第33話の終わりに、父・泰山の遺品の手帳を見て父の部隊が満州から、南方戦線のラバウルへ移動したルートの事を書きました・・・「手帳には毎日の輸送船の位置、つまり船内で広報されていたのだろう、緯度経度が几帳面に記されていたので、地図に記入して辿っていってみた」・・・
 私が手書きした「そのルート地図」と「泰山の手帳からの書き写し」の50年前の古ノートが出てきましたので紹介します。

 中には読みづらい字もありましたので、その字は、字の形状を正直に書き写したつもりです。  全て要訳できています。
 
 泰山が従軍していた【満州国 牡丹江省 東寧県 城子溝】の場所のことですが、牡丹江は容易に判ります、しかし「城子溝」という地名は、東寧市の周辺集落の地名らしく、情報不足で判明出来ず、苦労して検索しましたら「満州少年回想記」→(http://blog.goo.ne.jp/sadao1093/m/200606)に地図が出ていましたので参考にさせて戴きました。
 
 「東寧県城子溝」とは、牡丹江市の東、約100kmのところでソ連国境の近く、ソ連軍港ウラジオストックのすぐ後ろ側、喉首の場所になりますね。
 日本軍にとってソビエトと対峙するには、最重要地点だったのでしょう。
 河川で隔たれた、この周辺の対ソ国境は、国境沿いの丘陵地を、全て要塞化していたようで、丘陵を下った辺りに兵舎が並んでいたそうです。

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【泰山の手帳からの写し】と下の【移動記録内容】
 
昭和17年12月
1日・・・出発準備、演芸会を開催
2日・・・出発(寺戸隊見送り) 11時乗車(城子溝ヲ去ル)
3日・・・列車中、狭しす寒し
4日・・・図們(ともん)着 (豆満江を望む)、雄大なる結氷を濁水流る
5日・・・大雪あり、鉄道は続く
6日・・・釜山着(20時) 隙がない 一泊ス
7日・・・乗船(夏服に着替える) 波静かなり
8日・・・船中(関門海峡通過)
9日・・・佐伯湾着(大分県) 出航(夜間)
10日・・高射砲実射 コレラ注射 駆逐艦3
11日・・避難訓練 船内暑し 明朝(タイワン キールン(台湾基隆)の線)
12日・・暑気強し 只、海のみ 熱帯へ入る
13日・・北21度  東135度 暑し
14日・・北19度  東137度
15日・・北17度  東139度
16日・・北14度  東143度 敵潜水艦見ゆ
17日・・北10度  東144度
18日・・北7度   東144度
19日・・北4度   東145度
20日・・北1度40'  東146度 午前2時赤道通過
21日・・南1度20'  東148度 島影を見る 駆船艇3来る
22日・・朝早く島見ゆ(ニューアイルランド) 島の連続なり 
23日・・午前2:30ラボール着(ラバウル) 椰子の林を見る
    多数の船舶あり 潜水艦、戦艦、海軍基地の如し 
    カヌーに乗れる土人を見る色黒し  船中一泊

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                 前線基地・・ラバウル

24日・・午前10時頃上陸  衛兵となる
    昼食後進軍、ラバウルより1里半位あり 幕舎(テント)、夜間空襲あり
25日・・朝より各使役アリ 土人来たりて「ヤシ」を取る 日直なり
    夜間雨なり  空襲なし
26日・・一昨日の空襲、死者5名との事、夜間空襲あり
27日・・土人と知り合う 可愛いものなり 空襲あり
29日・・土人来る  幕舎の修繕、建設 夜間空襲あり パパイア、パイを持来る
30日・・大隊本部使役 午前、午後共、夜間空襲あり
31日・・大隊本部使役 夜間空襲あり

18年1月1日・・午前3時~4時頃空襲  ラッパばかりの祝いをなす(元日)(酒ビンのラッパ飲み廻しか?)
 
26日・・マラボンガへ着ス  警備
28日・・地形偵察 ウンガ➔ランギス➔チンベルト迄  土人部落へ一泊ス
31日・・・第一回 先遣隊5名出発
2月4日・・第二回 先遣隊出発
8日・・・・田之浦帰還(同僚の名か、現地の地名か)
 
3月27日・・赤根岬兵站病院 分遣 越智軍曹以下9
 
 この日本軍押せ押せの時期でも、ラバウル周辺は、毎夜のように空襲されていますね。
 昼間はラバウル航空隊が目を光らせているので、戦闘機の目が効かない夜間に爆撃機が急襲していたのでしょう。
 1月1日から26日まで空白ですので、他島へ移動したのか?とも思いましたが、記入されていた地名が、地図の何処にも見当らないので、恐らくラバウルのあるニューブリテン島内で、部隊は活動していたと思えます。

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【6418部隊の満州東寧からラバウルへの移動ルート】

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 【牡丹江 東寧市の位置図】

 
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【城子溝の位置図】

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          東寧在任中に同僚と写した写真

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勝鬨山陣地(二本の鉄塔)右は栄山陣地
(山の向うはソ連領)
(更地のところが兵舎、兵隊の行動していたところと思われます)

「牡丹江~東寧要塞の旅」(2009)より↓