国史画帖『大和桜』㉕ 武士の面目躍如たる佐野源右衛門・・
康元元年(1256)に北条時頼は執権職を退き、仏門に帰依して薙髪(ちはつ=髪を剃りおとす)して最明寺(神奈川県大井松田)に入り、諸国を行脚して民情を訪ねた。
或る日、上野国佐野の渡しで、夕暮れ吹雪に遭い佐野源左衛門尉常世(さのげんざえもんのじょうつねよ)の詫び住居に一夜の宿を乞うた一僧侶があった。
常世は元立派な武士であったが、一族の者に所領を横領せられて、今は貧しく僅かに糊口をしのぐ哀れな生活をしていたが、相手が人心を済度する出家のこと故、断り切れず快諾した。
そこで夕食には栗飯を馳走したが、暖をとるに薪無く遂に秘愛の松、桜、梅の鉢木を切り取って焚火し、厚くもてなし乍ら指さして『見貧しくとも、今にも鎌倉に一大事あらば、千切れたりともこの具足取って投げ掛け、錆たりともその薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に跨り一番に馳せ参ずる覚悟』と夜を徹して語った。
時頼は感服惜しくあたわず、名も告げず厚く礼を述べて鎌倉に帰り、諸国の武士を非常招集した。
常世は言に違わず痩せ馬を引き、具足を着けて第一番に到着して、先の僧侶は鎌倉殿と初めて知り恐縮した。
時頼はこの心掛けに感じて、佐野の本領十余庄と鉢の木に因み加賀の梅田、越中の桜井、上野の松井田の三ケ庄を与えて、あっぱれその気概を激賞した。







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