やはりこの頃に孫たちと、実家で養生している母の病気を心配して、松山の姑の浦子が祖父ちゃん宛に葉書を出しております。
内子の階段箪笥の引き出しに、残っていた古い書状を整理していた時、せめて葉書だけでも・・・と10数枚の葉書だけ残しておいたものなのです。
浦子の写真1枚残っていないのですから、せめて葉書だけでも・・・という気持ちがあったと思うのです。
健康保険等のない当時のこと、父の勤務していた警察署で、母の治療費等の処遇について、忠兵衛からの相談に、回答を得ていた内容を連絡しています。 (第25話の頃でしょう)
浦子は書き損じた葉書に墨を塗って、その黒い葉書の上に鉛筆書きの照りを利用して、時々葉書を書いていたが、タキノ祖母ちゃんの言うには「警察にスパイ扱いで睨まれるから、注意して欲しい」と郵便局員に注意を受けたとのことだった。
その黒い葉書も整理の時、数枚は見ましたが、残念ながら残していません。

【内容】 内子町 森並忠兵衛様 昭和17年1月12日
久しく御不音に打ちすぎましたが、其の後芳子さんの病気は如何ですか。
去年の暮れ、書類をご送付致しましたが、早速役場へ持ち行かれたことと思ひます。
其の後、医師、薬代は無料でしょ。
方面員にお願いして、充分にしてありますから、また今治のケイサツへ頼まいでも(頼まなくても)、本人が内子で病気をしているから、当地でなくてはイカンと松山のケイサツに云はれましたから、今迄金子を払った分は、内子ケイサツへ行って書き物をもらったら、半金はケイサツから出してくれますから、行って頼みなさい。
松山市琢町 福島浦子



【内容】 内子町 森並忠兵衛様 昭和17年2月23日
先日、御来松の節は実に失礼いたしました。
其の後、芳子さんは如何ですか、少しは良い方ですか。
又、人に話してみましたら、熱が無ければ、その節へヤイトをすえてみるか、引き付ける所をひねるかして見た方が良い。
あまり医師のチュウシャばかりしよると中毒になるから
其の引きつける所を、力のある人が少しひねってあげる方が良いとの事。
いくらチュウシャしてもだめですと云ふて居ります。
松山へ来松するにも身が弱って居るとの事であれば
もしマヒでも起きてはならぬと、心配して居ります。
右の様にしてみてください。
松山市琢町 福島浦子
当時、内子町にも著名な医師が4軒ほどあったので、芳子の治療に、祖父ちゃんも祖母ちゃんも、あらゆる手を尽くしていたと思いますが、中々治癒の方向へ向かなかったのでしょう。
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