泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2011年03月

①↓東京・日野市に於ける【放射線量・・数値実況】サイト・・
【放射線量・・数値状況】
気になっていましたので、UPさせて戴きました。

http://park30.wakwak.com/~weather/geiger_index.html

②↓東京・文京区・本郷
http://muraoka.a.la9.jp/

③↓茨城県つくば市 あまくぼ
http://fpgacafe.com/GM10.png


現在は、人体に影響の無い数値とは思われますので、
風評には充分注意してください。

本日午前、右上がりの時は、はらはら凝視していましたが
午後になって、ほぼ平常に下ってきています。


イメージ 2
















イメージ 1



















 徴用されていなかった台湾航路の花形、大阪商船の豪華客船「高千穂丸」(8,154総トン)は、昭和18年3月14日乗客913名、乗組員176名及び雑貨2,600余トンを積んで神戸を出港、門司経由で基隆(キールン)に向かった。


イメージ 1






















イメージ 2

















 基隆を目前にして、3月19日午前9時35分、北緯26度5分、東経122度30分の地点で、乗客及び乗組員が、端艇訓練中、右舷後方45度に魚雷跡2本を発見、直ちに転舵して、1本は交わしたが、他の1弾が右舷推進器付近に命中、大爆発が起こった。
 更にもう1弾が4番船艙右舷側に命中、大爆発と共に艙内積荷が空中高く飛散し、船体は左舷に急傾斜しつつ船尾より急速に沈下し始め、同9時39分、初弾命中からわずか4分で同船は沈没したため救命ボートも3艇しか降下できなかった。高千穂丸は乗客乗員844名を乗せたまま沈没。脱出した245名はボートに分乗し、アジンコート(彭佳嶼)にたどり着いて救助された。

イメージ 3























基隆港外で魚雷攻撃を受け、沈没する「高千穂丸」

イメージ 4



























イメージ 1
























釜石港堤防をを越えて、高架下へ漁船が流されてゆく・・

イメージ 2
























同じ場所・・

イメージ 3
























港内で津波に翻弄される漁船・・

イメージ 4
























港務所へ流れ込む漁船と駐車車両・・

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

今日仙台周辺・・午後3時~~4時・・NHKより

´◆_从卉罎硫箸魏,稽す津波・・船も家も車も・・

ぁ.咼法璽襯魯Ε垢氾槌を呑み込む津波・・

ァ ゝ嬶した川が溢れて、周辺の道路と家を呑み込んでゆく・・走行中の車も・・

このページのトップヘ