岩城島へ移り住んで、落ち着いた頃に、母が実家に宛てたはがきです。
 
イメージ 1【内容】 喜多郡内子町 森並忠兵衛様
 
先日はお手紙有難う御座居ました。
皆様お元気の由、何よりです。
私方も皆元気でいます。
政子さん(妹)も 長い間遊んで上京した御様子其の後はお淋しいでせう。
先日のお手紙の件、主人も意外の様子で、あの二枚の軸画はあるべきだがと申していました。
早速、内子署の熊さんに電話で二枚の軸画はある筈だから持ち帰って貰ふ様、依頼しておいたそうですから、其の内、何とか話があるでせう。 
また後便にて・・
この写真の中頃に、大きな屋根にインキで○印のある近所になります。
この写真を隣(忠兵衛の弟、登さん)へも見せて上げて下さい。
こんな処だと云ふ事を知らせ度い。

岩城村   芳子。
昭和15年6月15日
 
 




そういえば、戦後も大分経ってからですが、忠兵衛祖父ちゃんが話していました。
「ウチに狩野一派の人が描いた、立派な花鳥図の軸が二振り有ったんじゃけんど、泰山さんが鑑定してもらうけん・・・云うて、持って行ったまま返してもろてないんじゃ」
と云っていたが、その件の確認の連絡が来た返事ではないかと思う。
 
 警察官宿舎の隣に居た、同僚の熊さんは泰山より先に転勤されたと思っていたが、泰山の方が先に
岩城島駐在所へ転出したようですね。
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                   高台から南を望んだ・・・・・「岩城村風景」
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   今の岩城港風景