国史画帖『大和桜』53.役を果たし姉川に火花を散らす 木村又蔵 ・・
木村又蔵は宇多天皇の後裔佐々木の一族で幼少より力量有り、武勇優れ孝子を以ってその聞こえが高かった。
たまたま加藤清正は秀吉の命を帯び領内巡閲の折り、認められて主従の約束をしたが、故郷の老婆の病気が昂じて、命旦夕に迫ったので已む無く後日を誓って一旦帰国していた。
ところが元亀元年(1570年)四月、織田信長は越前の朝倉義景を攻めるや近江の浅井長政、佐々木承禎(ささきよしさだ)ら義景を援けて相反した。
そこで信長は徳川家康に援けを請い、近江の姉川(長浜市)に浅倉、浅井の両軍と合戦することになった。
この戦いを聞いた木村又蔵は、主君加藤清正の軍に加わるべく単身重鎧に身を包み、鍬形打った兜を被って今しも織田軍の陣を突き崩す浅倉勢の後ろを襲い、当たるを幸いと縦横無尽に斬りまくり、豪勇を以って鳴る浅倉方の宿将島田権右衛門を初めとし、幾多の勇将を討ち取って初見参の功を立て、清正の驥下(きか=俊才)に入り、主従の役を果たした木村又蔵正勝は後年清正四天王の一人として有名を轟かせた。

↑島田権右衛門 ↑木村又蔵 ↑加藤清正






↑笹井久蔵 ↑紺田平八郎 ↑真原直澄




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