●日本統治時代の台湾・・⑮ 澎湖島の風光・・絵葉書
明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895)4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。・ |
・ [台中]ーー[次高山]ー[タロコ峡谷]
・ [南投] [日月潭]
・ ホウコトウ [嘉義]ーー[阿里山]ー[新高山]
・ [澎湖島] ーー [台南]
・ [高雄]ー[屏東]
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・ [鵝鑾鼻ガランビ]
日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。

【千人塚】
日清戦争中、澎湖諸島にも軍が送られています。
「千人塚」については「明治二八年二月、比志島枝隊澎湖島占領の際の戦死者其の他千余人を合祀する」とあります。
「明治二十七年、我が征台軍混成枝隊馬公城占領後、一時コレラ病発生シ、患者日々激増シ、患者総数一千九百四十五名内、死亡者一千二百五十七名、中央千人塚ニシテ門ノ左右白(1字欠)見ユルハ当時二百名又ハ三百名土葬セリ、右高地ニ見ユル石塔ハ現時陸軍墓地ナリ」としています。



【松島艦沈没紀念塔】
澎湖諸島では日本軍の練習艦「松島」の沈没事故が発生しています。
「練習艦松島ハ南洋諸島ヲ航海シ、五月三十日碇泊中、艦尾火薬室爆発シ名士ノ子息等二百余名海底ノ藻トナリシ」と書かれています。
また、その紀念塔については「松島艦ノ首砲ヲ以テ紀念塔トシ艦ノ器具ヲ以テ建ツ」としています。また、傍らの建物は「松島記念館」であるようです。

明治41年5月30日、澎湖島ニ於ケル松島沈没当時ノ光景

台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖公園松島記念碑と記念館

台湾・澎湖島の風光・・ 澎湖公園松島記念碑と記念館






・ 東西9間、南北18間余り


【澎湖小唄】
水は美しく、月又冴えて、人の心は永遠の春、それは平和のホンニホラヤノ神の島。





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