第22話~第25話の頃と思います。
(25話 鯉の血・・・参照)↓ 
 

父から母に便りをすれど・・・母からの便りはまったく来ない。
昭和17年の正月前後のはがきには、時が経つに連れてイラダチが垣間見えています。
 
この間に、22話で僕の描いた「汽車の絵」も送られたのでしょう。
芳子の病気を知らせて、戦地で心配させることのないように・・・との配慮が、意としない人からの慰問便は届くが、愛妻からの便りが全く来ないという、苛立ちとなっているのでしょう。
 
中身は、例によって・・ありきたり・・の内容なのですが・・
妻、芳子からの便りが来ないことが「一体何があったのか?・・・」と苛立ちとなって言葉の端々に表れております。
 
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【内容】 内子町 森並様方 福島芳子殿  16年12月
 
大分寒くなって来ましたが皆元気ですか。
私も元気ですから安心して下さい。
お正月が近づいたので、忙しい事と思います。
先日、今治署の方から慰問文を戴きましたから署長に礼状をお願いします。
京都の政子さん(妹)及び松山の森岡の子供達にも、また、
栗田さんからは、慰問袋を戴きましたから、天神村の方へ礼状をお願いします。
子供達は元気ですか。
本日は失礼します。 
 
満州国牡丹江省東寧県 城子江軍事郵便処気付
岩6418部隊 鈴木隊   福島 泰山
 
 
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これは満州のだんごです・・・
と父の説明文。


「山椿子(タンホ-ル)売りと酒屋の看板」












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【内容】 内子町 森並様方 
福島芳子殿 昭和17年正月
 
拝啓、寒くなって来ましたが、皆元気ですか。
私も相変わらず元気です。
始めての満州のお正月も、中々寒いです。
先日、写真送りましたが、届きましたか。
届いたら何とか返事を下さい。
子供達は元気ですか。
充分に気をつけて下さい。
先日、隣の森並から葉書をもらいましたから、よろしく。
又、岩城村の高井助三郎さんから、慰問袋を送って貰いましたから、礼状をお願いする。
お父さん、お母さんによろしく。 
 
牡丹江省 東寧県 城子溝 岩6418部隊鈴木隊
福島 泰山
 
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 多分、この写真を送ったのでしょう・・・
 父は、この頃32歳でした。
 
 それにしても、文面を見るとあちこちから「慰問袋」を送ってもらっても、直接には礼状を出したのでしょうが、家族からも丁重に礼状を出していたのですね。
 留守家庭では、次々と礼状を書く大仕事が有ったのだと思います。
 
 多分、病床の母に代わって母の名を使って、代わりの者が礼状を出していたものと思われます。
 



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【内容】 内子町 森並様方 福島芳子殿  昭和17年1月
 
大分寒くなって来ましたが、皆変わりありませんか。
私も元気ですから安心して下さい。
子供達も元気なとの事、先日父上の手紙で安心しております。
先日、長浜の岸本から、慰問袋を送って貰いましたから、礼状をお願いします。
お正月は如何ですか、面白く過ごせましたか。
先日、写真を送りましたが着きましたか。
まあ、暇がありましたら時々便りを下さい。
お父さんやお母さんによろしく。   
 
牡丹江省 東寧県 城子溝 岩6418部隊鈴木隊
福島 泰山