国史画帖『大和桜』56.鬼上官 加藤清正 兀良哈(オランカイ)城への奇襲・・
清正軍は無人の境を行くが如く各地に転戦して、遠く咸鏡道会寧府に迫り、木村久蔵、井上大九郎、庄林隼人等一騎当千、鬼を酢漬けにして頭からかじるという豪傑五十余人を従えて城内へ押し寄せ、城主鞠景仁を始め国都より遁走して来た二王子を虜とした。
更に北上して国境を超え隣国兀良哈(オランカイ=満州・延吉付近)をも一気に滅ぼさんと会寧の降将鞠景仁の手勢五百余騎を案内役とし、全軍を率い国都目指して旗鼓堂々進撃したが、城の壁塁高く堀は深く、後ろは深山峩々として聳え、その堅固なことは今まで攻め落とした朝鮮の城郭の比ではない。
そこで清正は一策を按じ、下知して城の三方を囲み、大力の兵を選んで後ろの山へよじ登らせ、地を掘り崩して、大石を城内目がけて続けざまに転げ落としたから、何状たまるべき岩を砕き木を倒し、城の大門も櫓も微塵に砕け、天地鳴動して百雷が一時に落ちたかと思われ、周章狼狽、雪崩を打って逃げだすところを、待ち構えた鉄砲組の為、撃ち倒され、怯むところを鬨(とき)の声を挙げて攻め入り、縦横無尽に斬り敵を皆殺しにした。
そして泣く子も黙ると云う鬼上官、加藤清正の尊称を得て、万里の異郷にまで勇名を轟かせた。

加藤清正・・大石を転がして 兀良哈(オランカイ)の堅城を破る


↑加藤清正 ↑庄林早太↑志村政蔵↑阿川清右衛門

↑加藤清正 ↑斉藤伊豆入道立尊 ↑節頭司伯根

オランカイに入って王子を虜とし、蔚山に籠りて、明の百万騎を抱える明人怖れて鬼将軍と唱えたり。

朝鮮半島に築城した日本式城郭(倭城)
西生浦(ソセンボ)倭城(蔚山市)、秀吉第一次朝鮮出兵(文禄の役)に際し「仕置きの城」として加藤清正が築城した。
朝鮮半島東岸に築かれた倭城の、最大規模を誇る最前線の城である。


安骨浦城、熊川城、熊川邑城、永登浦城、旧永邑城、加徳城、金海竹島城、順天城、泗川城、泗川邑城、機張城、林浪浦城、西生浦城、蔚山城、長門浦城、松真浦城、倭城洞城


文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱1592-98年)で日本側が朝鮮半島に築いた倭城の1つ、順天城(韓国・順天市)で行われていた石垣の復元工事がこのほど終了。

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官兵衛の嫡男で初代福岡藩主・黒田長政が築いた機張城・・・
釜山(プサン)と蔚山(ウルサン)の中間に位置し、港を取り囲むように築かれた機張城が、豊臣軍の重要拠点だったことは容易に想像できる。

征韓の功労空しく、却って嫌疑を蒙り閉居の身となり、無実の罪に陥らんとす・・・

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