第19話で父が出征したあと、あまり程遠くない10月後半に、父から母に宛てた軍事郵便です。
 軍事郵便は秘密漏洩防止の検閲のため封筒不可、すべて葉書だったのでしょう。
 
 だから、どれを読んでも、あり来たりの内容しか書いてありません。
 
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【内容】 内子町森並様方   福島芳子殿
 
拝啓、本日手紙受け取りました。
子供達も元気との事。
又、松山祭りには内子のお母さんや登志子さん(妹)も来ましたか。
子供達も喜んだでせう。
近況の詳細を知らせとの事ですが,何分詳細な事は何も知らせるわけにはゆきません。
元気であれば安心してください。
慰問袋は約二週間位かかりますから、その心づもりで
送ってください。
今度は缶詰や栗や羊羹等を充分に送ってください。
長浜の岸本の叔父さん(忠兵衛の弟)方から、親切な手紙を戴いたので、早速煙草を送って貰ふ様に、葉書を先日出しておいたのですが、勇雄さん(母の弟、長浜の岸本勤務中)が来た時に送って貰ふ様に頼んで下さい。
お父さんや、皆元気ですか、よろしく。
又、隣の叔父さん(忠兵衛の弟、登さん)にもよろしく。

(昭和16年10月下旬頃)

満州国 牡丹江省東寧県城子溝 軍事郵便処気付
満州岩6418部隊 鈴木隊     福島泰山
 

イメージ 2 今、読み返しても「軍人は遠慮もなしに、贅沢ばかり勝手なことを書き並べて・・・」と感じますが、遠い異郷の地で、補給物資も限られた状況での軍隊生活が垣間見えてきます。

 一方、留守家庭においても「何をさて置いても、国のために頑張っている、兵隊さん最優先」の風潮があったので、兵隊さんのワガママは我侭として、当たり前の事としてまかり通っていたのでしょう。
 
 この後、11月頃から、母芳子が病床に就いたのだろうと思いますが、父から母に便りをすれど、母からの返事が来ない・・・というジレンマが募ってくる文面になってゆきます。
 勿論、母に代わって周囲のものが、入れ替わり立ち代り返事を書いたのでしょうが、妻からの手紙が来なければ当然「何故だ??」と感じて苛立った文面になってゆくのです。