それにしても、親父泰山が18年春に満州からラバウルへ転戦し、そこでマラリア感染のため約半年で、この地を去らねばならなくなったラバウルとは、どんな処だったのでしょう。
第33話の①~②参照・・「善通寺陸軍病院の父」
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965678.html
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965679.html第33話の③ 「南方からのはがき・・」参照
第33話の⑦●病院船「ぶえのすあいれす丸」の轟沈絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966281.html
第33話の⑧●病院船「ぶえのすあいれす丸」轟沈後の漂流者絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966282.html 戦時中は「ラバウル小唄」(さらばラバウルよ、又来るまでは・・)とか「ラバウル航空隊」(銀翼連ねて南の前線、揺るがぬ守りに海鷲たちが・・)などの歌がよく歌われていまして、「日本軍の南方の守りの要」の様に言われていましたからよく聞く地名でしたが、戦後は殆んど耳にすることがありません。
細切れの情報をつなぎ合わせてみましたら・・・
父親、泰山は昭和18年11月に、マラリア感染のため病院船で此処を退去していますが、12月15日には同島南部のマーカス岬に米軍が上陸し、この島も戦闘モードになっています。
あの漫画家の「水木しげる氏」も、このラバウルで最後まで戦い、片腕を無くしたのですから、どうもその作品にもラバウルの軍隊生活が描かれているということです。
遅かれ早かれ、退去は止むを得なかったのでしょう。
この島は、パプアニューギニア系の人々が住む南海の楽園です。
ラバウルの市街は、北側に海が面していると思っていましたが、市街の南に海が面していますね。
市街の東側にラバウル飛行場(現、ラバウル空港)があり、その東に活火山があります。
ラバウルの町のすぐ傍ですが、活火山のダブルブル山の火口があり、常に活動を続けている火山島です。




ラバウル市街から東方を望む ダブルブル火山


当時のラバウル飛行場


当時上空より・・市街とダブルブル火山 ラバウルの夜明け



ガダルカナルを前にして、ラバウルは日本軍の最前線基地でした
Banara Village


●下記より、参考の為引用しました・・
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