日露戦役・・旅順周辺戦跡絵葉書【椅子山堡塁、大案山子山堡塁】⑤

 明治37年12月、椅子山堡塁では、前のターンに配置転換された野砲第2旅団の援護射撃のもと第1師団が最後の突撃を敢行した。しかし、周囲のロシア軍砲台からの砲撃と、守備隊による必死の反撃によりここに投入された第1師団9ユニットの内6ユニットが除去され3ユニットが退却となり、この攻撃は完全に失敗した。またこの頃、東鶏冠山堡塁に突入した第11師団もロシア軍の反撃にあい占領に失敗している。

 占領の可能性があった3ヶ所のうち2ヶ所に失敗した日本軍は最後の望みを二龍山堡塁の第9師団にかける。28サンチ砲の砲撃もすべてここに振り向けられた。その威力は凄まじく二龍山山頂の機関銃陣地を吹き飛ばし、松樹山堡塁より駆けつけたロシア軍増援部隊をも粉砕する。第9師団は残るロシア軍守備兵を瞬く間に排除し、二龍山堡塁を完全に占領する事に成功した。ロシア軍にそれを奪回する力は既に無く、日本軍の勝利が確定した。

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↑ 王家甸南西凹地における28cm榴弾砲の発射


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↑ 旅順、椅子山堡塁


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↑ 旅順、椅子山堡塁


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↑ 旅順、椅子山堡塁の遠望・・・旅順港背面要塞の、中心部にある永久堡塁で、明治38年1月2日閉城規約成立と同時に、保証として占領したものである。



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↑ 旅順、大案山子山堡塁・・・遥か前方の山頂に椅子山堡塁が見える。


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↑ 旅順、大案山子山堡塁・・・旅順要塞中、最も堅固な堡塁で明治38年1月2日の閉城規約成立の際、椅子山堡塁と共に保証として占領したものである。


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↑ 旅順、大案山子山堡塁山頂の一部


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↑ 旅順、北斗山上の露軍観測所跡