祖父ちゃんが芳子の病気を、泰山に報告した前後に、登志姉ちゃん(母の妹・高等女学校生)からも慰問便を送っていたのでしょう。
 返事が泰山より届いています。
 の葉書には、勇雄さん(母の弟)が成人して【召集の赤紙が来て、小倉の歩兵連隊へ入隊】した事が書かれています。
 勇雄さんは学校を出てからこの方、伊予長浜町の岸本本店に勤務中でしたが、成人と同時に召集令状が来たのでしょう。
 
 勇雄さんの出征風景が、全く記憶に残っていないので、恐らく【第25話で芳子の看病の邪魔にならぬよう、孝芳と僕を浦子が松山へ連れ帰った】後のことと思う。
 当時の若者は、成人するとすぐさま「待ってました!」とばかり、軍隊に召し上げられて行ったのでしょう。

母の弟・・森並勇雄さん(21歳)
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【内容】 愛媛県喜多郡 内子町 森並登志子様  
昭和16年12月
 
登志子さん、寒くなって来ましたが、お父さんやお母さんや、お祖母さん(マツ)は元気ですか。
勇雄さんが小倉(歩兵連隊)へ行ったので、淋しくなりましたね。
姉さんが病気なので、泰弘たちのお守りで、忙しい事と思いますが、泣かさん様に遊ばしてください。
私も元気ですから安心してください。
寒くなって来ましたから、風邪を引かぬ様にしてください。 
満州牡丹江省、東寧県城子溝、岩6418部隊鈴木隊 福島泰山
 
 
 この後、母の芳子が4月20日に逝去(第26話参照→ http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/8722503.html)したのですが、この前後の泰山から届いた葉書は残っていなかったですから、芳子の旅立ちに纏めて持って行かせたものと思います。 

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この頃の登志姉ちゃんと私(4歳)

併せて、半年後泰山から登志姉ちゃん宛てに下の葉書が届いております。
登志姉ちゃんから、戦死の知らせを伝えた、その返事でしょう。

 勇雄さん(母の弟)がルソン島で戦死していたのです。
故郷から出征して、たった6ヶ月後のことです。

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【内容】 愛媛県喜多郡 内子町 森並登志子様  昭和17年6月
 
先日は御便り有難う。
勇雄さんが戦死せられて、さぞ力落としの事と思います。
然し、之も国家の為致し方ない事ですから、
どうか落胆する事なく、元気でやってください。
私達が及ばずながら、力となりますから、心配せぬ様にして下さい。
お母さんやお祖母さんによろしく。
では又。   
満州牡丹江省、東寧県城子溝 岩6418部隊鈴木隊 福島泰山
 
(検閲に引っかかるので、これ以上の感情表現は出来なかったのでしょう)
 
 勇雄さんは衛生兵として、ルソン島中部へ従軍していた。
 祖父ちゃんが話してくれたのは
 「敵弾を受け、負傷している兵士を介護している時、敵の銃弾が頭部に命中して戦死したんじゃ・・・と、出海村出身の戦友が遺骨を届けに来てくれたとき報告してくれたんじゃ。火葬も遺骨拾いも全部立ち会ってくれたので勇雄の遺骨に間違いない、と言うとった・・・」とのことだった。
 当時、戦地から帰ってくる白木の遺骨箱には、石ころや木片が入っていたという話があったので、祖父ちゃんはその事を心配していたのでしょう。
 
 一番に期待を寄せていた、勇雄さんのことを話す時は、いつも深い深いため息が、つい出てしまう忠兵衛さんでした。
 
【参考】
第69話の② 成人すると・・すぐさま徴兵された叔父・・
 
第69話の③ 成人すると・・すぐさま徴兵された叔父・・