帝國陸軍航空部隊は昭和16年12月23日、戰爆協同の下にラングーン飛行場を大擧空襲し、挑戰し來れるスピットファイヤー十數機と交戰、激烈なる空中戰を交へ、戰鬪隊をもって十機を、爆撃隊をもってその殘余を悉く撃墜し、かつ地上にありし敵爆撃機四機、戰鬪機二機を 爆破炎上せしめたり。
わが方未だ歸還せざるもの四機なり。
ビルマ(ミャンマー)は19世紀以来イギリスが植民地支配していた。







1942年1月14日、グアム島の占領に成功した南海支隊は輸送船9隻に分乗し、赤城、加賀、瑞鶴、翔鶴、4隻の空母に護衛されながら、ニューブリテン島のラバウル占領を目指してグァムを出港します。
この船団のラバウル上陸に先駆けて、2月20日、各空母から飛び立った第1および第5航空戦隊10 8機がラバウルを攻撃、翌1月21日には、ニューギニア島東海岸のラエ、サラモア、マダンならびにニューアイルランド島のカビエンを攻撃、1月22日にも再びラバウルに攻撃を加え、上陸の援護を行い、 昭和17年(1942)1月23 日、南海支隊はラバウル上陸を果たし、南太平洋での一大基地とします。
2月3日、海軍航空隊がラバウルを拠点にポートモレスビーへの攻撃を開始し、3月に入ると陸軍の南海支隊もラエ、サラモアに侵攻、海軍もブーゲンビル島、ブカ島、ソロモン諸島のショートランド島へ侵攻しこれを占領しました。








(手前は2式復座戦闘機「屠龍」と奥は「ゼロ戦」)
肉弾砕く 敵の主力 栄えある我ら ラバウル航空隊・・・「ラバウル航空隊」の歌 (実写画面) http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&NR=1&v=oaEa5O3B-KI
銀翼連ねて 南の前線 ゆるがぬ護り 海鷲たちが



前線警備 石川 寅治 画
