ブログ「泰弘さんの追憶の記」を製本し、1冊づつですが松山と内子の図書館へ寄贈しました。
記述の中に下記内容があるからです。

第36話 昭和19~20年の「松山・城北練兵場」周辺の変貌の様子・・

松山城北練兵場へ訓練用戦闘機が運び込まれた・・
第54話 昭和20年3月の堀の内周辺へのグラマンの機銃掃射の状況・・

松山市琢町(緑町)から見えたグラマンの攻撃・・

防空壕から首を出せば見えるのです・・
第55話 昭和20年5月の三津の丸善精油所爆撃延焼と「B29の編隊飛行」・・

清水小学校校庭にある防空壕へ走った・・

西から東へB29が真上に迫ってきた・・今、落とされたらお仕舞いだ・・

丸善精油所の燃える、真っ黒い煙は南風に流されて・・・
第58話 内子国民学校(小学校)へ疎開転校と内子での生活・・

第75話①~④内子町にあった忠魂碑は今?と内子出身・重岡中将閣下のエピソード・・
←内子町にあった38cm砲弾を頂いた忠魂碑

第71話①~②松山東雲高等女学校生の尼崎方面・学徒動員先からの便り・・


↑昭和20年2月2日学徒動員先、尼崎からのはがき・・↑昭和20年6月10日 松前の動員先から・・
本ブログ、カテゴリーの『爺ちゃん、婆ちゃんに捧ぐ追想録』を1冊にまとめまして、家族・親戚分として製本したのですが、余裕分を図書館用として贈呈したのです。
松山に於いても昭和20年7月26日夜の「松山大空襲」の空襲状況は語られておりますが、それ以外の空襲については殆ど語られておりません。
「愛媛新聞」でさえも、軍部の報道統制のもとで「三津浜の丸善精油所が被弾して全焼」とは書けなかったし、記録は残ってないのです。
その全ては「朝8時10分にB29、8機編隊が松山航空隊基地を空襲し、盲爆のあと逓走した」とあるだけなので、記録として残っているのは非常に限られたものと考えられます。

製本はYahoo社で推奨する「My Books. Co」社で、訂正校正は全てnetにて自己校正で行いました。
写真、カットも含みますので文庫本【B6版】で【468ページ】となり、「MyBooks. Co」社では1冊の限界は480頁でしたので、丁度切りも良かったのです。
1冊あたり約10,000円に成りました。
製本するに当たっては、一般的には1ロッド=数十万円かかりますが、「My Books. Co」社さんではロッドに関係なく1冊より、受け付けてくれますので、少数注文者にとっては大助かりでした。
さて、送呈先の図書館3ヶ所は・・・次の通りです。
① 戦時中の松山市での空襲や城北地区の子供らの生活記述が多いので・・・
松山市立中央図書館 (松山市湊町7丁目5番地、松山市総合コミュニティセンター内)
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/bunka/library/chuotosho/chuoutosyokan.html
【蔵書検索エンジン】↓
② 疎開先の内子町(母の里)での生活記録も多いので・・・
内子町立図書館 (愛媛県喜多郡内子町内子3427番地.)
http://www.town.uchiko.ehime.jp/library/ 【蔵書検索エンジン】↓
③ 松山東雲高等女学生の尼崎方面、勤労動員先からの報告はがき内容の詳細記述があるので・・・
松山東雲女子大学 図書館 (松山市桑原町3丁目2-1)
【蔵書検索エンジン】↓
http://lib.shinonome.ac.jp/jhkweb_JPN/service/termref.asp
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