国史画帖『大和桜』・・⑨ 文武兼備の源 義家、安倍貞任を追う・・

源 義家は別名八幡太郎と言って、年少の頃、父頼義に従い陸奥の豪族安倍頼時討伐に従い奥州に向かった。

頼時は大いに驚き、その子貞任(さだとう)と共に防戦したが、頼時は遂に流れ矢に当たって斃れたが、貞任(さだとう)は奥州に豪名を轟かせただけあって少しも屈せず、流石の頼義も大いに苦戦を続け、前後九ケ年に渉り戦い合ったことをみてもいかに強敵かうかがわれる。
この頑強な敵を父頼義を助けて次々に攻め破り、遂に厨川の戦いに貞任を滅ぼし義家出世の糸口となった。

義家は衣川の館に火を放ち貞任を攻めたところ、貞任逃げ延びんとするを見た義家は追い迫り、貞任に向かい「きたなくも後ろを見せるものかな」と云った。
貞任後ろを振り向きたれば、義家「衣の盾はほころびにけり」と詠めば、貞任もさるもの直ちに「歳を経し糸の乱れの苦しさに」と答えて逃げ、その場は武士の情けとして一度は見逃した。

古来文武両道は兵家の修養としてたしなみ来たところであるが、義家の如く兵法家として尚且つ文学に優れたる武将は少ない。
かの飛雁により伏兵を知り、勿来の関の和歌などは有名なものである。


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   源 義家、奥州衣川に於いて安倍貞任を追う・・・

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          【安倍氏系図】↓
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