松井山手・・この50年間の変貌(空撮)
当初、「松井ケ丘」は大和ハウス工業により開発された後、大住ケ丘(住宅供給公社)、花住坂(興人)が造成されてきました。今で云う山手中央、山手東、山手南、八幡市域の広大な用地はその後、京阪電鉄へ売却され、以降京阪電鉄が継続開発に携わったのです。
【参考】● 45年前の「松井山手」周辺景観の空撮写真 ↓
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966051.html
1971年から2010年の対比空撮写真です。
松井ケ丘とその周辺 (2010年)
「JR松井山手駅」予定地周辺 (1975年)
↑左の道路は長尾へ通ずる道、竹藪の繁る山道でした
「JR松井山手駅」周辺 (2010年)
八幡・京田辺JCT・・用地(1975年) 松井里ケ市 ↑八幡・京田辺JCT・・(2010年) 松井里ケ市 ↑
八幡・京田辺JCT・・(2021年) 松井里ケ市 ↑
左・ムサシ、中央の建物はアマゾン・フルフィルメントセンター
松井ケ丘と・・花住坂・大住ケ丘用地 1975年
松井ケ丘の子等は、細い坂道、畦道を通って大住小学校へ通学していました。昭和54年(1979)・・松井ケ丘小学校開校の頃
松井ケ丘の子等は、細い坂道、畦道を通って大住小学校へ通学していました。昭和54年(1979)・・松井ケ丘小学校開校の頃
松井ケ丘と・・花住坂・大住ケ丘 2010年
花住坂・大住ケ丘用地と下部にレジャー施設「中心山荘」 1975年
上に大住小学校と大住中学校用地
上に大住小学校と大住中学校用地
花住坂・大住ケ丘 2010年
松井ケ丘と建設中の大住ケ丘・・昭和54年頃(1979)
花住坂はまだ自然林の中に田畑点在のままでした。
中央部が「JR大住駅」 1975年
大住ケ丘と中央部が「JR大住駅」 2010年
↑「JR長尾駅」とその周辺 2010年
ホームセンター・ムサシ八幡店予定地とその周辺 1975年
ホームセンター・ムサシ八幡店とその周辺 2010年
国道1号線と洞ヶ峠周辺 1975年
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