● 昭和7年正月の年賀状も残っています。
母の妹の森並政子さんから、弟・勇雄さん、妹・登志姉ちゃんに宛てたものです。
昭和7年なら、政子叔母は18歳、勇雄叔父は10歳、登志姉ちゃんは7歳だったのです。
政子叔母さんは女学校を出て間も無しの時ですから、姉文子の嫁ぎ先、松山大街道の森岡光月堂へ子供の世話や、年末のお手伝いに行って、新年も松山で迎えたのでしょう。
年賀状が絵本のように色彩豊かで、美しい物だっただけに、大事に残されてきたものと思われます。
政子叔母さんの、弟妹に対する思いやりの程が感じ取れる賀状です。
↓ ラケットに見えるが手鏡でしょう・・・おめかししてお出かけの風情・・・




これは昭和11年の年賀状、登志姉ちゃんが11歳の時でしょう。
筆のタッチからして差出人は大人の字ですから、小学校の受け持ちの先生からでしょうか?
図柄の「ミッキーとベティさん」は、この頃より段々と可愛くなって行くのですね。
母の妹・登志姉ちゃん宛の、従弟からの年賀状です。
はがき全面に、筆おろしの落書きで埋められておりますが、しっかりしている文字は、忠兵衛祖父ちゃんの筆跡に間違いなしです。
恐らく年賀状の返信をしたためる時、練習したものと思います。


はがき全面に、筆おろしの落書きで埋められておりますが、しっかりしている文字は、忠兵衛祖父ちゃんの筆跡に間違いなしです。
恐らく年賀状の返信をしたためる時、練習したものと思います。


● 射撃演習 行軍渡河とある
(松山第22連隊、留守隊 第1中隊 新兵 師井楢之進拝とある)

● 従姉からの賀状





コメント