泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2012年05月

支那事変・・報道絵葉書・・⑤   昭和12年(1937)7月~

【絵葉書は時代を写す鏡ですね】

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↑ 首都南京に突入する我が軽装甲車


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↑ 南京市・中華門爆破の瞬間


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↑ 上海・虹江路の最前線における我が陸戦隊の布陣


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↑ 工作隊前進陣地に鉄条網を張る


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↑ 北部日本人小学校の門前で、在留邦人の防御作業協力


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↑ 上海市政府(市庁舎)を占領せる○○部隊の万歳


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↑山上よりの猛砲撃      ↑敵は全滅、先ずは昼飯

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↑ 戦塵の糧 (炊飯準備中)


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↑ 前線の風呂・・・ ドラム缶の入浴


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↑ 陣中風呂・・・小野寺秋風 画


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支那事変・・報道絵葉書・・④   昭和12年(1937)7月~

【絵葉書は時代を写す鏡ですね】

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↑ 上海事件・・・最後の猛撃に火災に包まれた北停車場付近

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↑ 上海市内、敵の中央部隊と相対峙する我が陸戦隊

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↑上海事変・・・敵の中央部隊と鉄道線路付近において激戦中の我が陸戦隊

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↑上海事変・・上海市ブロードウェイ通り日本電信局前の鉄条網と避難民の様子

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↑ 上海事変・・・陸戦隊本部前の戦闘準備

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↑ 三義里での陸戦隊迫撃砲の奮戦

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↑戦火炎々として天に沖して物凄い、上海支那軍兵舎付近の火災

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↑戦乱の巷と化した夜の上海を警備中の我が陸戦隊  ↑支那民家屋上での偵察

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↑ 上海事変・・・戦線視察中の陸戦隊指揮官、鮫島大佐(左)



●海軍作戦記録ニュース(第一集~)↓(14:59)  

http://www.youtube.com/watch?v=yJcMYNrzQtE&feature=youtube_gdata_player



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支那事変・・報道絵葉書・・③   昭和12年(1937)7月~

【絵葉書は時代を写す鏡ですね】

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↑ 上海に於ける、我が陸戦隊の奮闘

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↑上海事件・・・大場鎮の敵陣地に雨と降る弾丸を冒して突撃する歩兵○○連隊

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↑紀元節当日、我が軍は呉松の敵を目前にして、観兵式を挙行、東方皇居へ向かって万歳三唱した
↑呉松に上陸した我が軍の連隊旗
↑駆逐艦「水無月」より呉松砲台を砲撃し、見事命中して黒煙の上がるを見る

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↑ 上海事件・・・呉松方面へ我が陸軍の進撃


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↑ ○○方面にて砲撃中の我が陸戦隊

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↑ 撃破した敵機の上にて万歳


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↑上海戦線・・閘北地区、敵陣地一帯に大火災起きる・・陸戦隊本部屋上より写す


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↑江北六合の警備         ↑津櫓線域内の警備
↑長江警備の我が歩哨       ↑漢口の陸海軍共同警備

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↑ 作戦謀議中の戦車隊


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支那事変・・報道絵葉書・・②   昭和12年(1937)7月~

 7月7日の盧溝橋事件から続く、たび重なる支那軍の挑発で、8月9日、上海にて大山中尉殺害事件が発生。 上海市長や6カ国からなる停戦協定共同委員会は支那側に謝罪と停戦協定を守るように勧告しますが、支那は戦争を始めるつもりであり、謝罪するつもりはありませんでした。

 このとき上海には日本海軍の陸戦隊が2,200名、日本人居留民は2万数千いました。
 危険を感じた日本軍は呉と佐世保から応援部隊4,000名を送りました。
 一方、支那軍は上海を3万の兵力で包囲しました。 4,000の日本海軍陸戦隊が3万の支那軍相手に侵略戦争を仕掛けるなど有り得ない事でした。
 8月13日には支那軍は日本軍陣地に対し機関銃による射撃を突然開始し、上海大戦争が始まります。

 8月15日に蒋介石は全国総動員令を発し、大本営を設置し、蒋介石は総司令に就任します。15日には増派し、7万の大軍で日本海軍陸戦隊を攻撃。 日本軍も横須賀と佐世保の陸戦隊を追加派兵しましたが、それでも合計6,300名。 最終的に日本軍は陸軍計九個師団を投入しますが、日本は大戦争を想定しておらず兵を逐次投入したため日本軍は大苦戦を強いられます。



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↑ 上海中心街に出動する海軍陸戦隊
 
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↑ 8月10日、大山事件発生による装甲車の出動
(8月9日夜、大山中佐の乗った乗用車が支那軍に襲われ惨殺された為の出動)

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↑ 上海中心街での市街戦            加藤 直之 画


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↑ 支那軍機による上海国際租界地区、パレスホテル、キャセイホテルへの爆撃状況


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↑オデオン座周辺の捜索       ↑上海での市街戦
↑上海に於ける日本料理店「六三崔園」の被害


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↑ 守備体制の陸戦隊と装甲車 
(可口可楽=コカコーラ広告・・ちなみに日本での普及は1958年以降)


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↑ 日本総領事館警察官の警備


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↑ 一気加勢、敵軍に猛射を浴びせる我が軍


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↑ ○○に於ける○○隊の勇戦


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支那事変・・報道絵葉書・・①   昭和12年(1937)7月~

昭和12年(193777 22時40分、 北京郊外、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍(支那駐屯軍)が演習を終えた時、突如数発の銃弾が河畔堤防の竜王廟付近よりなされた(当時は判明しなかったが、支那の共産分子が日本軍に銃撃を行なったのだった。日本軍と国民党軍をけしかけるために行なった支那共産党の陰謀であった。)

 再び十数発の銃撃が日本軍に向かって浴びせられた。日本は三週間不拡大方針を維持していた。 しかし、現地で協定を結んでも、それが破られるということが繰り返された。 国民政府軍に入り込んだ共産党分子が、日本を戦争に巻き込もうというコミンテルンの方針に従って挑発を繰り返していたのだ。

図らずもこの盧溝橋事件によって対支那交戦状態に入った日本は、速やかに戦闘を終結して東洋平和を実現せんとの念願により、様々な対支那和平工作を事変当初から試みたが、実に昭和20年の終戦直前に至るまで、様々な形の対支那和平の努力が試みられては挫折していくことになる

 詳細を見れば支那のほうから戦争を仕掛けてきたのは明らかである。 現在では研究が進み、最初に撃ってきたのは国民党軍の中に入り込んだ支那共産党のスパイであったことが明らかになっている。 要するに蘆溝橋事件は毛沢東率いる共産党軍の謀略だった。 事件直後に、「成功せり」という電報が支那共産党の司令部に打たれていた。
 当時の共産党軍は国民党軍による掃共戦(共産党掃討)で連敗し、ほとんど壊滅した状態にあり、それを打開するために国民党軍と日本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたのだった


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http://blogs.yahoo.co.jp/romantic_of_taisho/51959359.html より

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             事件後 「盧溝橋」に展開する我が軍 ↑


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↑ 盧溝橋至近にある一文字山陣地

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↑ 皇軍の○○入城

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↑ 敵前1000mの最前線に於ける、我が機関銃隊の活躍

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↑ 上海市街で作戦を練る我が陸戦隊

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↑蛙江路交差点のバリケードに交戦中の海軍陸戦隊  ↑上海、南京路
                       ↑焼けつつある上海目貫通りのオデオン座

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↑総攻撃にタンク隊の躍進          ↑羅店鎮で活躍中の和如部隊
↑歓呼の声に迎えられ上海を行進する我が軍  現店嶺銃打三勇士(左から)片岡、山岡、西田一等兵


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↑ 市街突入の我が軍


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↑ 北支前線に集結、待機中の我が機甲部隊の威容



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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑬ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】


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↑ 東北辺防軍の捕虜の一部

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↑ 南嶺占拠の殊勲者、早川聯隊長と名誉の連隊旗

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(右)敵軍退却に際し大凌河橋脚を破壊したので、補修中の我が鉄道○○隊
(左)朝陽に於ける曲射砲陣地、潰走する敵に向かって一斉射撃


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↑ 日本軍の錦州入城を歓喜して迎える錦州支那市民


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↑ 北大営の戦場にひるがえる日章旗と延焼する敵兵舎


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↑ 猛煙の揚がる北大営の敵兵舎の遠望


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↑ 日章旗の立つ北大営内の我が警備兵


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↑ 盛んに燃えつつある北大営兵舎と支那避難民の集団保護


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↑ 我が部隊の匍匐前進


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↑ 歩武堂々、皇軍の吉林入城


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↑ 我が軍占領の東北航空隊格納庫の支那機      ↑ 我が軍占領の東北飛行場

【満州事変】・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 ↓

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28707160.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28719202.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28732496.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28744676.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28752957.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28769345.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28787023.html

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28799505.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28854609.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28873871.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28938943.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28970959.html 

満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書 https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/29010691.html 

 



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南沙諸島で、フィリピンに中国の横暴圧力が先鋭化しているぞ・・

中国とフィリピンが南シナ海・南沙諸島・スカボロー礁を巡って対立を深めています。
同海域で、両国の船舶がにらみ合いを続けてから約1ケ月経過中だが、緊張は高まるばかりの状況になっています。

中国は大陸から1,500kmも離れた、フィリピン周辺の海域まで『中国の核心的利益』という厚顔無恥な自己主張を続け、にわか仕込みの海軍力に物を言わせようとしています。

武力行使必至の状況を、充分注意して見守る必要を感じております。

(果たして、日本のマスコミに詳細な報道が出来るか・・・は疑問ですが・・・)
(本日の「読売」記事も、北京支局とバンコク支局(タイ)発信ですからね・・・マニラ情報は?)

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中国・フィリピン両国監視船
5kmを挟んで対峙中・・・












南沙諸島(スプラトリー)の当事国
(ベトナム、マレーシア、フィリピン、台湾、中国)

(ちなみに、大東亜戦争中は日本領だった

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↓大東亜戦争時の地図

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                                   ↑ 今回の紛争地・スカボロー礁 (黄岩島)
イメージ 7                                 ←スカボロー礁 (黄岩島)・・・中央が海の環礁(wikiより)
                       今回の紛争地点・・・中国はマニラの鼻先まで狙ってきています・・・





満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑫ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】
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 ↑ 旗護中隊の威容

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          ↑ 機関銃隊                       ↑ 迫撃砲隊

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↑ 見渡す限り雪の広野に、突撃命令を待つ我が○○隊

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↑匪賊の逆襲に応戦する我が軍        ↑陣中司令部に於ける、鬼将軍と呼ばれたる
↑第四招州河を護って行進する我が軍      多門師団長以下幕僚の勇姿
↑寒風肌を刺す北満の広野に活躍する我が飛行隊
↑昭和7年正月3日午前7時、我が騎兵隊の錦州初入城

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↑ 昭和7年1月3日、錦州城にひるがえる依田旅団血染めの日章旗


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↑ 世界戦史に誇る雪の大進軍を敢行、天嶮熱河を征服せる我が自動車隊の躍進


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↑ 後依拉巴付近の大平原で黒竜江軍を追撃中の我が○○連隊


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↑ 雪の塹壕中より全軍に指揮する早川大隊長


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↑ 古北口より潰走する敵軍に猛撃を加える我が部隊


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  ↑激戦地における我が負傷者の手当       ↑我が軍、看護隊の活躍



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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑪ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 溝精子に元旦を迎える多門師団長(中央)

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↑ 寛城子攻撃中の我が連隊本部 (昭和6年秋)

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↑ 我が軍、威風堂々のチチハル入城の壮観

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↑天気晴朗、万里の長城、角山寺付近の我が強行軍  ↑我が守備隊、秦皇島海岸に元旦を迎え祖国遥拝
↑機関車を守る我が勇壮なる守備兵             ↑逃げ遅れたる匪賊3名と連れ去った牛
↑【絵葉書の都合で・・・横向きご容赦】


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↑ 巨流河鉄橋の我が軍の防備

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↑ 我が軍の迫撃砲射撃体勢

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↑ 突撃!突貫! 敵の射撃を乗り越えて進撃中の我が部隊

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↑ わが国の避難民を収容する満鉄公所の我が警備兵

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↑ 難路強行軍する我が輜重兵隊(しちょうへい=物資輸送)の大行李小行李

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↑ 吉林駅頭の我が皇軍


(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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満州事変・・兵士たちの勇姿・・絵葉書⑩ 昭和6年(1931)~7年

【絵葉書は時代を映す鏡ですね・・】

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↑ 我が軍が侵入直後の、東北辺防軍司令長官公署

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↑ 延々長蛇、白雪累々たる広野、金家塞より馬家塞に向かう我が軍

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↑威風堂々の皇軍の朝陽入城(朝陽門通過中)   ↑○○城門、激戦の跡

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↑ 敵陣地で我が軍が奪取した青天白日旗   ↓(白日のバックの色は青色の筈です・・・)

             イメージ 11  ←・・・中華民国・国旗


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↑昂々渓付近で馬占山を進撃中の我が装甲列車  ↑我が軍に破壊された昌庸付近、紅頂山の兵営

↑重大任務をおび、我が通信隊の前進         ↑奉天市街、我が軍機関銃隊の活動 

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↑ 鈴木師団長(右)とその幕僚、○○方面へ出動

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↑ 土塀を乗り越えて突撃する勇敢なる○○隊の勇士

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↑ 昭和6年12月27日、皇后陛下より御下賜の真綿伝達式、山海関で行われる



(今年1月にアップしたのですが、私の不手際により消去したので【再アップ中】です)
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