国史画帖『大和桜』㊴ 鬼神も三舎を避ける 前田犬千代の奮戦・・
永禄三年(1560年)五月、今川義元駿河、遠江、三河の軍勢四万六千を率い、桶狭間を本陣として先ず織田方の丸根、鷲津の二城を攻め立て、一挙に陥れんとした。
この時、織田軍に前田犬千代(後に利家と改め、加賀、越前、能登を領し百万石の城主大納言)と云う豪の者があった。
犬千代は十四才にして小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持っていた。
信長の小姓頭を務めていたが勘気に触れ謹慎中、計らずも今川の大軍が押し寄せるとの報を聞き、この際命を捨て功を立てずんば、何時を期してか赦免されんと密かに丸根城主佐久間大学に従って、性来の豪胆槍を以って、敵軍を一手に引き留めて奮戦した。
後敵将、朝比奈備中守一万五千余を率い、織田勢大隅守二千余騎の中に真一文字に斬り入って来るのを見た。
二十二才の犬千代、猛虎飛勇の気を振るいて、群がる敵を突きまくり勇気百倍する折から、朝比奈の組下宍戸弥五郎と云う大剛の勇士が、槍引っ提げて犬千代の脇腹目がけて突き来るを一槍で見事討ち取るところへ、今川の将、江間左京正面より、かかるを得たりと身を交わして突き殺し、名だたる敵の騎馬武者十七騎を討って落とし、其余の手負い数知れず。
鬼神の荒れ狂う如き勢いは、遂に織田軍戦勝の因を作り、その血の滴る首級を提げて信長の前面に出で、天晴れな武勲を賞でられ、勘気赦免となったのだ。





信長の面前で、手柄を披露した前田犬千代の姿












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