愛媛県喜多郡、内子町と五十崎町の中間に、竜王城址の小高い丘があります。
 その丘の上に西向きで『戦没者慰霊碑』が、両町で建立されていました。
 高さ約10mそこそこの、石組みの白い塔は、内子町内からも良く見えておりました。

 ただ、直下に肱川が流れ周辺は崖になっていて、その「忠魂碑」へ行くには、鳥越の斎場付近を通り、西の方から1km強の遠回り細道のため、お参りされる方は殆んど居なかったようです。
 小学校上級生の頃、その『忠魂碑』周辺の清掃をするため、学校から
2度行った事があります。
 昭和
25
年の頃ですが、訳も判らず「ちゅうこんひんの清掃」と言っていたと思います。

 『忠魂碑』には正面に「忠魂碑」と記した青銅碑文がはめ込まれ、頂上に大砲の弾丸が鎮座していました。
 正面下には鉄扉があり、中に名簿や写真が奉献できるように成っているようでした。
 普通一般の「忠魂碑」は御影石に碑文を彫り込んだだけのものですが、内子のそれは大きくて立派なものでした。

 誰憚ることなく「古い町並みを守り続けている 内子町 」のことですから、この昭和初期に建立されたであろう『忠魂碑』は、今でも大切に守られ、戦没者の慰霊と、犠牲者への感謝は続けられているものと思っています。

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   【小学生の時の記憶で描いておりますので、少々の不正確ご容赦】
 
 
 最近、この「忠魂碑」に関して殆んど情報もなく、話題にもなった事もないような気がしています。
 写真も記事も見たことがありません。
  町民が我が父、我が夫、我が子を、写真を添えて奉った、この「忠魂碑」のことは、  老いも若きも、綺麗さっぱり忘れ去ってしまっているのか?・・・とは、考えたくもありません。

 昭和40年頃、ここ竜王城址に町の温泉施設が出来たころ、一度参りましたが、この『忠魂碑』のことは全く気にもしていませんでしたので、確認出来ていません。

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     ○の部分ですが、「碑」があるとの印はありますね・・・


【追記】
下の写真、グーグルの衛星地図ですが、形状からしても確かに「忠魂碑」は残っているようですね。
誰からも興味を示されず、ひっそりと立っている姿を見ると嘆かわしくなります。
周辺には、中世の城郭跡らしく、人工構築されたのであろう土塁の構造物が見え隠れしていますね。

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