.html

7・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の北陵ほか・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31919516.html

8・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の東陵と喇嘛(ラマ)寺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31936523.html

9・満州の名刹と風光・・奉天城(瀋陽)と市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31956783.html

10・満州の名刹と風光・・首都新京(長春)と市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31974071.html 

11・満州の名刹と風光・・新京(長春)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31993622.html

12・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32009354.html

13・満州の名刹と風光・・ハルピン(哈爾濱)の町と松花江・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32031681.html

14・満州の名刹と風光・・チチハル(斉斉哈爾)の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32049763.html

●15・満州の名刹と風光・・佳木斯(ジャムス)と牡丹江の市街・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32068554.html 

16・満州の名刹と風光・・吉林の市街と満州幼児の寸描・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32085306.html

17・満州の名刹と風光・・石炭産出地、撫順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32103030.html 

18・満州の名刹と風光・・鉄嶺と安東(丹東)・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32120285.html 

19・満州の名刹と風光・・遼陽と鞍山・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32137814.html 

20・満州の名刹と風光・・錦州と山海関・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32153319.html 

21・満州の名刹と風光・・承徳の夏の離宮・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32170334.html 

22・満州の名刹と風光・・承徳の喇嘛(ラマ)寺院・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32194577.html    

23・満州の名刹と風光・・金州周辺・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32207513.html 

24・満州の名刹と風光・・大連市街・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32219407.html 

25・満州の名刹と風光・・大連と旅順・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32243045.html 

26・満州の名刹と風光・・満州霊廟建設記念・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/34464614.html 




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●8・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の東陵と喇嘛(ラマ)寺・・絵葉書・・

 奉天市(瀋陽)は、満州族の愛新覚羅氏1636年に立ち上げた清朝が、北京へ遷都(1644年)するまでの清国の都でした。
 それだけに絢爛たる建造物が残っております。

 
東陵は、市の東部にある清の前身、後金の初代皇帝であるヌルハチ(努爾哈斉)の陵墓で、1629年に建てられたものです。
正式名称は福陵ですが、奉天市(瀋陽)の東部に位置するので東陵と呼ばれています。


 関東軍の主導のもと、同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年(昭和7年)3月、満洲国の建国を宣言、元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラ・フギ)執政に担ぐ「満州国」としたのです。 
 神社仏閣遺跡を丁重に崇める日本軍のもと、大切に加護されて参りました。 
満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。


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奉天 東陵         参拝入り口西門(第一山門)

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奉天 東陵      東陵の四角廊周辺 (前方の盛土がヌルハチの墳墓)

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奉天 東陵            東陵の聖徳碑

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奉天 東陵     荘厳なる隆恩殿外廊四角楼及び隆恩紅門

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奉天 東陵             東陵正門楼


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奉天 東陵             東陵 隆恩門

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奉天 東陵             東陵 隆恩殿

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奉天 東陵           東陵の四角廊風景

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奉天 東陵             東陵正門楼

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奉天 東陵                   東陵構内庭園

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奉天 東陵             庭園内の彫刻碑

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奉天・・・古色蒼然たる皇寺前の碑門


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奉天・・参拝した将校と喇嘛(ラマ)寺の北塔・上は法輪寺の天地仏(天女と絡む仏)

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                 奉天 喇嘛(ラマ)寺 と 北塔




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●7・満州の名刹と風光・・奉天(瀋陽)の北陵ほか・・絵葉書・・

 奉天は、満州族の愛新覚羅氏1636年に立ち上げた清朝が、北京へ遷都(1644年)するまでの清国の都でした。
 それだけに絢爛たる建造物が残っております。 
北陵は、清の初代皇帝ホンタイジの崩御で、陵墓として1643年に着工し、完成をみたのは1651年のことでした。

関東軍の主導のもと、同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年
(昭和7年)3月、
満洲国の建国を宣言、元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラ・フギ)執政に担ぐ「満州国」としたのです。 
 神社仏閣遺跡を丁重に崇める日本軍のもと、大切に加護されて参りました。 
満州駐留の軍人や入植した開拓民が、満州紹介に利用した絵葉書です。


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                  奉天・北陵の全景

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         奉天・北陵    当代随一の彫刻・・北陵の正門

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                  奉天・北陵の正門

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 奉天・北陵  北陵は一名照陵と言い、順治の年、太宗文皇帝を葬った処である。
 隆恩門前庭の展望。


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 奉天・北陵         華麗なる聖徳碑殿及び隆恩門を望む

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 奉天・北陵        巨大なる象の石像と隆恩門

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 奉天・北陵        隆恩門前にある象の石像

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 奉天・北陵       太宗皇帝の零位を祀る高楼

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 奉天・北陵        瓦片にも数奇をこらせた楼閣

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 奉天・北陵          黄金の法輪を戴いた隅楼

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 奉天・北陵       往時の盛大を偲ぶ北陵の宮閣

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 奉天・北陵         広大華麗なる北陵の隔壁


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 奉天・北陵            北陵第一山門   

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◎大連より北行すること7時間で奉天駅に至る。  
◎奉天は清朝の旧都、北陵には太宗皇帝らを葬っている。


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   大陸的な風貌を見せて立つ奉天駅 (奉天の西洋名=Mukden/ムクデン)

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              万客を送迎する奉天駅前大広場

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   奉天神社は天照大神、明治大帝の御二柱を奉祀せらる。荘厳自ら襟を正す奉天神社。

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                   奉 天 神 社

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       桃粛駅              奉天神社             新民駅

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               永久に輝く奉天忠霊塔の社殿




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