泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2013年04月

●支那戦線・・冬の北支戦線・・絵葉書・・

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1937(昭和12)年、当時華北に駐屯していた日本軍との間で起き
「櫨溝橋事件」発端となり、その後「北支事変など
執拗な蒋介石軍の挑発で
通州事件」「大山大尉殺害事件」
「第二次上海事変」
などを経て、日中間は全面戦争となり
「大東亜戦争」継続されていった。

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北満州の歩哨

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一斉に火蓋を切る我が砲兵陣地     鈴木 御水 画

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雪原の進軍     (頼山陽の詩歌・・・前兵児謡)

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野営の夕べ        柏原 覚太郎 画

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朔北の寒風に第一線を守る (出征将兵・堀尾兵の、陣中の写生)  

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朔北の月夜

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北の兵士       高井 貞二 画伯筆

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敵は幾万ありとても  総て烏合の勢なるぞ・・・

              ● 軍歌「敵は幾万」                        http://www.youtube.com/watch?v=sZ7kZJe0pvQ


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(左)第36回陸軍記念日・・三月十日 陸軍省 松野一夫 筆
(右)撃ちてし止まん・・第38回・陸軍記念日 陸軍省


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            北の精鋭     高井 貞二 筆

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 鉄壁  光安 浩行 筆       慰問文  多田 北鳥 筆


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雁門関の
嶮を突破する自動車輜重隊    沸水車  武藤 夜舟 筆



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●支那戦線・・軍馬と兵隊・・絵葉書・・

 1937(昭和12)年7月7日、当時華北に駐屯していた日本軍との間で起きた櫨溝橋事件が勃発、現地軍との間で7月11日に停戦協定を結んだが、参謀本部の華北派兵案を閣議で承認のうえ、二個師団を派兵し、近畿以西の全陸軍部隊の除隊延期も決定する。

 政府はこれを「北支事変」と名付け、重大決意を示す声明を発表した。

 このような日本の強硬態度は中国側を著しく刺激し、中共は7月15日に国共合作による全面抗戦を呼びかけ、蒋介石も7月19日には国民の奮起を促す声明を出した。

 その後、三度の日本軍へ攻撃及び、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本人居留民を虐殺するという「通州事件が発生。
 「大山大尉事件」「第二次上海事変」などを経て、日中間は全面戦争状態となり「大東亜戦争」の終結まで続いた


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                    悪路の進軍


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                        愛馬進軍歌(3)
             弾丸の雨降る濁流を、お前たよりに乗り切って、
             努めはたしたあの時は、泣いて秣を食
わせたぞ。

    ● 愛馬進軍歌 ↓                         http://www.youtube.com/watch?v=w8auO5yDrDs

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                  愛馬進軍歌(6)
   お前の背に日の丸を、立てて入城この凱歌、兵に劣らぬ天晴れの、勲は永く忘れぬぞ。

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          暁 の 渡 河         本田 尊爾 筆

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                 断崖を駆け抜けて進撃

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                    偵 察 行

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           暁の騎兵斥候       向井 潤吉 筆

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娘子関を征く     小磯 良平 筆

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(愛馬の日・4月7日)
くにを出てから幾月ぞ、共に死ぬ気でこの馬と、攻めて進んだ山や河、握った手綱に血が通う。

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月光を浴びて・・騎兵の斥候

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小休止15分・・・徐州西方の迫撃戦      栗原 信  画

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勤労奉仕(国府台陸軍病院にて)
毎日必ず幾組かの婦人団体が勤労奉仕にみえ、病室に花が飾られ、
部屋がきちんと整頓され襦袢も白衣も洗濯される。
雨の日も風の日も、こうして奉仕して下さる人たちに接すると、
銃後の熱意が脈々と感じられ、戦線での自分たちの務めは、
決して苦しいものではなかったと思う。



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銃後の農村       大野 隆徳 画



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●支那戦線・・軍馬と兵隊①・・絵葉書・・


イメージ 9 1937(昭和12)年7月7日、当時華北に駐屯していた日本軍との間で起きた櫨溝橋事件が勃発、現地軍との間で7月11日に停戦協定を結んだが、参謀本部の華北派兵案を閣議で承認のうえ、二個師団を派兵し、近畿以西の全陸軍部隊の除隊延期も決定する。

 政府はこれを「北支事変」と名付け、重大決意を示す声明を発表した。

 このような日本の強硬態度は中国側を著しく刺激し、中共は7月15日に国共合作による全面抗戦を呼びかけ、蒋介石も7月19日には国民の奮起を促す声明を出した。

その後、三度の日本軍へ攻撃及び、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本人居留民を虐殺するという「通州事件が発生。
 「大山大尉事件」「第二次上海事変」などを経て、日中間は全面戦争状態となり「大東亜戦争」終結まで続いた


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            進撃する野砲隊     向井潤吉 筆

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           敵地深く・・・一軍の安危を負いて偵察行

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                     暁の斥候

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             難行軍の輜重隊    向井潤吉 筆

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     馬と進軍    東京市豊玉第二国民学校五年 村上俊久 画

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                鞭声粛々・・・頼山陽の詩
             鞭声粛々、夜河ヲ渡ル。   暁ニ見ル、千兵ノ大牙ヲ擁スルヲ。
             遺恨十年、一剣ヲ磨キ。   流星光底、長蛇ヲ逸ス。

 鞭声粛々(詩吟)・・石原詢子・・                                  http://www.youtube.com/watch?v=olguD6WJ3Qc

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      日露戦後二十九年(昭和8年)三月十日 陸軍記念日 満蒙は輝きに満つ

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日露戦後二十七年(昭和6年)  満蒙は明け行く


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南京入城式・・昭和12年12月17日・・・中山門・・歩兵部隊の入城

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             風雨の出陣     田中 佐一郎 画

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           慰問品の到着       武藤 夜舟 筆

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          慰問袋発送・・富山県庁    槙田 直観 筆

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               慰問袋    岩田専太郎 筆




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● 海軍陸戦隊・・絵葉書・・

日本海軍では海兵隊のほかに、必要に応じて一般の水兵を武装させて陸上戦闘に充てることがあり、これを海軍陸戦隊と呼んでいた。
支那事変から太平洋戦争にかけてのものは、後述の上海海軍特別陸戦隊を除くと「特設艦船部隊令」(1936年改正)に基づいて編成され、正式には特設鎮守府特別陸戦隊と呼ぶ。
臨時に編成される特設部隊の建前ではあったが、中国情勢の緊迫化で陸戦隊の需要が増えたために事実上の常設部隊としての性格を持つようになった。第二次世界大戦期には上陸作戦や占領地の守備に任ずる専門の陸戦隊として運用された。
太平洋戦争では戦域が拡大するにつれ、島嶼や局地防衛の必要から、特別陸戦隊のほか警備隊防衛隊などの名称で陸戦隊が次々と編成された。

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軍艦旗を先頭に陸戦隊の出動     鈴木 御水 画

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海軍陸戦隊の掃蕩    中村 研一 画


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奮戦中・・陸戦機銃隊

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海軍陸戦隊

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陸戦隊の奮戦      高橋 亮  画

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若き水兵

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東京湾頭における特別大観艦式記念・・・皇礼砲発射の実況


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陸戦隊の野砲陣地

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この一戦・・・壮絶なる決死の夜襲

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水兵の靖国神社参拝

  戦時中に広く歌われた 愛国行進曲   作詞 森川幸雄  作曲 瀬戸口藤吉        見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の正気潑溂(せいきはつらつ)と、                      希望は踊る大八洲(おおやしま)                      http://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs


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輝く軍艦旗     御厨 純一 画

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上海の日本陸戦隊本部

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母の歌    板屋節子 作詞  橋本国彦 作曲

母の歌  http://www.youtube.com/watch?v=YqDHj0ZhR3w





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● 帝国海軍の航空母艦・・絵葉書です。

 帝国海軍の航空母艦は大型、小型合わせて25隻、次のようなものが有ったようですが、全てが一般には公表されてはいませんでした。
 絵葉書等によりされていても、時代に即応できるよう艦橋の設置、甲板の拡張、対空砲火の充実のため改装が進められており、新鋭化への過渡期にあったのです。

航空母艦
「鳳翔」「龍驤」「蒼龍」「飛龍」「大鳳」
「翔鶴」「瑞鶴」
「雲龍」「天城」「葛城」
「加賀」「信濃」「龍鳳」「赤城」
「祥鳳」「瑞鳳」「千歳」「千代田」「神鷹」「海鷹」
「飛鷹」「隼鷹」「大鷹」「雲鷹」「沖鷹」

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     航空母艦 「飛龍」(ひりゅう)  17,300㌧

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                 航空母艦 「飛龍」 17,300㌧

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       航空母艦 「赤城」(あかぎ)  26,900㌧ 

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     航空母艦 「赤城」       松添 健 画

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        航空母艦 「赤城」  26,900㌧

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      航空母艦 「赤城」  26,900㌧


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                 改装後の空母「赤城」


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       航空母艦 「鳳(ほうしょう)  7,470㌧

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      航空母艦 「瑞鶴」(ずいかく) 29,800㌧


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        航空母艦 「瑞鶴」(ずいかく)  29,800㌧


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                  航空母艦 「瑞鶴」

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       航空母艦 「信濃」(しなの)  62,000㌧

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       航空母艦 「龍驤りゅうじょう)  7,100㌧

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        航空母艦 「加賀」(かが)  28,100㌧


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        航空母艦 「加賀」  26,900㌧

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         航空母艦 「加賀」  26,900㌧

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        航空母艦 「加賀」  26,900㌧


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              改装後の航空母艦「加賀」  26,900㌧





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