太平洋戦争の残影 ④神風特攻隊・・1
【神風特攻隊】
後に神風特攻隊を創設する大西瀧治郎中将の下には、創設以前から特攻を求める意見が多数寄せられていた。
昭和19年(1944)10月20日午前10時、大西が神風特攻隊の訓示と命名式を行い、初の特攻隊である敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊が編成された。
大西は敷島隊に「日本は今、危機でありこの危機を救えるのは若者のみである。したがって国民に代わりお願いする。皆はもう神であるから世俗的欲望はないだろうが、自分は特攻が上聞に達するようにする」と訓示した。
同日、一航艦司令部に帰った大西は神風特攻隊編成命令書の起案を副官の門司親徳に命じたが、門司は不慣れであったため、大西と猪口も手伝って起案され、命令書は、連合艦隊、軍令部、海軍省など中央各所に発信された。
(機密第202359番電 昭和19年10月20日発信)
【体当り攻撃隊を編成す】
1.現戦局に鑑み艦上戦闘機26機(現有兵力)をもって体当り攻撃隊を編成す(体当り13機)。
本攻撃はこれを四隊に区分し、敵機動部隊東方海面出現の場合、これが必殺(少くとも使用不能の程度)を期す。成果は水上部隊突入前にこれを期待す。
今後艦戦の増強を得次第編成を拡大の予定。本攻撃隊を神風特別攻撃隊 と呼称す。
2.海面の敵機動部隊を殲滅すべし。
司令は今後の増強兵力をもってする特別攻撃隊の編成をあらかじめ準備 すべし。
3.編成 指揮官海軍大尉関行男。
4.各隊の名称を敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊とす。
【特攻の戦果】
特攻の戦果は、航空特攻で撃沈57隻 戦力として完全に失われたもの108隻 船体及び人員に重大な損害を受けたもの83隻 軽微な損傷206隻。
航空特攻で撃沈49隻 損傷362隻 回天特攻で撃沈3隻 損傷6隻 特攻艇で撃沈7隻 損傷19隻 合計撃沈59隻 損傷387隻など諸説ある。
アメリカ軍の特攻損害の公式統計は、「44ヵ月続いた戦争の内、僅か10ヵ月の間にアメリカ軍全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻機による成果であった」。
「アメリカが特攻により被った実際の被害は深刻であり、極めて憂慮すべき事態となった」とアメリカ軍の損害が極めて大きかったと総括している。
以下、米空母「セントロー」、米空母「プリンストン」、米空母「フランクリン」、米空母「スワブ」、米空母「サンティ」の特攻被害状況。







フィリピンマニラ郊外のマバラカット海軍航空基地より特攻出撃する敷島隊「関行男大尉機」・・02-888の機番は使い古しの練習用機だったとの事。
●第一次神風特別攻撃隊 ↓ https://www.youtube.com/watch?v=YnUXnwRPKpo


昭和19年10月24日 マバラカット東/マルコット基地より彗星で出撃




プリンストンの船尾は爆発で切断された。

プリンストン舷側部分に多数の爆破片が降り注ぎ、死者85名、負傷者300名を出した。1944年10月24日







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巡洋艦「サンタフエ」が救援のため「フランクリン」に接舷





空母ベロー・ウッドは前方の被災空母フランクリンと共にウルシー環礁に後退。



米空母「フランクリン」を大破させた緩降下爆撃 ↓ https://www.youtube.com/watch?v=s6y-nBF3dKU
● 神風特攻隊 ↓ https://www.youtube.com/watch?v=VXrJT_6LUOQ


10月25日「菊水隊」「朝日隊」「山桜隊」「大和隊」の内1機が米護衛空母サンティーに突入。
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