第33話の⑩・・父、泰山から祖母浦子への軍事郵便全記録・・・満州東寧から、ラバウルから・・

 昨年、愛媛県喜多郡内子町の母の実家で、私の昔の資料を探しておりましたところ、父の実家松山での空爆で、既に灰になってしまったであろう父の「軍事郵便はがきの束」と、応召した時に受けた「軍隊手帳」が出て参りました。

 私が想像するに、この軍事郵便はがき類が残されたのは、昭和20年7月26日夜、松山大空襲の焼夷弾爆撃により、鉄砲町に程近い琢町に在った私方の実家は全焼しまして、祖母浦子は曾祖母ヒサヨと私の弟、孝芳を連れて郊外の山越まで避難したのです。

自分の写真も1枚も残していない祖母浦子(享年53才)が、この書状は大切なものとして避難先へ持ち込み、空爆後の食糧事情、医療事情の悪辣な中で昭和21年1月8日に逝去したのです。
葬儀に参加した母方の祖父、忠兵衛が父泰山の遺品であろう物品を預かり、持ち帰っていたものと考えられます。

便りの内容は、軍事郵便の常で必要以上の事は決して書けない・・・という他愛の無い内容ですが、
父泰山は「定期的に必ず祖母浦子に安否を知らせる葉書を出す」との、親子の約束をしていたのだと思っています。

第19話の②・・父、泰山の出征と満州東寧への赴任日記・・http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/33047396.html・・にあるように、満州東寧に赴任したのが昭和16年8月27日でした。

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 昭和17年(1942)3 松山市琢町64  福島 浦子 様 
拝啓、先日は便り有難うございました。
皆、元気なとの事、安心しております。
芳子の容態は如何ですか、以前より大分良いとの事、安心しております。
泰弘も松山へ来ているとの事ですね。電車等には充分気をつけて下さい。
先日写真を送っておきましたが届きましたか。
まあ心配はせぬように願います。身体に気をつけて下さい。では又。

満州牡丹江省東寧県城子溝軍事郵便処気付、
満州岩6418部隊鈴木隊  福島 泰山

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・       恐らくこの写真が送られて来たのだと思います。
(戦時中はシェパードのことを、「軍用犬」と呼んでいたように記憶しています)

泰弘も松山へ来ているとの事ですね・・・については↓●第25話 鯉の血・・参照http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/8721542.html


 昭和17年(1942)617 
松山市琢町64   福島浦子様内  福島 泰弘殿(5才)
   【絵葉書在中】
満州牡丹江省東寧県城子溝軍事郵便処気付、
満州岩6418部隊鈴木隊  福島 泰山
 
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     ●封書の中身は荒井一壽」筆の軍隊漫画絵葉書6枚ほどでした。

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 昭和17年(1942)827日 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、内地も暑いことと思いますが、私も大変元気ですからご安心下さい。
当地も最近は大分涼しくなり、内地の秋の様です。
先日ご送付下さった同窓生の人々の処へは、私の方よりも礼状を差出しておきました。
子供達の服を・・・との事ですが、買うようでしたら俊光のをも買って送っておいて下さい。
時候柄ですから、子供達に気を付けて下さい。 お母さんによろしく。

満州牡丹江省東寧県城子溝軍事郵便処気付、
満州岩6418部隊鈴木隊  福島 泰山

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泰山の召集を聞き付けた松山市、北豫中学校(現・北高校)卒業の同窓生有志が「御餞別」を実家の方へ届けてくれたのでしょう・・・その名簿を浦子が戦地へ送り、本人の手帳に挟んでありました。

【同窓生名簿】                       

松山市志津川町      岡本 長一    

松山市河野町     山本 末見   

・松山市昭和町68     香川 一雄     

・松山市道後湯之町     三好 退二  

・松山市江戸町(南味酒町) 石川 兼      

・温泉郡小野村字平井    森本 利徳   

・温泉郡南吉井村字北野田  隅田 寿男     

・松山市道後湯之町南町   池内 修(西岡 

・松山市府中町       樋口 恒徳     

・松山市桑原町       石丸 英隆   

・温泉郡浅海村       高橋 泰夫


 昭和179月末 松山市琢町64  福島 浦子 様
其の後、変わりありませんか。私も大変元気です。
内地も祭り前で大分涼しくなってきた事でしょう。
当地も冬服で丁度良い頃となりました。
便りは出しますが大街道へも宜しく云って下さい。では又。

満州牡丹江省東寧県城子溝軍事郵便処気付、
満州岩6418部隊鈴木隊  福島 泰山
 

 昭和171127日 松山市琢町64  福島 浦子 様
寒くなって来ましたが子供達や皆元気ですか。
私も相変わらず元気ですから、安心して下さい。
子供達に風邪を引かさぬ様にお願い致します。
当分の間、便りを致しませんが、元気ですから心配せぬ様にして下さい。
寒くなりますから身体に気を付けて下さい。では又。

満州牡丹江省東寧県城子溝軍事郵便処気付、
満州岩6418部隊(鈴木隊)今井隊  福島 泰山

「当分の間、便りを致しませんが・・・」とあるのは、この時、満州岩6418部隊は今井隊長のもと南方戦線へ転戦すると発表され、12月2日出発となったのです。

【参考】第33話の⑥ 父の部隊が東寧(満州)からラバウルへ移動したルート・・

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  12月2日より陸路、海路を経て12月22日にラバウルへ到着しております。

以下の便りには「ニューギニア」方面へ転戦したとは書いていませんが、私が浦子から地図を前にして聞いたのは「父ちゃんは牡丹江から、ニューギニアの戦地に移動したんと・・・」と教えてくれたので、12月2日到着早々に(ニューギニア方面)という便りが来ていたようです。
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 昭和18年(1943)131日 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、其の後大変永らくご無沙汰しましたが、
子供達や皆、変わりはありませんか。
私も大変元気ですから安心して下さい。
先日、送金しておきましたが届きましたか。
何か子供達のものでも買ってやって下さい。
内子の方も元気ですか。大街道の光月堂へもよろしく。
八木の人に度々便りを頂きましたが、よろしく云って下さい。
寒い頃ですから身体に気を付けて下さい。
お母さんや門屋へもよろしく。 では又。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山
 

 昭和183月 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、ご無沙汰致しますが、皆変わりはありませんか。
子供達も相変わらず元気ですか。
私も元気ですから安心して下さい。
内地も大分暖かくなってきた事と思います。
芳子の一周年も来ることと思いますが、丁寧に祈ってやって下さい。
時候柄ですから身体を大切にして下さい。 内子へもよろしく。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山
 

 昭和1852日 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、先日は便り有難うございました。
皆、元気なとの事で安心して居ります。
私も相変わらず元気ですから安心して下さい。
俊光もまた内子の皆も元気なとの事で安心して居ります。
内子から慰問袋を送って貰いましたから、礼を云っておいて下さい。
大街道や近所の門屋さんにもよろしく。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山

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 昭和18年(1943)610 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、其の後ご無沙汰ばかり致しますが、子供達や皆は元気ですか。
私も大変元気ですから安心して下さい。
内地も大変暑くなり始めたことと思いますが、
子供達の病気に充分気を付けて下さい。
先日内子から便りが有りました。 皆身体に気を付けて下さい。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山

 
 昭和1877日 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、先日便り受け取りました。 
子供達や内の者も皆元気との事、安心して居ります。
私も相変わらず元気ですから安心して下さい。
内子からも便りがありました。皆元気との事、安心して居ります。
大街道の光月堂も元気ですか。 よろしく、では又。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山
 

 昭和188月 松山市琢町64  福島 浦子 様 
拝啓、其の後、皆元気ですか。
内地も大変暑いことでしょう。 私も相変わらず元気ですから御安心下さい。
内子の俊光も元気との事、安心しております。
時候柄ですから子供達の身体にも気を付けて下さい。 では又。 

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山


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 昭和18年(1943)9月 松山市琢町64  福島 浦子 様
拝啓、其の後お変わりありませんか。
私も相変わらず元気ですから御安心下さい。
子供達やお母さんも元気ですか。
少々送金して置きましたから、受け取って下さい。
時候柄ですから身体を大切に。  返事下さい。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山
 

 昭和181016日 松山市琢町64  福島 浦子 様 
本日、便り受け取りました。皆元気との事、安心しております。
送った煙草、着いたとの事ですが、あれは呑んで下さい。
半分は内子へ送って喫って貰って下さい。
「カビ」がねても(かびても)困ります。
下宿で居る学生さんにものましてあげて下さい。
皆、身体に気を付けて下さい。

南海派遣剛第6418部隊尾形部隊今井隊  福島 泰山

(この便りから「私も相変わらず元気です・・」の言葉が抜け落ちています。 マラリアの発熱で配給の煙草が不味くて吸えなくなった・・・ものと考えられます)



 
昭和18年11月中旬? 愛媛県松山市琢町64   福島 浦子様
拝啓、その後お変わりありませんか。  先日、便り受け取りました。
子供達も皆元気で毎日遊んでいるとの事、何より結構なことです。
お祖母さんも元気ですか。 宜しく云って下さい。
学生の人も九人も下宿しているとのことですが、何かと忙しいことと思いますが、身体を気をつけて下さい。 
(当時、浦子は松山高等商業学校生(今の松山大)の下宿屋をしていて、2階の6畳の間2部屋を使わせていた)
又、寒くなることですが、子供達に気をつけてください。

南海派遣剛第6418部隊 尾形部隊 今井隊  福島 泰山




 この頃、父・泰山はマラリアに感染し、兵站病院で入退院をしていたのだろうと思われます。 

 泰山は昭和18年(1943)11月26日
にラバウルを出航した病院船「ぶえのすあいれす丸」(9,626t)に乗船して、帰国するマラリア患者、傷病兵の一人だったのです。

然し、出航した翌日の27日、病院船「ぶえのすあいれす丸」(9,626t)は
ニュー・アイルランド島カピエン西方に於いて、米軍のコンソリデーテッド機によって爆撃され轟沈したのです。 

【参照】↓

第33話の⑦ ●病院船「ぶえのすあいれす丸」の轟沈絵図・・・


第33
話の⑧ ●病院船「ぶえのすあいれす丸」轟沈後の漂流者絵図


第33
話の⑨・・父泰山がラバウルから帰還した時の顛末・・・



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