泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2013年01月

真珠湾攻撃から、たった3ヶ月昭和17年(1942)2月には、日本軍の最前線は中部太平洋のマリアナ群島を押さえ、南太平洋全域に拡大し、ニューギニア、ジャワ、スマトラ、マレー半島、ビルマ(ミャンマー)にまで広がっていました。


● ラングーン飛行場爆撃 (ビルマ)
大本営海軍部發表 1941年(昭和161224日午後4

帝國陸軍航空部隊は昭和161223、戰爆協同の下にラングーン飛行場を大擧空襲し、挑戰し來れるスピットファイヤー十數機と交戰、激烈なる空中戰を交へ、戰鬪隊をもって十機を、爆撃隊をもってその殘余を悉く撃墜し、かつ地上にありし敵爆撃機四機、戰鬪機二機を 爆破炎上せしめたり。
わが方未だ歸還せざるもの四機なり。


 ビルマ(ミャンマー)は19世紀以来イギリスが植民地支配していた。
イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、イギリス軍・アメリカ軍・中華民国軍とが戦った。
1941年の太平洋戦争開戦後間もなく、日本軍は蒋介石支援ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し、勢いに乗じて全土を制圧した。

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             ラングーン爆撃 従軍派遣 田村孝之介 筆

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                     無敵海鷲の爆撃行

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                     ラングーンへの爆撃飛行

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        我が制圧下にある援蒋(蒋介石支援)輸血路  伊原卯三郎 筆

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                    山 岳 戦

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               砲弾雨下・・・前進! 突撃!
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          新生ビルマを祝うビルマ市民  田村孝之介 作



● カビエン、ラバウル占領

1942114、グアム島の占領に成功した南海支隊は輸送船9隻に分乗し、赤城、加賀、瑞鶴、翔鶴、4隻の空母に護衛されながら、ニューブリテン島のラバウル占領を目指してグァムを出港します。
 この船団のラバウル上陸に先駆けて、220日、各空母から飛び立った第1および第5航空戦隊10 8機がラバウルを攻撃、翌121日には、ニューギニア島東海岸のラエ、サラモア、マダンならびにニューアイルランド島のカビエンを攻撃122日にも再びラバウルに攻撃を加え、上陸の援護を行い 昭和17年(1942123 南海支隊はラバウル上陸を果たし、南太平洋での一大基地とします。
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3日、海軍航空隊がラバウルを拠点にポートモレスビーへの攻撃を開始し、3月に入ると陸軍の南海支隊もラエ、サラモアに侵攻、海軍もブーゲンビル島、ブカ島、ソロモン諸島のショートランド島へ侵攻しこれを占領しました。


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               ニューアイルランド島 カビエン攻略の陸戦隊    北 蓮蔵  筆

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                    敵 前 上 陸   

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        南海に活躍する陸軍船舶兵     佐藤  敬  筆

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                    敵前200米

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              前線基地・・ラバウル

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        前線基地「ラバウル風景」 ダブルブル火山    小堀 安雄 画

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       ラバウル航空隊基地・・・後方の山が「ダブルブル火山」
        (手前は2式復座戦闘機「屠龍」と奥は「ゼロ戦」)

「ラバウル航空隊」の歌 (実写画面) http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&NR=1&v=oaEa5O3B-KI 

     銀翼連ねて 南の前線 ゆるがぬ護り 海鷲たちが
     肉弾砕く 敵の主力 栄えある我ら ラバウル航空隊・・・
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           戦 友 (飛行兵)      三田  康  画
 
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              駆逐艦「荒瀬」進水記念 昭和14年2月25日     株式会社 藤永田造船所

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前線警備    石川 寅治 画



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真珠湾攻撃から、たった3ヶ月昭和17年(1942)2月には、日本軍の最前線は中部太平洋のマリアナ群島を押さえ、南太平洋全域に拡大し、ニューギニア、ジャワ、スマトラ、マレー半島、ビルマ(ミャンマー)にまで広がっていました。

● ジャワ沖海戦・・
194224、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した。
これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッド、デ・ロイテル、トロンプ、駆逐艦7隻からなるドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。
この艦隊に対し、日本海軍第11航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。
この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾が1発、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷した。

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  ジャワ沖海戦 (昭和17年2月4日)  米重巡洋艦オーガスタ及び蘭印軽巡洋艦トロンプ型撃沈

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  海軍航空隊の奥地爆撃行 (97式爆撃機)    吉田  博 画

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https://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=Dx-BBg0AgP4 

↑【照らされた日本の誇り】アムステルダムにて・・

● バレンバンに空挺部隊降下・・
スマトラ島のパレンバンは蘭印最大かつ東南アジア有数の大油田地帯であり、ロイヤル・ダッチ・シェルが操業する製油所とともに太平洋戦争における日本軍の最重要攻略目標であった。
パレンバンはムシ川の河口からおよそ100キロの内陸に位置するため、我が軍が川を遡上している間に油田設備を破壊されるおそれがあり、これを避けるためにはまず空挺攻撃によってこれを奇襲占領し、次いで地上部隊をもって確保する作戦が望ましいと考えられた。
昭和17年(1942)214、降下部隊第1悌団の挺進兵らは、一〇〇式輸送機やロ式輸送機に搭乗しマレー半島を飛び立ち、直掩機の飛行第64戦隊と飛行第59戦隊の一式戦闘機「隼」などと共にパレンバンに向かい降下部隊は降下した。
降下部隊は逐次集結しつつ飛行場へ殺到したものの、飛行第98戦隊の九七式重爆撃機から別投下した火器・弾薬が入手できず、携行した拳銃と手榴弾のみで戦闘せざるを得ない挺身兵も多かった。市街地からは連合軍の装甲車部隊約500名が到着し激戦となったが、降下部隊は21時までに飛行場や油田、製油所を確保した。

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  神兵パレンバンに降下す     スマトラ方面陸軍派遣 鶴田 吾郎

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 大空に花と咲く、挺身落下傘部隊の活躍(パレンバン)   藤田 嗣治 

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  落下傘部隊、パレンバン精油所を攻撃  スマトラ方面陸軍派遣 中山 魏 筆

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  感状(感謝状)上聞に輝く海軍落下傘部隊     宮本 三郎 筆

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        神兵の救出到る       藤田 嗣治 
落下傘部隊の活躍を記念して当時歌われた・・・
「空の神兵」(実写あり)     歌・・灰田 勝彦 

藍より蒼き 大空に大空に   世紀の花よ 落下傘落下傘

たちまち開く 百千の    その純白に 赤き血を
真白き薔薇の 花模様            捧げて悔いぬ 奇襲隊 
見よ落下傘 空に降り            この青空も   敵の空
見よ落下傘 空を征く            この山川も   敵の陣 
見よ落下傘 空を征く           この山川も   敵の陣 



● ニューギニア沖海戦・・
1942年(昭和17年)220午前、日本軍の哨戒中の九七式飛行艇がアメリカ艦隊を発見した。1220分、日本軍はラバウルから第24航空戦隊の一式陸上攻撃機17機を発進させた。
零戦の増槽や対艦攻撃用の魚雷は到着していなかったため、戦闘機の護衛はなく、武装も爆装のみであった。1435分、第2中隊9機が攻撃を開始したが命中弾はなく、F4F戦闘機の迎撃と対空砲火で第2中隊は全滅した。  15時、第1中隊8機が攻撃を開始した。
レキシントンに至近弾が1発あったのみで、攻撃隊は4機を失った。さらに2機は不時着した。
日本軍は空母1、艦型不詳1を撃沈したとし、この戦いをニューギニア沖海戦と呼称した。
 
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 我が海鷲、米航空戦隊を強襲・・ニューギニア沖海戦(昭和17年2月21日)


● スラバヤ沖海戦・・
日本船団は東西に分かれて進撃し、東部ジャワ攻略部隊として第48師団と坂口支隊が輸送船40隻に分乗していた。これを護衛する艦艇も含めると、総数67隻に及ぶ大規模な船団であった。
これらはスラバヤ西方のクラガン海岸を上陸目標としてマカッサル海峡を南下、ジャワ海を航行していた。
スラバヤ沖海戦は、1942年(昭和17年)227から31日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦である。
日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島へ上陸・占領が進むこととなった。
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        スラバヤ沖海戦     奥瀬 英三 画

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 帝国海軍伝統の威力を発揮したスラバヤ沖海戦   古嶋 松之助 画

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   夜戦における蘭印軽巡洋艦旗艦デ・ロイテル及びジャバの最期  スラバヤ沖海戦(2月27日)

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   スラバヤ沖海戦、ヒューストン号撃沈     松添  健 画


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       出征を送る         石川 寅司 筆




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大東亜戦争時の絵葉書は、敵への情報漏えいを抑えるため、絵葉書画面は軍の許可制が常態化して、写真使用は極力避けられたようです。
ですから新型、新造の軍艦、潜水艦、戦闘機、爆撃機、装甲車、戦車等の写真は全く無く、有ったとしても大戦前の写真が主流です
一方で、一流画家を従軍画家として最前線の様子、写真等から絵に描かせ、これらが絵葉書として発行されており、「これが戦場だ!」・・という緊迫した画面が多く残っていますね。

● シンガポール陥落
194112月に、大日本帝国陸軍第25軍がマレー半島に上陸した時、英領インド軍第3軍団(オーストラリア第27旅団および幾つかの英本国軍大隊を含む)がこれに立ち向かった。
日本軍は難攻不落の要塞と考えられていたシンガポール島にむけ、マレー半島を着実に進撃した。
28日午後830分、オーストラリア機関銃兵が第5、第18師団のシンガポール侵攻第14000名の将兵を搭載した舟艇に砲火を開いた。 激しい戦闘が終日続いたが、次第に日本軍兵力の増加が、砲兵・航空戦力・情報での優越と相まって物を言い始めた。


昭和17年(1942215の朝、日本軍は連合軍の最終防衛線を突破した。
米英による連合軍の食料と何種類かの弾薬は、既に底をつき始めていた。
パーシヴァルは指揮下部隊の司令官たちと協議したあと日本軍と連絡し、午後515分を少しすぎたころフォード自動車工場において正式に山下奉文司令官に降伏した。
(この時山下がパーシヴァルに「イエスか、ノーか」と迫ったというエピソードは有名であるが、降伏の意思の有無を訊く為であって、恫喝の類ではなかったとされている)

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                 海軍陸戦隊の上陸

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   マレー半島・・コタバルへの上陸作戦    鈴木 御水 画

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       マレー、ジャングルの進攻     布施 信太郎 筆

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              突 撃       向井 潤吉 画

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 2月11日プキテマ高地(シンガポール)  マレー方面従軍派遣 藤田 嗣治 画
日米双方とも物資の不足が続いており、英軍の増援と物資が到着する前になんとしてもシンガポールを制圧する必要があり、その為にもブキテマ高地に侵攻し、市内への侵入を行う必要があった。
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      火焔放射隊のトーチカ破壊       安田  豊 筆

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           ジャングルの突破    梁川 剛一 筆

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        ユニオンジャック最後の日       寺田 武雄 筆


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シンガポール陥落・・・敵将パーシバル、白旗を揚げて我が軍門に降る・・・昭和17年2月15日


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 山下奉文、パーシバル両司令官会見図 マレー方面従軍派遣 宮本 三郎 

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 昭南(シンガポール)軍港に堂々入港の、我が重巡洋艦


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シンガポール陥落記念・・・国債報国
皇軍の赫々(かくかく)たる武勲に感謝し、一層国債報国を期そう!



● ポート・ダーウィン(豪)爆撃
 昭和17年(1942219のダーウィン市への爆撃は、日本がオーストラリア本土に対して行った最初にして最大規模の攻撃だった。
219日、4隻の日本航空母艦(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)はオーストラリア北西のチモール海の洋上から計188機を発進させた。これらの188機の日本海軍艦載機はポート・ダーウィンに甚大な被害を与え9隻の船舶が沈没した。
同日午後に54機の陸 上攻撃機によって実施された空襲は、街と王立オーストラリア空軍(RAAF)のダーウィン基地にさらなる被害を与え、20機の軍用機が破壊された。
これらの攻撃に使用された弾薬量は、先日の真珠湾攻撃の総量を凌ぐと言われている。
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    ポートダーウィン爆撃飛行(1式陸攻)    高井 貞二 画

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  英戦闘機、スピットファイアーを、ただ一撃    小松崎 茂 筆

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      氏神様に、戦捷(戦勝)を祈る      寺内 萬次郎 筆



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大東亜戦争時の絵葉書は、敵への情報漏えいを抑えるため、絵葉書画面は軍の許可制が常態化して、写真使用は極力避けられたようです。
ですから新型、新造の軍艦、潜水艦、戦闘機、爆撃機、装甲車、戦車等の写真は全く有りません。
一方で、一流画家を従軍画家として最前線の様子、写真等から絵に描かせ、これらが絵葉書として発行されており、「これが戦場だ!」・・という緊迫した画面が多く残っていますね。

● ウェーク島
ウェーク島は、アメリカ本土とグアム、フィリピン(アメリカ植民地)を結ぶ作戦線上にあるアメリカ軍の中部太平洋における重要な拠点のひとつであり、日本側から見れば、日本本土とマーシャル諸島を結ぶ作戦線上にひっかかる楔のような存在であった。
1941128の開戦と同時に攻撃を開始した。
まず510分、第24航空戦隊の陸上攻撃機34機がルオット島からウェーク島を空襲。
攻略部隊は順調にウェーク島に接近。22午後に上陸戦の隊形に占位し、誘導潜水艦を頼りにウェーク島の南岸に接近していった。21時、上陸命令が令され、これと同時に第18戦隊はウェーク島の東岸に移動して陽動作戦を実施した。

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            ウェーキ島攻略戦    松坂  康  画


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         陸戦隊、南海に挺身す     古嶋 松之助 画


● グァム島
日本軍は昭和1611月下旬に小笠原諸島の母島に集合し、昭和16年(1941128の開戦同日に水上偵察機16機によるグアム島空襲を実施し、
12月10日島嶼の四方からほぼ同時に上陸した。
周囲を日本統治領で囲まれていたグアム島には、日本軍の予想した兵力の半数の米軍もおらず、日本軍は上陸からたった1日でグアムを占領することができた。


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            グァム島占領       江崎 孝坪 画

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船団護衛         大久保 作次郎 画


● ボルネオ
昭和17年(1942111、日本軍はオランダ領ボルネオのタラカンとメナドへの進攻を開始し、油田地帯と製油設備を確保した。

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タラカン強襲      田辺  穣  画


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敵前上陸


●フィリピン戦線

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 ● キャビデ軍港
昭和16年(1941)月10、日本海軍が開戦早々の米軍アジア艦隊の根拠地、マニラ湾内のキャビデ軍港を爆撃した。

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キャビテ軍港攻撃     三輪 晁勢  画



● バターン半島攻略・サマット山

昭和16年(19411223、台湾から派遣されたフィリピン攻略の主力部隊である本間雅晴中将率いる第十四軍がルソン島リンガエン湾に上陸したことから始まります。
 フィリピン防衛の任に当たっていたのはダグラス・マッカーサー率いる米比軍でした。
 マッカーサーは1224日マニラの無防備都市宣言を行った後マニラから撤退、バターン半島のコレヒドール要塞に立てこもったのです。
 日本軍は翌12日にマニラの無血占領に成功。
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12日マッカーサーは "I shallreturn" の言を残してコレヒドールから脱出したのは有名です。

バターン半島の次はコレヒドール島だが、もはやアメリカ・フィリピン軍に抵抗の気力はなく、56日呆気なくコレヒドール島も陥落して、ここにフィリピン攻略作戦は完了した。

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バターン戦線猛砲撃      高沢 圭一  筆

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サマット山麓突破      末長  嵐生 筆


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進 撃 中

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突 撃 路      高沢 圭一 筆

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硝煙の道 (コレヒドール)     猪熊 弦一郎 画

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コレヒドールの桟橋        鈴木栄次郎 筆

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密林を拓く     小寺 健吉  筆

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本間中将・ウェンライト中将会見図     宮本 三郎 作

 ● コレヒドール島
バターン半島の沖合いのコレヒドール島はスペイン統治時代からマニラ湾の入口を守る要塞として整備されていた。
日本軍は昭和1755日の夜に上陸作戦を実施し、歩兵第61連隊の2個大隊と戦車第7連隊の一部がコレヒドール島の北東端に取り付いた。守る米比軍の砲火は激しく、一部は逆襲に出たものの、日本軍は橋頭堡を確保した。
6日正午、マッカーサーの後任の司令官に就いていたウェインライト中将が降伏を申し入れた。
本間中将は、降伏はフィリピン 全土の米比軍が伴わなければならないと主張し、ウェインライト中将もこれを受諾した。翌日までにコレヒドール島の全軍が降伏した。

 


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大東亜戦争時の絵葉書は、敵への情報漏えいを抑えるため、絵葉書画面は軍の許可制が常態化して、写真使用は極力避けられたようです。
ですから新型、新造の軍艦、潜水艦、戦闘機、爆撃機、装甲車、戦車等の写真は全く有りません。
一方で、一流画家を従軍画家として最前線の様子、写真等から絵に描かせ、これらが絵葉書として発行されており、「これが戦場だ!」・・という緊迫した画面が多く残っていますね。


  ● 昭和16年(1941)12月8日・・・真珠湾攻撃
  ● 昭和16年(1941)12月10日・・マレー沖海戦


 択捉(エトロフ)島ヒトカップ湾に集結した連合艦隊の機動部隊は、11月26日にハワイに向け、秘かに出航した。
 昭和16年(1941)12月8日開戦の日、日本海軍の空母6隻を基幹とする機動部隊が、アメリカ軍艦の集結するハワイ真珠湾を攻撃しました。
日本時間1941128日未明(ハワイ時間127日)は、休日である日曜日を狙って、ハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った350機の航空攻撃、および10艇の潜航艇による攻撃で、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を大きく喪失させた。

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ハワイ真珠湾強襲     吉岡 堅二 筆

              (下が参考写真と思われる)

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       矢印(↓)の先に第一波ゼロ戦の飛行する姿が見える
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                      機動部隊の行動図
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           真珠湾攻撃中      村上 松次郎 画

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マレー沖海戦は、昭和17年(19411210に、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(1式陸攻、96式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。
日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦「プリンスオブウエールズ」と「レパルス」を撃沈し、この方面での初期作戦上で大成功をおさめた。  また、当時の「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆した。当時の世界の海軍戦略である大艦巨砲主義の終焉を告げる出来事として海軍史上に刻まれている。


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       マレー沖海戦・・・1式陸攻の攻撃         中村 研一 画

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      英海軍の誇りを粉砕・・マレー沖の大戦果     村上松次郎 画

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  マレー沖海戦・・・レパルス号撃沈 (96式陸攻の攻撃)  松添 健 画

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   マレー沖海戦・・プリンスオブウエールス号撃沈    松添 健 画

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マレー沖海戦・・英最新戦艦プリンス・オブ・ウエールス号、海鷲必殺の猛撃に爆沈さる。
(昭和16年12月10日)

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   マレー沖海戦・・我が海鷲、英極東艦隊主力プリンスオブウエールス及びレパルスを強襲

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銃後のつとめ・・・                黒崎 義介 画
今日もみんなで、出征兵士のお家へまいります。
水を汲みましょう。通りを掃きましょう。赤ちゃんのお守りもしましょう。
兵隊さん達がお留守の間、お手伝いをして上げるのは、私たち銃後の少女の嬉しいつとめです。

昭和17年頃から、女性は「もんぺ」をはくように指導されてきました。

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  ●大東亜戦争時の絵葉書・・・↓ 下記クリック

① 真珠湾攻撃、マレー沖海戦・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30911027.html 

②ウェーク島、グァム島、ボルネオ、フィリピン戦線絵葉書・・

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30937249.html 

③シンガポール陥落、ポートダーウィン(豪)爆撃・・絵葉書・・

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30956807.html 

④スラバヤ沖海戦、パレンバンに空挺部隊降下・・絵葉書・・ 

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/30999204.html 

カビエン、ラバウルを占領、ラングーン飛行場爆撃・・絵葉書・・ 

http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31017791.html 

太平洋、インド洋で潜水艦の活躍・・絵葉書・・ http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31043579.html

珊瑚海海戦、ルンガ沖夜戦、アッツ島攻略・・絵葉書・・ 

http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31095957.html 

⑧帝国海軍の威風堂々・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31128202.html 

⑨帝国海軍・各戦艦の偉容・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31146968.html

⑩帝国海軍の戦艦・陸奥・長門・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31163948.html 

⑪帝国海軍の戦艦・金剛・比叡・榛名・霧島・・絵葉書・・ 

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31182615.html    

⑫帝国海軍の戦艦・扶桑・山城の勇姿・・絵葉書・・ 

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31182615.html  

⑬帝国海軍の戦艦・日向・伊勢の勇姿・絵葉書・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31235530.html 

⑭帝国海軍・巡洋艦の勇姿・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31255719.html 

⑮帝国海軍・駆逐艦の勇姿・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31287996.html 

⑯帝国海軍の潜水艦 ①・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31304024.html 

⑰帝国海軍の潜水艦 ②・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31338779.html 

⑱帝国海軍の航空母艦・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31380648.html 

  帝国海軍・陸戦隊・・絵葉書・・   https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31423958.html 

  支那戦線・・軍馬と兵隊①・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31463605.html 

㉑ 支那戦線・・軍馬と兵隊②・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31504220.html 

㉒ 支那戦線・・冬の北支戦線・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31538131.html 

㉓ 支那戦線・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31613076.html 

㉔ 支那戦線・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31631943.html 

㉕ 支那戦線・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31672886.html 

㉖ 支那戦線・・絵葉書・・  https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31714465.html 

㉗ 支那戦線・・支那一般風俗絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/31756882.html 

㉘ガダルカナル、ブーゲンビル、ギルバートの戦い・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/33497048.html 

㉙ 銃後の生活・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/33527009.html

㉚ 銃後の護り・・絵葉書・・ https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/33563629.html 

 




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昭和初期から、軍事郵便として最も人気を博していたのは・・・

「荒井一壽」の軍隊漫画絵葉書でした。

 昭和初期、この満州事変頃に彼の絶頂期があったのでしょうが、それ以降、軍隊漫画以外の作品は眼にしておりません。
軍隊漫画でのみ、一世を風靡しただけなのでしょうね。
ºï½ü

 これらは大東亜戦争中も広く使用され、私らが幼少時にいつも見ていたキャラだったのです。

 過酷な軍隊生活の全てを、ほのぼのとしたタッチでユーモアたっぷりに描いております。



 漫画王国・日本で完全に忘れ去られている荒井一壽をご存知の方、講談社ほか出版社の方、どうか[WIKI]に紹介記事を書いてください。


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                         塹壕中の食事

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                            行  軍

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                         演習中止 休憩

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                           軍 用 犬

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                         工兵による架橋

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                           電 信 隊

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                        障害物跳び越え

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                            点  呼

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                           娯 楽 室


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 昭和初期から、軍事郵便として最も人気を博していたのは・・・

「荒井一壽」の軍隊漫画絵葉書でした。

 昭和初期、この満州事変頃に彼の絶頂期があったのでしょうが、それ以降、軍隊漫画以外の作品は眼にしておりません。
軍隊漫画でのみ、一世を風靡しただけなのでしょうね。
ºï½ü

 これらは大東亜戦争中も広く使用され、私らが幼少時にいつも見ていたキャラだったのです。
 過酷な軍隊生活の全てを、ほのぼのとしたタッチでユーモアたっぷりに描いております。



 漫画王国・日本で完全に忘れ去られている荒井一壽をご存知の方、講談社ほか出版社の方、どうか[WIKI]に紹介記事を書いてください。

(水 兵)

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                         兵役満期 到来

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                           撃  剣

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                          水兵の理髪

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                          演 芸 会

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                          帆布で入浴


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入  営

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軍 隊 理 髪

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演 芸 会

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除  隊 (訓練終了)



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 昭和初期から、軍事郵便として最も人気を博していたのは・・・

「荒井一壽」の軍隊漫画絵葉書でした。
 
 これらは大東亜戦争中も広く使用され、私らが幼少時にいつも見ていたキャラだったのです。
 過酷な軍隊生活の全てを、ほのぼのとしたタッチでユーモアたっぷりに描いております。
 
 漫画王国・日本で完全に忘れ去られている荒井一壽をご存知の方、
 講談社ほか出版社の方、どうか[WIKI]に紹介記事を載せてください。

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イメージ 7陣中のお正月
↓ 下の写真が参考写真と思われる。
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(満州事変) 昭和7年元旦 溝幣子敵前に雑煮で祝う我が兵士たち

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    満州にも春・・陣中の正月   (これは小野寺秋風の画


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                   故 国 遥 拝

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                   装 甲 列 車
            ↓ 下の絵2点が参考画像と思われる。
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      黒竜江馬占山軍を撃破して、昂々渓付近において装甲列車により迫撃中の我が軍

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     沿線の敵軍を砲撃しつつ驀進する装甲列車   鈴木 御水 画

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            騎 兵 隊

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                  雪 中 の 進 軍

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                   機関銃戦車隊

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                  国 境 の 歩 哨

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                     飛 行 隊

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                   陣 中 風 呂



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