大東亜戦争時の絵葉書は、敵への情報漏えいを抑えるため、絵葉書画面は軍の許可制が常態化して、写真使用は極力避けられたようです。
ですから新型、新造の軍艦、潜水艦、戦闘機、爆撃機、装甲車、戦車等の写真は全く有りません。
一方で、一流画家を従軍画家として最前線の様子、写真等から絵に描かせ、これらが絵葉書として発行されており、「これが戦場だ!」・・という緊迫した画面が多く残っていますね。

● ウェーク島
ウェーク島は、アメリカ本土とグアム、フィリピン(アメリカ植民地)を結ぶ作戦線上にあるアメリカ軍の中部太平洋における重要な拠点のひとつであり、日本側から見れば、日本本土とマーシャル諸島を結ぶ作戦線上にひっかかる楔のような存在であった。
1941128の開戦と同時に攻撃を開始した。
まず510分、第24航空戦隊の陸上攻撃機34機がルオット島からウェーク島を空襲。
攻略部隊は順調にウェーク島に接近。22午後に上陸戦の隊形に占位し、誘導潜水艦を頼りにウェーク島の南岸に接近していった。21時、上陸命令が令され、これと同時に第18戦隊はウェーク島の東岸に移動して陽動作戦を実施した。

イメージ 1
            ウェーキ島攻略戦    松坂  康  画


イメージ 12
         陸戦隊、南海に挺身す     古嶋 松之助 画


● グァム島
日本軍は昭和1611月下旬に小笠原諸島の母島に集合し、昭和16年(1941128の開戦同日に水上偵察機16機によるグアム島空襲を実施し、
12月10日島嶼の四方からほぼ同時に上陸した。
周囲を日本統治領で囲まれていたグアム島には、日本軍の予想した兵力の半数の米軍もおらず、日本軍は上陸からたった1日でグアムを占領することができた。


イメージ 4
            グァム島占領       江崎 孝坪 画

イメージ 13
船団護衛         大久保 作次郎 画


● ボルネオ
昭和17年(1942111、日本軍はオランダ領ボルネオのタラカンとメナドへの進攻を開始し、油田地帯と製油設備を確保した。

イメージ 14

イメージ 16
タラカン強襲      田辺  穣  画


イメージ 15
敵前上陸


●フィリピン戦線

イメージ 17

イメージ 18

 ● キャビデ軍港
昭和16年(1941)月10、日本海軍が開戦早々の米軍アジア艦隊の根拠地、マニラ湾内のキャビデ軍港を爆撃した。

イメージ 2
キャビテ軍港攻撃     三輪 晁勢  画



● バターン半島攻略・サマット山

昭和16年(19411223、台湾から派遣されたフィリピン攻略の主力部隊である本間雅晴中将率いる第十四軍がルソン島リンガエン湾に上陸したことから始まります。
 フィリピン防衛の任に当たっていたのはダグラス・マッカーサー率いる米比軍でした。
 マッカーサーは1224日マニラの無防備都市宣言を行った後マニラから撤退、バターン半島のコレヒドール要塞に立てこもったのです。
 日本軍は翌12日にマニラの無血占領に成功。
3
12日マッカーサーは "I shallreturn" の言を残してコレヒドールから脱出したのは有名です。

バターン半島の次はコレヒドール島だが、もはやアメリカ・フィリピン軍に抵抗の気力はなく、56日呆気なくコレヒドール島も陥落して、ここにフィリピン攻略作戦は完了した。

イメージ 3
バターン戦線猛砲撃      高沢 圭一  筆

イメージ 5
サマット山麓突破      末長  嵐生 筆


イメージ 6
進 撃 中

イメージ 7
突 撃 路      高沢 圭一 筆

イメージ 8
硝煙の道 (コレヒドール)     猪熊 弦一郎 画

イメージ 19
コレヒドールの桟橋        鈴木栄次郎 筆

イメージ 9
密林を拓く     小寺 健吉  筆

イメージ 10
本間中将・ウェンライト中将会見図     宮本 三郎 作

 ● コレヒドール島
バターン半島の沖合いのコレヒドール島はスペイン統治時代からマニラ湾の入口を守る要塞として整備されていた。
日本軍は昭和1755日の夜に上陸作戦を実施し、歩兵第61連隊の2個大隊と戦車第7連隊の一部がコレヒドール島の北東端に取り付いた。守る米比軍の砲火は激しく、一部は逆襲に出たものの、日本軍は橋頭堡を確保した。
6日正午、マッカーサーの後任の司令官に就いていたウェインライト中将が降伏を申し入れた。
本間中将は、降伏はフィリピン 全土の米比軍が伴わなければならないと主張し、ウェインライト中将もこれを受諾した。翌日までにコレヒドール島の全軍が降伏した。

 


イメージ 11