昭和10年正月に母・芳子の姉、松山の森岡光月堂の森岡文子から芳子と2歳下の政子宛に届いた年賀状が残っています。
母・芳子はこの頃結婚前、花嫁修業中の23歳頃でした。

松山フミ子とあるのは・・・松山市の文子よりの意
更に、全く同じ「キュウピーさん模様」の賀状が文子の長女・武子さん(7歳)から、母の妹・登志姉ちゃん(10歳)宛に届いておりました。
登志子の姪ではありますが、年齢が近かったので文子の里帰りなどの時、お互いによく打ち解けて遊び相手となっていたのでしょう。
参照【●女学生も学徒勤労動員された・・① http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/12656121.html】 にもあるように、以後も逐一・・武子さんと登志姉ちゃんの文通は続いていったようですね。



松山・道後公園での花見でしょう・・・昭和12年春か?
(昭和11年7月16日に結婚して、祖母の話によると私を受胎中とのこと)
左から伯母の森岡文子、従姉の武子さん、母の芳子(中央)
手前左から宣子さん、京子さん、和子さん。
手前左から宣子さん、京子さん、和子さん。
●昭和8年・・・母の姉、森岡文子から母とその妹・政子に宛てた絵葉書。


慰問袋・・・岩田専太郎 画
愛媛県 喜多郡 内子町 森並芳子殿 政子殿
拝啓、皆様お変わりありませんか。
私方一同無事にいますれば、ご安心くださいませ。
夜等、カイカイ(かき餅)を焼いて子供をお守りしています。
武ちゃんや宣子も、又内子へ行くなど言って遊んで居ります。
登志ちゃんは、今度四年生になるのですね。
暖かになったから、お母様に遊びにいらっしゃいと、言って下さいませ。
姉さんの家も蓄音機を買って、かけています。
「涙の渡り鳥」も買いました。
大変良いのが沢山あります。
昭和8年3月29日 松山 森岡文子
●昭和9年 友人から母宛のはがき・・・
学校時代の友人からでしょうか、見舞い状が残っていました。


岡山・後楽園・唯心山
愛媛県 喜多郡 内子町 郷の谷 森並 芳子様
春暖にして、気持ちよく蝶はとび出で、花は香りだし、野に山に遊ぶ時候になりました。
其の後、*****して後、(*****の部分は、爪で削ってある)お障も致しませんですが、
貴女様には何のお障もございませんか。
次に、私も日々元気よく遊んでいるから安心して下さい。
早くお手紙を出そうと思うて居たのですけれど、出さずにいましたが許してください。
昭和9年4月15日
喜多郡 五城村 長田 成岡 子都恵

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