国史画帖『大和桜』61. 誉れは千裁に薫る赤穂浪士・・

 人は一代、名は末代、生きるべき時に生き散るべき時に潔く散り、誉れを千裁に残すが武士の本懐である。
 
 吉良上野介義央きらこうずけのすけよしなか)は室町以来の典籍に通じ、幕府礼法の事あればこれに関与し、自ら進んで諸大名より収賄していた。
 
 赤穂の城主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)は潔癖なる為、却って城中で上野介に礼法を知らざるに事よせて嘲弄せられ、遂に殿中で刃を抜き、義央に斬りつけた罪に切腹を命ぜられ、その所領はことごとく没収せられた。
 
 家老大石内蔵助良雄以下浪士四十六人、身を思い思いに変じて臥薪嘗胆、吉良を覗うこと二十余月、好機を待つ甲斐ありて元禄十五年1702年)師走十四日、降り積もった雪を蹴って恨み重なる上野介の邸へ夜襲することと成った。
 
 即ち浪士を二隊に分かち、一隊は大手軍として表門から、一隊は搦め手として裏門から進み相呼応し大石内蔵助良雄の下知のまま一糸乱れず、大高源吾、間十次郎等、予ねて用意の縄梯子で塀を登り、外の面々は門より雪崩れ込み、大石良雄が打ち鳴らす山鹿流陣太鼓の音は静寂の夜を破って響き、浪士の意気正に天を衝くの慨が有った。
 
 斯くて卑怯にも炭小屋に隠れていた吉良は首を討たれ、浪士は見事に主君の仇を報いたのである。
 

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          赤穂浪士、吉良邸討ち入り

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   松の廊下で 吉良上野介に赤穂の城主、浅野内匠頭が斬りかかった


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             義士姓氏禄

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             義士勢揃いの図


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永代橋を渡って討ち入りへ

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吉良邸前


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             討ち入りへ

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忠臣義士十一段目     吉良上野介捕獲


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       忠臣蔵義士四十七士 両国揃退図

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 忠臣義士十二段目    吉良上野介の首

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                浅野内匠頭の墓前に報告


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  大石内蔵助切腹の図」部分  熊本藩の江戸屋敷においての切腹状況図


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         大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけ)

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             大石内蔵助良雄