太平洋戦争の残影 ⑨神風特攻隊・・6
開戦以来、武運に恵まれていた日本軍も、米軍の反撃の前に次第に守戦に立たされるようになっていった。
この時、劣勢な戦局を挽回するために、昭和十九年十月二十一日から翌年八月十五日にかけて、フィリピン、硫黄島、沖縄諸島、本土防衛で敵艦船に対する熾烈な特攻攻撃が展開された。
だが、戦後の日本では、戦時中の特攻作戦は、それまでの日本軍に前例がなかったことから「特攻を最大の罪悪の一つと見立てて、絶対服従を強要する上司の命令のために、いやいやながら死んでいった若い将兵たち」という米国風潮の誤った見方が生まれ、彼らを哀れな戦争被害者とする彼らに配慮のない説があったことは、実に残念なことである。
だが、特攻の真相は決して、そのようなものではなく、戦没海軍飛行予備学生の遺族会理事長杉暁夫氏も、「私達の常識ではとても想像もつかないような完全な『滅私』を神風特攻隊員の一人一人が実践してみせたのである」「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員達の悠久の偉功を決してないがしろにしてはならない」と述べているように、特攻こそは、欧米諸国の植民地化を恐れた、殉国の血潮に燃えた青年たちが劣勢な戦局を挽回するために行った愛国心の発露であり、また実際の戦果も戦後、米軍が公表したものよりも、遥かに大きなものだったのである。
以下、米空母「ランドルフ」、米空母「ワスプ」、米空母「レキシントン」、米空母「キトカンベイ」、米空母「マニラベイ」、米空母「サン・ジャシント」の特攻被害状況。
漆ー環礁で「梓特別攻撃隊」銀河機の特攻々撃によりダメージを受けた空母ランドルフ。
1945年3月11日、特攻機の突入で飛行甲板に大穴が開き、艦内が大破した空母ランドルフ。
艦尾部分の大穴
「ランドルフ」に突入し、直径30mの大穴をあけた。
空母ランドルフに突入したとされる隊員3名、左から[偵察]井貝武志上飛曹 (広島県出身)[操縦]福田幸悦大尉(北海道出身)/[電信]太田健司上飛曹(愛知県出身)
海軍双発爆撃機「銀河」
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1945年8月9日、14:55 米空母ワスプ(USS Wasp)に突入する「第7御楯隊」第2次流星隊の「流星」
海軍新鋭艦上攻撃機「流星」をも特攻に投入した。
(1945年3月18日米軍撮影)空母ワスプ(USS Wasp)の対空砲火を受け炎上しながらも突入しようとする艦上爆撃機「彗星」
空母ワスプ(USS Wasp)の対空砲火を受け炎上しながらも突入しようとする艦上爆撃機「彗星」
(3月18日米軍撮影)空母ワスプ(USS Wasp)の対空砲火を受け炎上しながらも突入しようとする艦上爆撃機「彗星」
艦上爆撃機「彗星」
3月19日、 銀河か彗星の緩降下爆撃で徹甲爆弾が命中、炎上する米空母ワスプ(USS Wasp)
1945年3月19日、 銀河か彗星の緩降下爆撃で徹甲爆弾が命中、炎上する米空母ワスプ(USS Wasp)
1942年8月に撮られた「ワスプ」。 前方の中央に見える巨大な煙突の空母が「サラトガ」で右側が「エンタープライズ」。
米空母「ワスプ」(USS Wasp)
ソロモン海域で、伊号19潜水艦が放った魚雷が命中し炎上する空母「ワスプ」
1942年9月15日、伊号19潜水艦が放った魚雷が命中し炎上する空母「ワスプ」(USS_Wasp)
ソロモン遠方で炎上するワスプ(左奥)
右の駆逐艦は伊19からの魚雷が命中したオブライエン。
魚雷が命中し炎上する空母「ワスプ」(USS_Wasp)
「ワスプ」と「伊19」
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珊瑚海にて・・1941年10月14日、レキシントン(USS_Lexington)
レキシントン被弾
珊瑚海海戦で、魚雷攻撃を受けたアメリカ空母レキシントン
1944年6月16日・・総員退去後、炎上しながら沈没するレキシントン
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1944年6月、マリアナ沖海戦で日本機の攻撃を受ける米護衛空母「キトカン・ベイ」
フィリピン海の戦いで日本機を撃墜したが,この4ヵ月後に,レイテ島沖で特攻機に突入されることになる。
米空母「キトカンベイ」(Kitkun Bay )
護衛空母「マニラベイ」に特攻機が突入した瞬間。
空母「サンジャシント」(USS San Jacinto,)に突入をはかる特攻機。
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